ゴーン妻の“人質司法”批判を「ざまあみろ」と笑っていられない理由

ゴーン妻の“人質司法”批判を「ざまあみろ」と笑っていられない理由

 日産自動車の前会長であるカルロス・ゴーン被告が逮捕されてから2カ月ほどになる。

 長期の勾留が続く中、キャロル夫人が国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)に、9ページにわたる書簡を送ったことが明らかになった。夫人は書簡で、「日本の刑事司法制度がゴーンに課している厳しい扱いと、人権に関わる不平等さを白日の下にさらす」ことをHRWに求めている。

 時を同じくして、HRWアジア局長のブラッド・アダムスは国際情勢サイトのディプロマットに、ゴーンに対する人権侵害について寄稿し、「ゴーンは保釈を却下され、取り調べ中に弁護士を伴うことは許されず、逮捕以降は家族と会うことも許されていない」と主張。さらに、「ゴーンに対する深刻な嫌疑や、彼の日産時代に絡んだ論争があろうとも、刑事告訴に直面している人は誰しも、このような形で権利を奪われるべきではない」と指摘した。

 またキャロル夫人の書簡にはこんな記述もあるという。「毎日何時間も、検察官は弁護士が立ち会わない中で、なんとか自供を引き出すために、彼を取り調べし、脅し、説教し、叱責(しっせき)している」

 夫人は、いわゆる「人質司法」を批判し、まだ有罪になっていないゴーンがあまりに不当に扱われていると言いたいのである。さらに今後、別件の逮捕などによって当局はいつまででも勾留を続けることができ、自供するまで延々と密室での取り調べが続くことになる。

 この書簡のニュースを受けて、ネットニュースには早速、否定的なコメントがあふれていた。筆者は決して人権意識の高い運動家ではないし、欧米の価値観を無条件に礼賛するつもりもない。ただゴーンのケースでは、キャロル夫人やHRWの言い分にも一理あるのではないかと感じている。

 今回の事件では、ゴーンの怪しいカネの動きや、日産とルノーのビジネスにおける力関係、国策捜査の指摘などいろいろな情報が飛び交っている。だがそうした話はいったん脇に置いて、日本の刑事司法制度が外国からどう認識されているのかに焦点を当ててみたい。

●容疑者を追い詰める「自白偏重主義」

 そもそも外国からは、日本の刑事司法制度には問題があると見られている。キャロル夫人が示唆しているように、大きな問題は「自白偏重主義」だ。

 自白に頼る日本の捜査については、日本国内でも疑問視されているが、国外でも同じだ。例えば米国では、英語で「日本」「起訴」などと検索すると、なぜ日本は有罪率が高いのかという話や、自供についての記事が上位に現れる。そのうちの一つである英BBCの記事は、有罪率が99%の日本では自供が「絶対的な証拠」になっていると指摘している。さらに容疑者は可視化されていない小さな取調室で自供するまで追い詰められるとも書いている。

 米国や英国では、自白に頼る捜査はしない。基本的に、米英では事実のみを争うのだが、日本では動機も裁判で大事な要素となるために自供が重要になる。言うなれば、欧米などでは情状酌量に人情は介在しないが、その分、逆に人権はなるべく保証しようとする、といったところか。とにかく日本では、キャロル夫人が言うように、自供を取るために厳しい取り調べが続けられるのである。

 またBBCの記事は「日本人は伝統的に当局に楯突くのは良くないと考え、犯罪者はかなり簡単に自供してしまう」という専門家のコメントを紹介し、実際に身に覚えのない罪を過酷な取り調べの後に認めてしまった人物のコメントも掲載している。つまり、それほど取り調べは厳しいものだということだ。

 自白偏重主義に加えて、日本の刑事司法制度には、「起訴・不起訴の曖昧さ」という問題もある。

●トヨタ元役員は“辞職したから”釈放された?

 実は、この「曖昧さ」というイメージが広がったケースが少し前にあった。2015年に、トヨタ自動車の外国人常務役員が麻薬取締法違反容疑で逮捕された一件だ。

 この事件では、元常務役員で米国籍のジュリー・ハンプ氏が、米国から麻薬成分を含む錠剤オキシコドン57錠を郵便で輸入したとして麻薬取締法違反容疑で逮捕された。本人は、罪の意識などなかったという。

 当時の英字報道を見ると、事件そのものだけでなく、ハンプ氏が起訴されずに釈放されたことに注目が集まっていた。要するに、薬物に対して非常に厳しい日本で、麻薬取締法違反で逮捕された米国人が「どうして不起訴になったのか」が話題になっていた。

 一例を挙げると、米全国紙であるUSAトゥデイは、日本の弁護士のコメントを掲載。「日本では事件を起訴するかどうかについて検察が大きな裁量権を持っている」とし、「一般人の米国人なら、このケースでは起訴されていたかもしれない。ただ(ハンプは)トヨタの幹部だった。彼女は仕事も辞職した。検察は『十分に社会的制裁を受けた』と考えたのではないか」と報じている。

 また英国のガーディアン紙も、弁護士のコメントで「日本では誰が起訴されて、誰が起訴されないのか、答えを出すのは難しい」と書き、ハンプ氏の不起訴をこう分析していた。「ハンプのトヨタからの辞職が、釈放を勝ち取る要因になった可能性がある」

