僕はよく、ほかの人から「メンタルが強い」と言われます。ネット上で叩(たた)かれても、かつて立ち上げたネット掲示板、「2ちゃんねる」に関連したいろいろな訴訟案件を抱えていても、どうやら、周りの人たちには、全然気にしていないように見えるみたいです。僕自身はべつに、特段自分が、強じんなメンタルを持ってるとは思ってないんですがね。

 こんなふうにいうと、ちょっと語弊があるかもしれませんが、僕は、周囲にいる人たちを基本「見下しモード」でながめています。「自分は自分、バカはバカ」と考える。このモードでいると、他人に攻撃されてもそんなに気にならず、ストレスフリーで過ごすことができます。

 心の持ち方のコツをつかめば、人との距離をうまく取って、余計なものに振り回されないで気分よく生きていくことができます。そしてそれは、それほど難しいことではないのですよ。

 近著『自分は自分、バカはバカ。 他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』(SBクリエイティブ)は、職場などの生活圏、ネット、社会の至るところに普遍的に存在する、「他人を攻撃する迷惑な人」と賢く距離を取り、スルーする方法について、僕自身が普段やっていることをお伝えするものです。

 「一人勝ちメンタル」を手に入れる、最強のテクニック22から3回にわたって職場での生き抜き方をお伝えします。第3回目は職場の「同調圧力」を乗り越える方法についてお話しします。

●あなたが「人と自分を比べてしまう」ワケ

 日本人は特に、自分に自信がなくて、自分が周囲からどう見られているか気になって仕方がない……という人が多いですよね。ほかの国の人たちと比べて、日本人は「隣の人」と「自分自身」を比べがちです。そういう「他人との競争」って、=「お金を使う競争」に帰着してしまっていると思うのですよ。

 日本人ってだいたい黒髪で、同じような肌の色、目の色、身長で、外見上そんなに大きくかけ離れていないから、服装とか「パッと見で差別化できる部分」に消費することが、自分の個性を出すことと結びついているんだと僕は思っています。例えば移民が多いアメリカだと、目の色も肌の色も髪の色も違うので、服装とかで他人と自分との比較をそもそもしません。

 前に、日本の女子大生が集まった集合写真を外国人が面白がっていたのを見たんですけど、彼らが面白いと言っていたポイントは次のようなところでした。

・みんな同じような服装なのに、微妙に違う

・髪型が同じような茶髪なのに、ちょっとずつ違う

 女性ファッション誌なんかを見ていると顕著ですが、「流行」というベースに、ちょっとずつみんな合わせないといけなくて、その流行が廃れたら、また別の流行にエンドレスで投資し続けるというサイクルがあります。

 そのサイクルに乗っかり続けるためには、半永久的にお金が必要になります。日本人は同調圧力が強い、っていうのはよくいわれますけど、これって「意識レベル」だけじゃなくて、「外見レベル」に関してもかなり根強いですね。

●日本特有の現象「横の人に合わせないと……」

 例えば、ゴスロリ系ファッションが好きとか、パンク系ファッションが好きな人って、少数派でしょう。多数派がおしゃれと評価する服装をしている人は平均的な人で、そうじゃない人は少数派のちょっと変わった人っていう見方をされるというのはよくあります。これってかなり特徴的な日本の現象だと僕は見ています。

 アメリカやフランスでは、いろいろな人種や民族の人たちが集まって社会を構成しています。そうした中では「メインカルチャー」的なものは存在しません。すると、日本のようにみんなが一斉に同じことをするということもないんですね。

 日本だと、大学生になったら「Can Cam」「JJ」を読みましょうみたいな風潮もあったりしますが、海外だとこういう雑誌文化もそもそもなくて、だいたいみんなTシャツにジーパンで安い服を着ているか、こだわりがある人はスポーツ系の人だったらキャップかぶってポニーテールにしてとか、そういう感じですね。

 日本みたいに、「横の人に合わせないと……」っていう考えは最初からないんですよ。アメリカでは、子どもの教育プロセスで「ほかの人とは違うユニークな個人であれ」ということをずっと教え続けます。

