リアル祠チャレンジ!『ゼルダBotW』に触発されて、庄内地方の即身仏に遭いに行ってきた

リアル祠チャレンジ!『ゼルダBotW』に触発されて、庄内地方の即身仏に遭いに行ってきた

ところどころに日本的なモチーフが見られる『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』。
シーカー族はその最たるものですが、祠やガーディアン等の古代遺物も、よく見れば縄文土器と黒楽茶碗がモチーフになっています。細かいところでは道端に道祖神のような石像が見られますし、ハテノ村の門の上にはまるで神社の鳥居のように石が乗っかっています。『ゼルダの伝説BotW』の風景から懐かしさを感じるのは日本の原風景が描かれているからではないでしょうか?

そんな本作の中で特に日本らしいと思ったのは祠の導師たち。

古代遺物を造ったシーカー族の彼らは、来るべき厄災と、それを封じる勇者を育成するため、祠に籠り、ミイラ状態のままリンクを待ち続けたのです。これって何かを思い出しませんか?

そう、即身仏です!!

◆即身仏とは?

即身仏(即身成仏)とは、主に真言密教の修験者が修行の末、肉体を保持したまま悟りを開き仏になることです。弥勒信仰とも結びついており、56億7千万年ののち再びこの世に弥勒が現れるまで肉体を残そうとしたとも言われています。山形県の湯殿山では即身仏を目指す修験者が多くいたといい、現在、山形県内に5体の即身仏が現存しています。

即身仏を志す者はミイラとして肉体を残すための準備を進めます。山に千日から五千日間籠り、五穀、次に十穀を断ち、木の実や木の皮を食べて体から余計な水分や脂肪を抜いていきます(そのため即身仏は「木喰上人」と呼ばれています)。漆を飲むこともあったそうで、その修行は過酷を極めたといいます。

いよいよ死期に近づいたら土中の石室に籠り(入定と言う)、読経をしながら最期の時を迎えます。外の人は石室の穴から鈴と読経の音を聞き生死の確認をします。音が聞こえなくなってから3年3ヵ月後に掘り起こし、乾燥させたのちに即身仏として安置するのです。

肉体をミイラとして保持するのは難しく、多くがミイラ化せず、白骨化してしまったといいます。祠の賢者たちも1万年という長い間リンクを待ち続けたわけですからそれは過酷だったに違いありません。

昇天するときいつもスキップしちゃってごめんなさい。

というわけで、ゼルダ世界に触発され、リアル祠チャレンジを敢行! 
山形県鶴岡市には4体の即身仏があるとのこと。「克服の証」4つでハートかがんばりを1つ増やすことができるはず! 期待を胸に、山形県へ向かいました。

◆第一の祠・本明寺

湯殿山へは山形市からレンタカーで延々長い道のりを進んできました。「日本海側から行った方が早かったかもしれない」。そう思ったところで後の祭り。すでに祠チャレンジは始まっていたのです。

ハイリアの盾とマスターソード(「ゼルダの伝説 一番くじ」にてゲット)を背負い、やってきたのは本明寺。即身仏を見学するなら予約が必要です。入り口から醸し出す霊力が尋常じゃありません。心のシーカーストーンが祠に大反応です。

階段を上がると本堂がお出迎え。静まり返った境内。参拝客は我々だけです。本妙寺はこのあと登場する注連寺の末寺にあたります。

苔むした雰囲気が実に古刹らしいです。それもそのはず、本妙寺に安置されている本明海上人は庄内地方の湯殿山系一世行人の中でも最も古い即身仏なのです。本明海上人が即身仏になるために土中入定したのは天和3年(1683)。戦国の世が終わり、世が安定した頃になります。

お寺の方にいざなわれ、本堂右手の道を進んでいくと、更にただならぬ空気を醸しだす建物が姿を現しました。

由緒正しき祠感が漂うお堂発見!

即身仏は写真撮影不可なので言葉でしかお伝えできませんが、本明海上人は厨子の中に安置され、真っ白な御召し物を纏っていました。
座った状態のまま、やや首をかしげたような状態で、顔はほんのりと笑っており、怖くはありません。思った以上に状態がよいという印象です。それは本明海上人が自分の身体が腐らぬよう、徹底的な下準備をしたからに他なりません。

エジプトのミイラ作りでは脳や内臓といった腐りやすいものを摘出し、火を用いて乾燥させ、時には薬品を用いて防腐処理を施しミイラ化させますが、昭和34年に学術研究のため調査した即身仏は一部を除き脳も内臓も残ったままでだったそうです(『日本ミイラの研究』)。

本明海上人の調査・修復は昭和47年に行われました。そのとき、首を支えていた木の板に、このあと登場する鉄門海上人が即身堂を再建したことが記されていたそうです(『日本のミイラ仏』)。

また、お寺の方からうかがった話では、当初は手を合わせた状態であったものの、年月が経つにつれ離れてしまったそうです。祠の賢者たちの手はそれぞれいろんな形を作っていますが、これを保つのはなかなか難しいことなのですね。

