フィリピンで綱渡り人生 借金500万円から逃れた「脱出老人」の末路

フィリピンで綱渡り人生 借金500万円から逃れた「脱出老人」の末路

 いつもは気の優しい、南国の日に焼けた長身の男が、その時ばかりは珍しく声を荒げていた。

 「俺は綱渡りのような人生なんだから。ダメなものはダメ。それでも撮影を続行し、その綱を切るようなことをしたら、俺に迷惑が掛かるでしょ? そうしたら俺の面倒を見てもらえますか?」

 私たちが男の職場をビデオカメラで撮影させて欲しいと頼んだところ、男は「ボスの許可がないとダメだ」と言い張り、ついカッとなったのだ。その時に男の口から咄嗟(とっさ)に出た「綱渡り」という言葉が、フィリピンにおける彼の人生を象徴しているようだった。

 年の瀬も押し詰まった2018年12月25日のクリスマス。日本から海をまたいだ南国、フィリピンには、朝から抜けるような青空が広がっていた。私たちのクルーは、ドキュメンタリー番組の撮影のため、マニラから車で2時間ほど走った地方都市を訪れていた。取材協力者の日本人男性、吉岡学さん (仮名、56歳)に会うためで、老朽化が目立つ一軒家に到着すると、吉岡さんは真っ赤なTシャツに短パンといったいで立ちで、タバコをふかしていた。

●「幸せは金じゃない」

 吉岡さんの職場は、地元フィリピンの食品運送会社だった。鶏肉をトラックで運送する仕事である。同僚は全てフィリピン人だから、仕事上のやりとりはタガログ語だ。

 吉岡さんの仕事は深夜から始まる。トラックの助手席に乗り、鶏肉加工場に着いたら大量の鶏肉をトラックの荷台へ運び込む。搬送先は大手スーパー。高速道路を数時間かけて走り、目的地へ到着する頃には明け方近くになっている。

 入口のゲート付近に段ボールを敷き、そこで数時間の仮眠を取る。鶏肉を全て卸したら、午前中に会社まで帰宅する。それで日当は最低賃金を少し上回る500ペソ(約1000円、1ペソ=約2円)。31歳年下のフィリピン人妻、ロナさん(25歳)も同じ職場で事務をこなし、6歳の息子1人を育てながら、つましく暮らしている。しかもビザを更新するお金がないから、不法滞在だ。2004年にフィリピンへ渡って以降、もうかれこれそんな困窮生活が15年近く続いている。だが、そこに悲愴感はない。それどころかフィリピン人に囲まれながらわきあいあいと、今を生き抜いているのだ。

 フィリピンの在留邦人は現在、約1万7000人に上る。主に政府機関職員や民間企業の駐在員、現地採用人員、そして年金移住組に分かれる。特に年金移住組については「海外で悠々自適なセカンドライフ」などとメディアで紹介されることが多い。しかし、生活を始めてみると、必ずしもそれが実態に即しているわけではなく、美辞麗句だったことに気付かされる。日本の文化的価値観を持ち込み、交通渋滞や停電などフィリピンの不便さに不満を並べ立て、フィリピン人と衝突する移住者が少なくないからだ。ところが吉岡さんは、フィリピン人社会に溶け込み、在留邦人の中でも最も現地化していると言っても過言ではないだろう。

 そんな自身の人生を、吉岡さんはこう振り返っている。

 「日本の方が生活面では快適だけど、規則で縛られる社会は窮屈だし、幸せではなかったね。今の方がずっと幸せです。幸せは金じゃない。フィリピンは少ないお金でも大勢の家族で一緒に暮らしている。そういう家族のつながりがこの国のいいところ。でも日本は人と人のつながりが薄いですよね。だから孤独死のようなことが起きるんです」

 日本では2040年、1人暮らしの独居世帯が全体の3割を超えると推測されている。孤独死は増加の一途を辿(たど)っており、日本の超高齢化社会が抱える問題に鑑みると、吉岡さんのように海外へ脱出するという生き方は、もう1つの幸せの形を示しているかもしれない。

