全財産1200円まで落ちぶれた実業家の軌跡――京町家の分散型ホテルビジネスを成功に導いた原動力とは?

全財産1200円まで落ちぶれた実業家の軌跡――京町家の分散型ホテルビジネスを成功に導いた原動力とは?

この記事はパーソルプロセス&テクノロジーのオウンドメディア「Work Swtich」より転載、編集しています。

 宿泊業が盛り上がっている京都で宿泊ビジネスを営み、急成長を遂げているベンチャー企業があります。しかし、その創業者は京都に何の縁もゆかりもなく、過去には全財産が1200円という時もあったとのこと。そんな実業家、株式会社トマルバの創業者の1人、取締役 山田 真広(やまだ・まさひろ)さんに、起業など、自分の好きなことを貫き通す上での原動力を伺ってきました。

●電気もガスも止められて、全財産が1200円。それでも新しいビジネスを探し続けた

 日本だけでなく、世界から評価される観光都市、京都。「そうだ 京都、行こう。」というJR東海の有名なキャッチコピーが想起させるように、日本随一の観光地として知られていますが、近年、京都への訪日外国人旅行客が急増しています。

 アメリカの大手旅行雑誌「Travel + Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」が出している世界一の観光都市を決めるランキング「ワールド・ベスト・アワード」で、京都は2012年から6年連続ベスト10にランクイン。2014年、2015年には2年連続で1位を獲得し、最近では京都に泊まりたくても空き宿が見つからず、近隣の大阪、奈良に宿泊する旅行者も出てきているのです。

 国内の大手ホテルチェーンや外資系ホテルはそんな京都の状況を見逃さず、次々と京都に宿泊施設を建設し、ここ10年で京都の観光、宿泊ビジネスは一気にレッドオーシャン化が進んでいます。

 しかし、そんな大企業同士のせめぎ合いがある一方で、京町家での分散型ホテルというアイデンティティーを確立し、急成長を続けているベンチャー企業があります。

 トマルバは「暮らすように泊まる」をコンセプトに、京都に進出してわずか2年で、約50棟の京町家・一棟貸しの宿を市内で運営しています。自社ブランド「宿ルKYOTO」シリーズの宿は、他の民泊宿はもちろん、ホテルと比べても高額であるにもかかわらず、予約が殺到、月間の宿泊率が9割超えするほどの人気ぶり。宿泊予約サイト「ブッキングドットコム」では、利用者から施設や設備、スタッフの対応品質などさまざまな分野で常に高評価を集めています。

―― 今、京都で急成長中のトマルバですが、立ち上げまでの経緯を教えていただけますか?

山田真広さん(以下、山田) 僕個人の話をさせていただくと、新卒で東京のベンチャー企業に入社して、そこで2〜3年働いていました。そのときに今当社の代表をしている芦野 貴大(あしの・たかひろ)と出会ったのですが、僕が独立を考えていた時に芦野も会社を辞めるという話を聞きました。2人とも独立するなら、2人で新しいことをやろうという話になり、東京で「Yummy」という会社を立ち上げて「渋弁.com」という渋谷限定の宅配弁当のサービスをはじめました。

 初めは順調だったのですが、大手が宅配弁当事業に続々参入してきて……資金面なども含めて「これは勝てないな」と思ったのですが、その予感通り、売り上げもあまり伸びず、事業は明らかに失敗していました。

 その時期は、電気やガスが止まり、芦野と2人合わせて全財産1200円とかって時もありましたね。

―― 1200円しかなかったら、会社どころか食事だってできませんよね……?

山田 「渋弁.com」で売っていた弁当の余りがあったので、皮肉にも食べ物だけは困りませんでした(笑)

 そのときは「ここで折れたら負けだ」と意地を張っていましたが、どう考えても普通の状況ではなかったですし、芦野とは毎日けんかしていましたね。けど、芦野とぶつかっていたのも、あくまで「どうすれば成功できるのか」という点においてでした。そんな状況でも何かビジネスの糸口を探そうとして、もがき続けていました。

―― そんな状況にまでなって、なぜ就職などをして安定を取らず、会社経営を続けられたのですか?

山田 どんな形であれ、会社を続ける以外の選択肢が頭の中になかったこともありますけど、安定を取りたかったらそもそも会社なんてやりません。そのときは、どうやったらその状況を解決できるか、ということしか考えていませんでした。

●人との出会いが人生を変えた東京時代

―― その後、1200円しかなかったのに、どうやって会社を続けていったのですか?

山田 結果から言うと、投資家に出資してもらえるようになりました。とある上場企業の社長の方がたまたまFacebookで「今日の弁当何にしようかな」と投稿をしたことがありまして、それを見た瞬間に僕が「2秒で行きます!」と連絡をしたんです。そのあと、芦野に急いで行かせて、無事僕らの弁当を買ってもらえました。

山田 ただ、それだけで終わらずに、弁当を届け終わった後、芦野がエレベーターで1Fに降りているときにふと「憧れていた社長にお弁当を注文してもらったのに何もアピールできていない」と思ったみたいで、再度、エレベーターで上に戻り、勝手にオフィスに入り、仕事中の社員さん一人一人のデスクに出向いて「渋弁です! 割引券ついているのでよかったらお願いします!」って回ったみたいで。それを見ていたその会社の社長の方から「芦野、もともと何かやってたの? 営業すごいな!」とメッセージをもらい、そこからさまざまな方とご縁を頂き、VC(ベンチャー・キャピタル)とお話をさせて頂く中で出資を頂き生き延びました。

―― お二人の行動力が投資家の目を引いたということでしょうか?