本明海上人は元は庄内藩の下級武士でしたが、藩主・酒井忠義の病気平癒のため湯殿山へ代参し、下界に戻らずそのまま湯殿山に籠って修行を続けました。

剃髪し本明海となったのちは、荒廃した本明寺を復興するなどの業績を残し、60を過ぎると即身仏になるべく修行を行い、天和3年(1683)に土中入定しました。

本明海上人の入定所もあると聞き、看板を頼りに行ってみました。
森の中にたたずむ入定場所を記した碑。ほどよく苔むしています。この下の石室に一人で籠り、死の瞬間まで読経をしつづけたのです。絶句…

即身仏は並大抵の覚悟では成し遂げられない…祠1つ目からヘビーな体験でした。我々の祠チャレンジなど生ぬるいにも程がある。これで克服の証はもらえるのか!? ちょっと不安になりつつも、次の祠へと向かいます。

◆第二の祠・大日坊瀧水寺

次に訪れたのは大日坊瀧水寺。こちらは弘法大師により開創されました。かの春日局が家光を三代将軍にするため、二代将軍の病気平癒を表向きの理由として参詣したお寺として有名です。山形県指定有形文化財の仁王門は鎌倉時代に創建され、仁王門では県内最古のもの。外側左右に風神雷神像が、その奥にはかの運慶作の仁王像が鎮座しています。

お供え物をしたらコログが出てきそうな景色です。

仁王門から続くまっすぐの道を進んでいきます。道の左右にはアジサイが咲き、のどかな風景が広がっています。


大日坊瀧水寺の本殿。思ったよりも楽にたどり着いてしまったため、これでは試練にはならないのでは? と不安になりつつ中へ。
即身仏とご対面の前に、本堂にてお寺の由緒を拝聴、さらに加持祈祷もしていただきました。

さて、いよいよ即身仏とご対面です。大日坊瀧水寺には3つの即身仏がありましたが、明治8年の火災で月光海上人ともう一体の即身仏が焼失。現存する真如海上人は即身仏になる前に「別にお堂を建てて置いてくれ」と遺言したらしく、そのおかげで焼失を免れたといいます。

真如海上人は朝日村の進藤仁左衛門という農家の末弟でした。ある日、肥桶の中身を通りかかった武士にうっかりかけてしまい、無礼討ちされそうになったので武士をなぐり殺してしまいました。大日坊に逃げ込みそのまま出家。天明3年(1783)、日本のミイラの中では最年長の96歳で入定し、即身仏になりました(『日本ミイラの研究』)。真如海上人もとても状態がよく、笑ったお顔がなんとなくほほえましい印象を受けました。



これでは簡単に試練を通過してしまったことになる。というわけで大日方瀧水寺から少し離れたところにある、皇檀の杉を探しに行きました。狭い山道を進むと駐車スペースがあり、そこからは徒歩で山道を進みます。

焼き討ちに遭う前はこちらも大日坊瀧水寺の敷地内であったそうです。よく見ると堀と土橋っぽさがありますね。

人口の縄張りに心をときめかせつつ進んでいくと、開けた場所にたどり着きました。そして目の前に巨大な杉がお出迎え! もしかしてこれはデクの樹サマでは…!?

皇檀の杉は、景行天皇の皇子、御諸別(みもろわけ)皇子がこの地で亡くなり、その御陵所に植えられたという伝説が残っています。高さ約27メートル、枝の長さは東西・南北とも22メートルあるそうです。とにかくでかい!

ここであれをやるしかない…というわけで、マスターソード(傘)を抜いた名シーンを再現。それはともかく、比べてわかるその大きさ。昨今はパワースポットとしても有名なのだとか。即身仏と御神木からパワーをいただき、次の祠へと進みます!

◆第三の祠・注連寺<

注連寺は弘法大師が開基し、その後、弟子の真然大徳が湯殿山権現堂を建立したと伝えられています。
出羽三山で修行をする修験者が身に着ける装束に、首から下げる注連縄があります。これは自らを守るための結界なのだそうです。注連寺はその名の通り、湯殿山を護る結界なのです。

女人禁制の時代はここまでなら入ることが許されてていたため、多くの女人の信仰を集めました。しかし明治時代の神仏分離において出羽三山がいずれも神社になると、女人禁制も解かれ、湯殿山参詣所としての注連寺の役割は急速に失われてしまいました。

苦難の時代を経て、現在はのどかな風景が広がっています。昔はこの道も多くの修験者でにぎわっていたのでしょう。

本堂のすぐそばまで車で入ることができるのでとても楽ちんでしたが、やはりこれでは試練にならないような…それはさておき、本堂の中へ入ります。

そしていよいよ即身仏とご対面! 本堂向かって左側に鉄門海上人が鎮座しておりました。
第一印象は「大きい」。これまで見てきた即身仏よりも一回り大きい印象を受けました。

