ヤリスの向こうに見える福祉車両新時代

ヤリスの向こうに見える福祉車両新時代

 さて、トヨタにとっての大勝負でもあるBセグメントプラットフォームの頭出しとなる、ヴィッツ改めヤリス(ただしプロトタイプ)の試乗会が、袖ケ浦フォレストレースウェイで開催されて、クルマの出来に驚いたというのが先週の話。今回の話は福祉車両のことだ。

 まあサーキット試乗会なのに福祉車両の話をするあたりが筆者の変なところだが、トヨタのビジネスのみならず、社会的にもとても重要なことなので、しっかりと取り上げたいのだ。

●高齢者からクルマを取り上げたとき

 さて、還暦もそう遠くない筆者の周りでは、いまや最大関心事が親の介護だ。筆者の場合、母はずいぶん早くから脳梗塞の後遺症で寝たきりとなり、5年前に他界した。そして今、昭和10年生まれの父が介護施設に入所中である。そこへ入ってもらうまでがまた大変だったのだが、それは本稿とは別の話なので全部端折って、クルマを手放した時の話をする。

 実感として、80代の人が生きていくのは、それまでとは違うレベルで制約が多くなる。当たり前にできることができなくなる。クルマの乗り降りも大変だ。それでも自分でクルマを運転できていた頃は、買い物に出掛けたり病院に行ったり、自分の面倒を自分でみることができた。

 しかし80歳のとき、筆者が助手席に乗って、父の運転が少し怪しくなっていることを本人に告げた。具体的にはペダルの操作が乱暴になっていた。加速もブレーキも加減ができず一気に踏み込んでしまう。慎重な性格なのでまだマシだとはいえ、この踏み方だと、自分が作り出した加速にびっくりして踏み間違いが起こらないともいえないと思って注意を喚起した。

 次の誕生日、父は免許を返納した。それはそれでとても立派な判断だと思ったが、そこから父の生活が激変する。病院も買い物もタクシー利用なので、どうしても頻度が落ちる。

 タクシーを使うほどではない距離でも、買い物をすれば重い荷物を持って歩かねばならないから、だんだん行かなくなる。無論お届けサービスなどもあるのだが、利用する気がない。制度をいろいろ用意しても、その変化自体が苦痛なので解決にならない。本人は今までの習慣で生きていきたいのだ。

 この年代になると友人の多くはすでに他界しており、存命でもおいそれとは出掛けられなくなる。離れてはいても電話を使って唯一の話し相手だった実弟とも、飲みながら話をしていてつまらない事で喧嘩別れしてしまう。家族がクルマで連れだそうとしても、トイレの我慢が効かなくなって、家から出るのを嫌がるようになる。

 そうやって数年をかけて一歩ずつ社会から隔絶されて行った結果、父は自分の時間管理の規律性を失った。好きな時に寝て、好きな時に起き、好きな時に飯を食う。そして暇潰しに酒を飲む。そうやって父は壊れていった。

●公共の安全と高齢者

 飲酒の習慣がそもそもない筆者には想像も付かないことだが、暇潰しに酒を飲むということは飲酒時間が長いということだ。暇だけは持て余すくらいあるので、ウィスキーを2日で1本空けてしまう。

 ただでさえ筋力が衰えて足取りがおぼつかないのに、それだけ酒を飲めばときどき転ぶ。その先に待っているのは大腿部転子部骨折で、それは寝たきり生活への最短コースだ。家族は一時も目が離せなくなった。転倒防止に歩行器を導入したが、家族の目を盗んではそれを使わずに歩こうとする。

 そして、飯を食わなくなった。見る影もなくやせ細り、ついに体重は36キロまで落ちた。家族そろって何とか食い物を食わせようとするが「お前らそうやってガミガミいうけど、年寄りなんだからそんなにたくさん食えるわけないだろう」と、本気で反論する。

 しかしこっちは1日のカロリー摂取量を把握しているのだ。食事を嫌がるようになってからは、調理する時間を待てない。作っている間に「疲れたから横になる」と言って部屋に戻ってしまう。だからすぐに用意できるものでないと食ってもらえない。しかたなく本人が好きなレトルトのおかゆを食わせるのだが、それこそ「食わないと死ぬぞ」と脅して、怒って怒鳴ってもそれをせいぜい3口ほど。