 これでは誰が見ても、日本の刑事司法制度が検察の「さじ加減」で決まっているというイメージになるだろう。同じ犯罪でも、人によって起訴か不起訴かが決まる。大企業の役職を辞任したら不起訴になるのか。しかもそれを検察官が独断で決めているとすれば、曖昧すぎるし、明らかに不公平に見える。金持ちと貧乏人、一般人と企業幹部では、検察の扱いがまったく違うということなのだ。

 キャロル夫人が日本の当局を批判するのには、こうした不明瞭な部分へのいら立ちもあるのではないだろうか。

●密室の取り調べが「勾留地獄」「怖い国」のイメージにつながる

 司法制度改革については、日本弁護士連合会(日弁連)も声を上げている。その中でも重要視していることの一つは、自白偏重主義からの脱却につながる「取調室の可視化」だ。日弁連はこう指摘する。

 日本の刑事司法制度においては、捜査段階における被疑者の取調べは、弁護士の立会いを排除し、外部からの連絡を遮断されたいわゆる「密室」において行われています。このため、捜査官が供述者を威圧したり、利益誘導したりといった違法・不当な取調べが行われることがあります。その結果、供述者が意に反する供述を強いられたり、供述と食い違う調書が作成されたり、その精神や健康を害されるといったことが少なくありません。

 そのうえ、公判において、供述者が「脅されて調書に署名させられた」「言ってもいないことを調書に書かれた」と主張しても、取調べ状況を客観的に証明する手段に乏しいため、弁護人・検察官双方の主張が不毛な水掛け論に終始することが多く、裁判の長期化やえん罪の深刻な原因となっています。(日弁連Webサイトより)

 容疑者や被告を公正に裁くのであれば、その過程を明らかにする必要がある。ちまたでも、少し前ならみんな軽視していた「コンプライアンス」「透明性」が今は常識になっている。企業などの狭いコミュニティーで行われる「パワハラ」「セクハラ」などもどんどん表沙汰になり、社会問題として噴出している。そんな時代に、日本の刑事司法制度では、人生に大きな影響を与える犯罪捜査の取り調べがいまだに密室で行われ、起訴か不起訴かは検察がさじ加減で決めている。それでは通用しないのではないか。

 もっとも、こうした刑事司法制度のイメージは、結果的にはもっと広い意味で「日本は人権が保障されておらず、強権的で配慮のない怖い国」という認識につながっていく。以前、あるフランス人記者が「外国人が心底怖がる『勾留地獄・日本』」という記事を書いていたが、日本はそんな風に見られることになる。キャロル夫人が書簡をしたため、声を上げなければいけないと感じた背景には、こんなイメージもあったのかもしれない。

 ネットでは今回のキャロル夫人の書簡に対して、辛辣(しんらつ)なコメントも多い。「共犯者」「口裏合わせや証拠隠滅が出来ないことへの焦りといら立ち」「汚い金でぜいたくしていた人間たちが何を言うか」「夫のためというより、金のために騒ぎたてている感が強い」「(ゴーンが)7キロ減ったのは肥満だったから」といったものや、日本が安全なのは司法制度がシビアだからかもしれない、というコメントも見かけた。

 あまりにも感情的で、一方的ではないだろうか。ただ今こそ、少し冷静になって、夫人の話に少し耳を傾けてもいいのではないか。

●ゴーン事件がビジネスにもたらす“弊害”

 現在のところ、本人の弁解や説明の余地がないまま、メディアではゴーンに絡む容疑が「取材」や「リーク」の形で表に出てきている。だが、今回のケースは「クーデター」「国策」と一部指摘されていたように、なんらかの思惑が絡んでいる可能性もある。日産側や検察側からの情報をそのまま報じ、既成事実のようにしてしまうのは危険だと言えないだろうか。

 筆者はゴーンが働いたとされる悪事について、もちろん報道ベースでは見聞きしているが、そこにどれほどの裏付けがあるのかは分からない。それを争うのが公判のはずなのだが、ネットでの感情的な意見を見ていると、今回のケースは裁判をやる前から「ゴーンは極悪人」というイメージがどんどん蓄積されており、日産や検察はもう「世論誘導」に勝利しているようである。

 また、今回のケースによって刑事司法制度の問題がさらに広く国外で知られていけば、海外の有能な人たちが日本に集まらないという弊害が出てくる可能性も考えられる。日本で外国人がビジネスをする際の不確定要素にもなりかねない。

 言うまでもなく、ゴーンが直面している容疑が公判を経て事実と認められたときには、どんな厳しい刑務所生活が待っていようが同情の余地はない。瀕死の日産を立て直した手腕が評価されるビジネスパーソンであっても、犯罪は絶対に許されず、罪を償う必要がある。そうなれば、どんな辛辣な批判や苦言を受けても致し方ない。そして、家族もその罪と罰を真摯に受け入れるべきである。

 ただ今はまだ有罪にはなっていない。ならば、彼を犯罪者ではなく、嫌疑をかけられた“人”として扱うべきではないか。

 もっと言うと、長期勾留によって密室で自供を引き出しても、それは証拠として本当に有効なのか。自供を強要されたと言われないためにも、取り調べは可視化すべきではないか。日本の刑事司法制度にあるそうした問題点を、ゴーン事件を機にあらためて議論する機会にしてはどうか。

 「ざまあみろ」と言って留飲を下げるだけで終わってはいけないのである。

(山田敏弘)


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