鉄門海上人は宝暦9年(1759)鶴岡市大宝寺村に生まれ、25歳の頃に武家と遊女を巡って喧嘩し、相手をなぐり殺してしまったためその足で注連寺に逃げ込み、仏門に入ったと言います(『日本ミイラの研究』)。真如海上人の時もそうですが、当時の寺は「アジール(聖域の意。宗教的権威によって民衆の生活を保護した場所)」として機能していたようでです。仏門に入った鉄門海は人に尽くし、加茂坂に新道を通す土木工事も行ったといいます。
また、眼病が流行した折には自ら左目をえぐり、隅田川に投じて病気平癒を祈願したのだそうです。確かによく見ると鉄門海上人の左目はえぐられた跡がありました。

ちなみに鉄門海上人は男性にとって大事な部分も自ら切り取ったという伝説があります。しかもそれは商売繁盛のご利益満点で、現存しており、学術調査の結果、鉄門海上人と同じ血液型であったそうです。ますます興味がそそられます。

鉄門海上人は数多くの伝説を残しており、庄内地方には多くの碑が建立されています。第一の祠の本明寺の住職もしていたらしく、本明海上人の項でも触れましたが、本明海上人が鎮座するお堂を建てたのが鉄門海上人であるという記録も残されています。「あのお堂を建てた人が目の前にいる」という事実。実に不思議な体験です。

文政12年(1829)鉄門海上人は62歳で入定し、即身仏となったといいます。

境内にある「七五三掛桜」。この下で弘法大師が修行をしたと伝えられています。女人禁制の時代には女性はこの桜の下で修行したといいます。桜の木ですし、実にいいデクの樹サマ感を醸し出しています。サイズ的にはサトリ山の桜の木かも!?

時代を感じさせる石碑たち。ここにもコログがいそうです。

注連寺の本堂には天井絵画がいくつも奉納されており、美術鑑賞もできます。ちなみに鉄門海上人と天井絵画および鰐口は「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にも選ばれているのだとか!

試練という試練もなく、一方的に霊力をいただき、最後の祠へと向かいます。

◆第四の祠・南岳寺

最後にやってきたのは鶴岡市の市街地にある南岳寺。市街地に即身仏があるなんて、ちょっと不思議な気分です。

南岳寺は注連寺の末寺ですが、昭和31年に火災にあい、堂舎ことごとく燃えてしまいました。しかしご本尊と即身仏は奇跡的に無事だったのだそうです。現在は再建された本堂の下に安置されています。

市街地にあり、滞りなく祠に到達。こんな簡単に祠チャレンジ成功していいのでしょうか? 再び疑問を抱きつつ、中に入ります。

南岳寺に安置されている鉄竜海上人は今回訪ねた4体の即身仏の中で最も年代が新しく、明治になってから入定したと言われています。空海と同じ62歳で即身仏となるべく木食行を遂行しましたが途中で病気になってしまい、「埋葬後3年してから掘り返し即身仏にしてほしい」と遺言しました。しかし明治13年(1880)に発令された墳墓発掘禁令により墳墓発掘と遺体損壊が禁止されてしまったため、入定した年を明治元年とし、官憲の目を盗んで遺体を墓から掘り出したと言われています(『日本ミイラの研究』)。

そのような経緯からか、鉄竜海上人はこれまでの即身仏よりも「生っぽい」という印象を受けました。うつむき加減で、少し苦悶の表情を浮かべているようにも感じます。鉄竜海上人も人々の眼病平癒のため左目をえぐったらしく、左目部分が陥没していました。本人の手形がついた掛け軸も展示されており、「そこにいる感覚」がこれまで以上にリアル。喋り出しそうな錯覚すら覚えました。

南岳寺のもうひとつのみどころは淡島大明神です。こちらは明治時代の超能力者・長南年恵を祀っています。長南年恵は20歳の頃から食事をしなくなり、排泄物などもなかったといいます。また、何もないところから物品を取り出す超能力を備えており、空の瓶を水で満たすことができたのだそうです。これは神水と呼ばれ、万病に効いたといわれています。

不食を貫き、超常現象によって人々を救った長南年恵。出羽三山を有する庄内地方には、不思議な力が生まれる土壌があるのでしょうか? シーカー族も真っ青ですね!

◆事実はゲームより奇なり!
というわけでリアル祠チャレンジ終了! 4つの即身仏を巡り、体力が少しだけ増えたように感じます!

…という冗談はさておき、他に類を見ない、日本の即身仏に触れ、何事かを成さんとする人の思いの強さをひしひしと感じました。即身仏そのものが奇跡の産物なのに、それは空想などではなく、今もなお庄内地方の人々の生活の中にあるのです。事実はゲームより奇なり! 祠の導師もすごいですが、即身仏もすごい!

今回は4か所に絞ってリアル祠チャレンジを遂行しましたが、新潟県から山形県にかけて、6体の即身仏をみることができます。興味を持った方はやまがた庄内観光サイトやパンフレット(PDF)から情報を集めてみてはいかがでしょうか? リアル祠チャレンジの道はまだまだ続きそうです!

参考文献:
『日本ミイラの研究』 日本ミイラ研究グループ編 平凡社
『日本のミイラ仏』 松本昭 臨川書店
『日本のミイラ仏をたずねて』 土方正志 晶文社

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