 比較的時間が自由になる筆者も、父の好物を買いに出掛けたり、料理を替わったりと、それなりに負担を分担の努力はしたが、介護の主役となって一日3食戦っていた実妹は徐々に心が折れ、限界を口にし始めた。

 家族総出でそれだけやって、1日のカロリー摂取量はせいぜい80キロカロリー。「年寄りだからそんなに食えない」というにはどう少なく見てもケタが一桁違う。せめて1000キロカロリー、割り引いても800キロカロリーくらいは食ってもらわないと生命維持が危ぶまれる。

 病院で処方してもらった栄養補給液「エンシュアリキッド」で対応しようとしても、甘すぎて飲めないと断固口にしない。そうして、クリスマスの前夜、日付が変わる頃、父は遂に痙攣(けいれん)を起こし、病院へ搬送された。せっかく一度退院しても同じことを繰り返し、そしてついに施設入所以外の選択肢がなくなった。

 さて、ここまでの長い話はつまり何を目的としているかといえば、生活からクルマが消えた場合、高齢者はクルマのない新たな生活パターンを構築することができないという、1つの実例である。筆者の実家の場合、神奈川のそれなりの都市部で、かつまだ家族がそれなりに補助をできる状態なので、クルマなしでもそれなりに生活が成り立つ方だが、それでもクルマと共に失った穴は埋まらない。一般的に、高齢者は今までと違うやり方を受け入れないから、失うと取り返す方法がない。

 もちろん高齢者の事故は大きな社会課題であって、看過していい問題ではないのだが、これがもっと過疎地域で、家族が近くにいない場合、クルマと共に失う生活は極めて大きいだろう。もちろん運転ができないほど判断力が低下した人に、運転をさせるわけにはいかない。しかし、その能力を可能な限り補助して、自助生活を成立させることは、日本全体をマクロに見たとき極めて重大なことだと思う。

 自助生活を取り上げることはすなわち、介護生活を余儀なくされるということだ。それは福祉予算の限りない膨張を産むだろう。現役世代はこれ以上の福祉予算の拡大をどこまで支えられるのか?

●ウェルキャブシリーズではない福祉仕様

 従来からトヨタは、ウェルキャブシリーズと名付けた介護車両のシリーズをラインアップしていた。特にTNGA以降、介護車両へのコンバートに必要な構造要素はクルマの基礎設計に織り込まれるようになった。

 それ以前は、出来上がったクルマをどう改造するかが出発点で、多くのケースであちこち切断したり溶接したりという重作業が加わる。それはクルマの衝突安全などへの影響が懸念される上、利用者の大きな費用負担を意味するものだった。

 TNGA以降、ポピュラーな改造のための仕様が、基礎モデルに組み込まれるようになり、コストと使い勝手が一気に向上した。

 それを今回のヤリスではまた一段推し進めたのである。背景には「ウェルキャブシリーズ」が福祉車両の代名詞的に有名になった結果、利用者によっては「福祉車両専用モデルの購入は大げさだ」と感じるようになったことがある。当人にまだ介護が必要という自覚がないのに、ディーラーでカタログの介護専用車両ページをドンと広げられては、居心地が悪い。

 業界側の話としてはこれまで、介護車両は型式認定を取得していなかった。つまり新車であっても1台ずつ持ち込んで検査を受けなくてはならない。そして、役所の通達によって、型式認定取得車とそれ以外を、カタログの同じページに載せるのはまかり成らんという指導もあった。その結果、介護車両はカタログの末尾にまとめて掲載するしかなく、それが軽微な障害を持つユーザーの精神的抵抗となって、利用促進を阻むことになっていたのだ。

 今回のヤリスでは、回転シートを、サンルーフやオーディオと全く同じようにオプションとして扱う形に改め、型式認定を取得した。だから通常モデルのページに極めて普通に掲載できるようになった。

 介護というのは、日々衰えていく高齢者との戦いだ。今は普通に乗降できても、明日はそれが難しくなり、次にリフトが必要になり、最後は車椅子やストレッチャーごとでないと乗れなくなる。そうやってシームレスに状況は進んでいく。だから、オプションで気軽に選べ、なおかつ、簡単に部品交換で後改造が可能なことは極めて大事なのだ。

●トヨタの戦略としての高齢者対策

 さて、ではなぜヤリスなのか。スペースのあるノアやRAV4の方が車椅子の収納も楽だろう。しかし現在着実に増えつつある老老介護の場合、さまざまな都合でコンパクトカーが選ばれることが多い。だからヤリスにこそこういう仕様が必要なのだ。

