和田昇(わだのぼる)さん(34)は大学卒業後、茨城県内のスーパーに勤務。故郷の常陸太田市内に耕作放棄地などが増えていく現状を目の当たりにして、その土地の活用と、地元に何か貢献できないかという思いが結び付き、5年前から農業の道を歩み始めた。「野菜を作った経験もなければ、野菜の販売先も知らない状態だった」と苦笑する。

農地を貸したい人と借りたい人を結び付ける市の農地バンクを利用し、瑞龍町に農地と作業所を借りた。栽培方法や販売先については、農協や県の地域農業改良普及センターなどに相談して指導を受けた。奥久慈なすを農協に出荷することからスタートしたが、台風や病気対策で後手に回り大量の廃棄が生じた。「自然相手は想定外のことばかり。ハウスを飛ばされたこともあった」と振り返る。

実践の中での失敗や他で学んだことを、次の改善に生かしてきた。農閑期の収入強化を図れる野菜を探し、年間を通して野菜を作ることで、リスク減と、取引先に多種類の野菜が提供できるようになった。価格競争に勝てるようにビニールハウスも増やした。

スタート時の約2千平方メートルの耕作地は、5年を経過して約4万平方メートルとなり、トマトやキュウリ、オクラ、カボチャなど約30種類の野菜を作る。アルバイトや技能実習生も含め10人以上が、時間に縛られない勤務体制で汗を流す。「年間を通して平均的に仕事を作ることで安定雇用にもつながった」と話す。

バスツアーの受け入れや、東京の小学校での野菜についての授業も経験した。「野菜作りを含め、農業の奥の深さにやりがいを感じている」。今後は「離れた地域の子どもたち同士を食でつなぐ取り組みをしたい」と明かし、「パパイアとバナナも作ってみたいかな」と笑顔を見せる。