巨人が通算2000勝を達成したのは、1965年7月25日の中日戦(中日)。8回に柴田勲が逆転2ランを放ち、その裏からは“8時半の男”の異名をとった宮田征典が抑えて逃げ切った。73年まで続くV9の初年度を「ヒルマニア」でひもとく。(随時掲載)

 9連覇の初年度は、王貞治が自身初の3冠王を惜しくも逃したこととともに、宮田征典がリリーフ投手の存在を大きくクローズアップさせたシーズンとして巨人の球団史に残っている。

 金田ら先発陣に故障が多かったこともあって、川上監督は締めくくり投手として、短いウォーミングアップでベストピッチができる器用さを買った。それが奏功して先発1勝を含む20勝、現在のセーブルール(日本は1974年から導入)を当てはめると22セーブとなる好リリーフを見せた。現在と違ってロングリリーフもこなし、投球回は164回2/3、防御率2.07はリーグ4位。この年は城之内邦雄が21勝、中村稔も20勝とプロ野球史上4チーム目の20勝トリオを形成したが、城之内が8度、中村が6度、宮田の“セーブ”で挙げた勝利だった。

 日本シリーズでも3試合にリリーフ登板し2勝をマークした。合計8イニングを無失点に抑え、許した走者は3安打だけ。リリーフ専門としては初のシリーズ最優秀投手に選出された。オフのMVP投票では42本塁打、104打点で2冠王の王よりも有力と言われていたが、650ポイント対605ポイントの僅差(1位票は83対80)で2位だった。もし現在のようなセーブの規定があったら、結果が変わっていた可能性は高いだろう。

 ◆宮田 征典(みやた・ゆきのり)1939年11月4日、群馬・前橋市生まれ。前橋高から日大に進学。61年の大学選手権を制するなどエースとして君臨し、62年に巨人入団。プロ4年目の65年に救援&先発で活躍し優勝に貢献した。ただ、その年のシーズン登板過多もあってか69年限りで引退。その後は巨人での3度のほか、日本ハム、西武、中日で投手コーチを歴任。2006年に66歳で死去した。右投右打。

 ◆8時半の男 19時試合開始だった当時、場内アナウンス嬢が、「宮田さんはいつも同じ時間(午後8時半ごろ)に登場する」ともらしたのを聞いた本紙の中山伯男記者が、「8時半の男」というニックネームをつけ、そのまま定着した。