●井戸で水くみ、芋の葉を食す

 私が吉岡さんと出会った7年前、彼は今の一軒家とは異なり、貧困層が集まるスラムで暮らしていた。その民家は妻、ロナさんの自宅で、コンクリートブロックを積み上げた壁に、トタン屋根を張り合わせただけの家屋だった。広さは約30平方メートル。そこでの生活は井戸水をくむことから始まった。自宅に水道が敷かれていないためだ。

 「ガッチャ、ガッチャ、ガッチャ……」

 井戸のポンプが上下する一定のリズム音が早朝の静けさの中に響き渡り、がたいの大きい吉岡さんは、慣れた手つきで井戸水をくみ上げる。バケツ2杯分を満たしたら自宅へ戻り、くみたての水を手にして顔をサッとひと洗い。

 続いて朝ご飯の支度。前日の残りの冷や飯を鍋から皿に盛り、鍋を洗う。そしてコメと井戸水を鍋に入れ、裏庭で七輪の上に載せてたばこを一服。鶏が勢いよく鳴く声がそろそろ辺りから聞こえる。タバコを吸い終わった吉岡さんは、外に生えている香草を抜き取り、小さく折り畳んで鍋の中へ入れた。

 「この香草とお酢を入れて一緒に炊くと、質の悪いコメでもおいしいコメに化けるんです」

 そう得意げに説明する吉岡さんの朝はとにかく忙しい。

 コメが炊きあがるまでの間、近くの雑貨屋へ卵などの買い出し。自宅に戻ると、外に生い茂っている雑草の中で、吉岡さんは腰をかがめて両手をもそもそと動かしていた。尋ねてみると、吉岡さんの声が向こうから聞こえた。

 「芋の葉っぱを取っています」

 燦燦(さんさん)と降り注ぐ朝日を背に浴びながら、吉岡さんが芋の葉を摘(つ)んでいる姿は原始的で、遠くからだと人類に似た野生動物のように思われた。

●妻は31歳年下

 ようやく寝室から台所に現れた、白いTシャツ姿のロナさんは、吉岡さんとの間にできた生後8カ月になる息子をあやしている。一緒に住むロナさんの父親も、さっきから裏庭にある鶏小屋で餌をやっていて、吉岡さんの作業には目もくれない。

 「あいつら何も手伝わないでしょ? むかつくんですよ」

 そう吉岡さんが言ったのも束(つか)の間、七輪の火が消えた。

 「火が消えたやないか。お前がちゃんと見てないからや!」

 吉岡さんはタガログ語でロナさんを叱る。ロナさんは子どもの面倒を見なくてはいけないからと私に説明するが、間髪入れず吉岡さんの突っ込みが入る。

 「子どもがいなかった時も何もやってないじゃないか!」

 この2人、別に不仲ではない。

 ロナさんとは数年前に知人の紹介で知り合った。タガログ語ができる日本人ということで、すぐに打ち解けたようだ。やがて吉岡さんのアパートへ遊びに来るようになって同棲生活を始め、続いて吉岡さんがロナさんの自宅へ転がり込んだ。

 ロナさんは小柄でやせ形、目尻が下がった顔はまだあどけなさが残っており、31歳離れた吉岡さんと並ぶとまるで父と娘のようである。

 吉岡さんはこの自宅から徒歩圏内の縫製工場で、幼児服のアイロン掛けをする作業員として働き、日当200ペソ(約400円)を稼いで家族を養っていた。

 できあがったこの日の朝食は、庭で摘んだ芋の葉っぱのニンニク炒めと卵焼き、それにガーリックライス。

 「素っ気ない味ですけど。どうぞ」

 と私に勧める吉岡さんは、ご飯にむしゃぶりつくように食べた。

 「僕の生活はサバイバルそのものでしょ?」

 まさにその言葉通りの暮らしだった。

●仕送り続けて借金まみれ

 フィリピンへ渡る「脱出老人」たちの中には、フィリピンパブで出会った女性を追い掛ける者がとにかく多い。吉岡さんもご多分に漏れず、その1人だった。

 吉岡さんは、四国のとある山間の町で生まれ育った。地元の高校を卒業してから大手警備会社で働き続けていたある日、同僚からフィリピンパブに誘われたのが全ての始まりだった。

 「指名した女の子は正直、それほど好みではなかった。でも楽しかったんですよ。その子が片言の日本語で話すのが面白くて。それで次の週の日曜日にデートしようという話になりましてね」