 ヤリスの回転シートはよく考えられている。シートが回転するのは前後スライドの特定位置でのみだ。足を挟んだりぶつけたりすることを考えれば、安全上これは当然の措置だが、まずスライドがこの位置でワンタッチで止まるようにした。

 そして、シートの回転については、一軸ではなく4リンクを組んで、運転席の場合は左後ろ角を中心に、右が後退するように回転を始める。膝をぶつけないためだ。その回転は途中からリンクによって軸を移し、右後ろ角を軸に変えてシートの前端部がドアの外にせり出して行くように回る。しかもその際に、シート前部が下がるチルト機構が組み込まれている。

 操作アクション全体を通して見ると、まずはスライドをワンタッチで回転位置にセットし、そのアクションによってポップアップして現れる回転レバーを一度引く。手を離してシートを回すと、足先がサイドシルを越えた所で一度止まる。そこで両足をさばいて地面に付け、もう一度レバーを引くとシート全体が車両の外へ出ながらチルトする。そこから立ち上がるにはもうほとんど筋力を要さない。

 しかもこれだけの仕掛けを、シート座面高を変えずにシート下に収納し、スライド幅もノーマルシートと全く変わらない25センチを維持した。さすがにクッション圧は削られているが、その分はクッション材で補完してあるという。開発者の熱意が伝わるではないか。

 そして車椅子用のリフトだ。こちらが面白いのは、車両側への改造がいらないことだ。変形パンタグラフ式の電動リフトは、前端のみシート回りのアンカーに固定されており、後ろ側は置いてあるだけ。動作中も走行中も自重で常に下へ向かって力が掛かっているので、無理して改造して固定する必要がない。だから後付も取り外しも可能だ。重量があるので、日々付け外すというわけにはいかないが、ディーラーに行けばいつでも追加できるしノーマル車両に戻せる。

 実際の車椅子の積み下ろしを見たとき、介助者の筋力とコツを要さない仕掛けであることに感心しつつも、リヤシートをたたんで装着する点について、危惧した。これだと車椅子を積まない時にもラゲッジが使えない。

 そこで思い出したのが、ダイハツのDNGAによるクレーンだ。収容時にはほぼスペースを食わないあちらの方が優れているのではないか。しかしすぐ違いに思い至った。ダイハツの場合、車両がタントで、垂直リヤゲートを持っているから天井にクレーンアームを取り付けられる。ヤリスのように傾斜したリヤゲートで同じことをやろうとすると、ものすごく長いアームでないと使えない。そうすると構造的にテコが長くなって、取り付け部に極めて高い強度が求められるし、長大なアームの収容にも工夫がいる。

 加えてトヨタの説明によれば、クレーンタイプは、つり上げた車椅子の揺れを、作業者が押さえなくてはならない。電動ウィンチの操作をしながら揺れを押さえるのは大変で、特に筋力の衰えた老老介護を考えたときには、それはちょっと使い勝手が悪い。もちろん収容時のスペースユーティリティに問題がないとは言わないが、どちらを優先するかはユーザーの状況によるだろう。

 いまや世界の先進国は、米国などの一部例外を除けば、高齢化問題に直面している。特に欧州は日本同様、深刻な状況だ。そして欧州には、ウェルキャブシリーズのようなメーカーが作り込んだ介護車両は存在しない。欧州ではサードパーティの介護車両改造メーカーが社会的にリスペクトされており、メーカーと二人三脚で介護車両を制作している。部品供給面などでも便宜が図られて独特の地位を築いている。

 しかし、そうやって2つの企業をまたがれば、機能をあらかじめ設計に織り込むことなど不可能だし、改造を要する部分が増える分コスト的にも不利になる。これから日本を見習おうとしても、すでに力を持っている業者を説得するのは難しいはずだ。社会問題の解決に尽力してきた企業に対してではあるが、言葉を選ばずに言えばそれは利権なのだ。

 トヨタのコンパクトカー・カンパニーは、ダイハツとの住み分けを命じられた。新興国の小型車はダイハツ、先進国の小型車はコンパクトカー・カンパニー。つまりトヨタは日本と欧州と米国で戦わなければならない。

 先進国に通底する高齢化社会への対応として、日本以外のどこでも取り組んでいない福祉車両技術は、欧州戦略に向けた大きな武器になるように思う。

(池田直渡)


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