山田 今思うと、そうかもしれないですね。決して頭は良くない二人ですが、死ぬ気でやるという点は、負けないと自負しており、投資家からも「本当にお前らしぶといよな。根性だけはあるよな」と言っていただいています。

―― では、そこからどのようにして宿泊ビジネスを始めるようになったのですか?

山田 投資家の方から出資してもらえるようになってから、僕と芦野でいくつか事業を作ってはつぶして、また作るということを繰り返していました。その中でメディアや動画含め、ITにも手を出したのですが、結局ITだけで勝負するよりもITを絡めたリアルビジネスが向いているだろうという結論になり、民泊事業に目を付けたのが宿泊ビジネスに携わるようになったきっかけです。

 試しに新宿で民泊運営を1軒だけやってみたら思いのほかうまくいきまして、結果的に新宿で半年の間に50軒くらい一気に宿を増やして事業化を進めました。

 ただ、民泊をさせてくれる物件を探すのが大変で、不動産屋を合計2000件くらい回ったり、寝ないで家具をずっと組み立てるなど、途方もない苦労もありました。

●京都で再びゼロからの挑戦

―― そのときは民泊事業で京都に進出することは考えていなかったのですか?

山田 そうですね。京都に来ることは全然考えてなかったです。ただ、東京で民泊やっていく中で一番感じたのは、他の宿と差別化をするにも、できることが限られているということです。20平米前後のマンションの一室で、かわいい天蓋付きのベッドを置いたり、とにかくスタイリッシュな部屋にするとか、いろいろとコンセプトのある部屋を作りましたが、模様替え程度のことしかできません。

 表面的な誰でもできるようなことではなく、自分たちにしかできない明確な差別化ポイントが無いと価格競争に巻き込まれて、いずれ厳しくなるとずっと不安がありました。

 その後、民泊に関する法律を調べているうちに、民泊宿への宿泊日数の規制など、事業を続けるうえで厳しい状況になっていくことが分かり、新宿からは撤退し、やっていた事業を売却しました。

 ただ、これまで培った民泊のノウハウを全て捨てるのはもったいないと考えているときに、たまたま代表の芦野と京都に来る機会がありまして、そのときに芦野が京町家にすごくほれ込んだんです。

 「京町家という歴史的なコンテンツそのものに価値がある」「内装や間取りも含めて、一から自分達でデザインしプロデュースできる」「空き家を再生し地域を活性化できるので、地域創生につながる」という3つの観点から民泊やホテルとは違う差別化ができると感じ、京町家の分散型ホテルで勝負しようと決めました。

―― 京都に移ってからはどのようにして町家事業を始めたのですか?

山田 縁もゆかりもない、何も分からない状態で京都に来ているので、苦労の連続でした。

 町家は建物自体がとても古く、不動産的価値がほぼゼロと判断されてしまうことが多いので、銀行からの融資が下りない場合が多くあるんです。しかし、町家を買って大掛かりなリフォームをするとなるとそれなりの金額になるので、どうしても資金は必要になります。なので、京都中の銀行を200件ほど回って、頭取に手紙を書いたりとあらゆる手を尽くして資金調達をしました。

 そんな苦労の末、なんとか資金の都合がついて、最初にプロデュースしたのが「和紙ノ宿」なんです。一軒目ができたあとは、実績をアピールできるようになったので営業しやすくなったのですが、融資の問題はずっと付いてきています。

 今は金融機関の融資に頼らない形で、クラウドファンディングやファンド、大手企業と一緒に京町家の宿泊施設の開発を進めたりもしています。

●続けてこれた原動力は、信頼してくれる人の存在と、ただ「楽しかった」から

―― 本当に苦労続きですね……

山田 僕ら2人を信頼してくれた投資家の存在が支えになって、「せっかく僕らを救ってくれたのに、こんなところで折れていられない」と今まで踏ん張ってこれました。

 また、僕個人で言えば、一緒にやっている芦野への恩もありました。もともと僕と芦野で一個850円のお弁当を売っていたのが、今は社員、アルバイト総勢で40人ほどの規模になり、一棟5000万円、1億円の町家を取り扱えるようになった。けんかが絶えないときもありましたが、やはりここまでやってこれたのは決して僕一人の力ではありません。

 今まで走り続けられた理由として、そういうような「人との関わり」はとても大きいですね。

 それと、僕も芦野も、どんな状況であっても自分たちがやっていることをただ単に楽しいと感じていました。そして、楽しいと感じられることなら、どんな状況になっても、乗り越えられると思うんです。

―― 山田さんや芦野さんのように、何かに挑戦する時の第一歩ってどんなことを気を付けるべきでしょうか?

山田 自分が「楽しい」と思えるものがまだないのなら、無理に独立したり、挑戦する必要はありませんが、もしあるのなら、段取りなんか気にせずにまずやっちゃえばいいと思います。

 正しいやり方が分からなくても、やっていくうちに学ぶことのほうが多いですし、行動している人には誰かが手を差し伸べてくれます。

 その過程でどんなことがあっても、諦めずに前進し続けていれば、いずれなんとかなるんですから。

山田 真広(やまだ・まさひろ)

1988年石川県生まれ。株式会社トマルバ取締役。宿ルKYOTOをはじめ、京町家の分散型ホテルのプロデュース・運営・管理を行っている。

現在株式会社トマルバでは、エンジニア、デザイナー、プロデューサー、セールス、マーケティングなどさまざまな職種を募集中。

(取材・文/タカダ ショウゴ、転載元/Work Switch)


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