 その時に出会った18歳のフィリピン人女性と結婚し、子ども2人が生まれた。大手警備会社を辞め、彼女の紹介でフィリピンパブの店長に。県営住宅で暮らす傍ら、母国に住む彼女の家族に仕送りを始めた。生活費として毎月数万円を送金したが、これに加えて彼女から告げられた緊急事態に、何度も対応する羽目になった。

 「母親が乳がんに冒され、医療費が必要になったの」

 「妹が失恋し、洗剤を飲んで死にそうになっているの」

 断れない性格の吉岡さんは、そう言われるたびに銀行や消費者金融から金を借りまくり、送金を続けた。借金した銀行や消費者金融は8社。それに闇金業者を合わせると総額は500万円を超えた。少し考えればおかしいと気付くものだが、吉岡さんは困った表情で当時を回想する。

 「いきなりお金を送ってくれと、目の前で泣いて頼まれるんですよ」

 そうして膨らんだ借金を返済する目処(めど)が立たず、逃げるようにしてフィリピンへ渡った。以来、帰国していない。

 「警備会社を辞め、紹介されたフィリピンパブで店長として働き始めたんですが、給料が半分ぐらいに下がって、利子の返済で手いっぱいになり、完済の見込みがなくなった。これが日本に帰りたくない一番の理由です」

 フィリピン人妻とは結局、離ればなれになった。日本の親族とも長年音信不通になっているため、困った時の送金も頼めない。吉岡さんはフィリピンで生きていくしかなくなった。

 その覚悟の現れが、タガログ語の勉強にぶつけられた。知人の日本人男性からもらったタガログ語の教科書を見ながら、ノートに書き写し、寝る前にはベッドの上で単語を覚えまくった。

 「ここで1人で生きるために覚えることにしたんです」

●流転

 吉岡さんはそれ以来、合鴨の卵を拾い集める仕事、土木、幼児服のアイロン掛けなど仕事を転々とし、現在の妻、ロナさんと出会った。不法滞在に置かれているため、日系企業への就職は望めない。ゆえにローカルの職場を渡り歩くしかなかった。

 日本人男性とフィリピン人女性の「年の差婚」は珍しくないが、それは日本人に経済力があっての話だ。ところが吉岡さんは、フィリピンの最低賃金で働き、地べたに這いつくばるような生活を送っていた。

 そんな吉岡さんと一緒になった理由について、ロナさんはこう口にした。

  「見た目は怖かったけど言葉ができるので、直(じき)に優しい人だというのが分かったの。よく冗談も言ってくれた。年齢差は特に気にならなかったわ。彼はよく世話をやいてくれる上、自分の話にきちんと耳を傾けてくれるの。逆に彼も自分の話をするし、彼といると楽しいわ」

 フィリピンの在留邦人社会で長らく取材を続けてきた私にとって、「中高年の日本人男性と若いフィリピン人女性の関係=お金」という従来の方程式を根底から覆されるような、「事件」と言ってもいいほどの2人の関係だった。

 そうして息子が生まれ、病気にかかって医療費の工面に手間取ったこともあったが、何とか一家3人で生き延びてきた。ただ、生活に浮き沈みが激しいため、突如として厳しい現実が突き付けられることも少なくない。ロナさんが病気になった時も、高額な医療費の支払いができず、友人、知人の間を走り回って金策した。

 仕事も幼児服のアイロン掛けから、工場で空き瓶を洗浄する仕事、農業などと次から次へと変わり、ドキュメンタリー番組の取材時には鶏の運送業に。最後のロケは昨年末だったが、それから半年近くが経過した最近になってまた、吉岡さんから次のような連絡が入った。

 「会社のボスと喧嘩(けんか)をしてしまい、一緒に働いていたロナとともに仕事を辞めました。現在、2人で就活中です。私にはタガログ語の翻訳の仕事があるようなので、待機しています。まあフィリピンのことなので、あまりあてにはしていませんが」

 吉岡さんのフィリピン綱渡り人生は、これからも続く。

 吉岡さんを取材したドキュメンタリー番組「黄昏れてフィリピン〜借金から逃れた脱出老人〜」は5月26日午後1時40分から、フジテレビのザ・ノンフィクションで放送される予定だ。原作は『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館文庫)。

(ノンフィクションライター 水谷竹秀)


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