 僕はこれ、たぶん西部開拓時代の価値観が根底にあると思うんですよ。誰もやってないところに行って自分の場所を作って、村を作り、町を作り……。アメリカという国自体が、誰かのまねをして同じ場所に行くんじゃなくて、誰もいない場所に自分の旗を立てるというプロセスをたどって発展してきたわけですしね。

●他人との距離が近すぎる「人口密度の高さ」のワナ

 そして、日本特有の同調圧力の元は「人口密度がやたら高い」というのもあると思います。人間同士、距離が近すぎると、周囲の人たちを認識しすぎてしまうので、過去に何をやった誰か、っていう世間体らしきものを見いだしやすくなるわけなのですよ。

 アメリカの場合だと、人口も多いし、なおかつ国土もでかいので、州をまたぐと誰がいるかなんて、もう分からない。基本、「隣にいる人」を認識しにくい環境なわけです。そういう世界では、過去に失敗した人であっても、場所を変えればすぐ再チャレンジできます。でも、日本の場合だとこの人はこういう人ですよっていう履歴を置きたがる。そうすると過去に1回失敗した人は二度と這い上がれないみたいなキツい状況になりがち。

 すると二度と失敗をしないためにエネルギーを使うようになるわけです。僕たち日本人が「気にしすぎ」な原因はこういうところにもあると思います。

●「嫌われ慣れ」していない人が陥るパターン

 こういう日本社会では、他人に嫌われるのが怖くてつい周りに合わせてしまう。そして、その結果ストレスを感じる、という人はけっこういますよね。とはいえ、他人から嫌われない人なんて存在しません。まずは、そのことを受け入れましょう。

 実をいうと、僕も5年くらい前までは、他人から絶対に嫌われない「例外的なポジション取り」ができるんじゃないかと思ってました。例えば、『五体不満足』(講談社)の乙武洋匡さん。彼は身体的なハンディキャップを背負った上で、さまざまな活動や発言をしています。あの人は嫌われたり、公の場で罵倒されたりするようなことにはならないだろうな、と僕は思っていたわけです。

 ところがある時、乙武さんにマスコミがバッシングを浴びせました。このあたりから、彼のことを嫌いだという人がすごい勢いで出てきたんですね。

 かつて例外的ポジションにいた乙武さんですら叩かれるのですから、もうこれは、どんな人も嫌われることは避けられないと、僕は確信したわけです。タレントにしても、すごいイケメンならイケメンであることを理由に嫌われる。美人は美人であるから嫌われる。それに比べたら、イケメンでも美人でもない一般市民の嫌われ度合いなんて、そこまで高くないと思うのですよ。

 「人に嫌われるのが怖い」という人は、嫌われた経験があんまりない、「嫌われ慣れ」してないだけなんじゃないですかね。SNSならともかく、最近はリアル社会で面と向かって他人ともめたり、嫌われたりする機会が減ってますし。

●嫌われるデメリットを「定量化」してみる

 嫌われることが怖いという場合は、「嫌われることによって生じるデメリット」を定量化して把握しておくのが得策です。社会には至るところに競争があり、競争の結果、妬(ねた)みや恨みが発生することはどうしようもありません。仕事で頑張ってすごくいい営業成績を上げたのなら、あまり成績のよくない人から妬まれる。マイペースで仕事をしていたら、いつものんびりしやがってと嫌われる。

 とくにこちらが何か害を及ぼしたわけでなくても、他人を攻撃するような迷惑な人たちも、残念ながら一定数はいます。そんなわけなので、誰からも嫌われないように振る舞うことはできません。身近に自分のことを嫌っている人がいると居心地が悪いのは分かりますけど、嫌われることは「ゼロ」にはできないのですよ。

 もし、自分を嫌ってくる相手から実害がある場合は、週何回くらい悪口を言われるのか、悪口の程度はどんなものか、どういう嫌がらせをされるのか、などを、きちんと記録しましょう。

 記録を取ってきちんと定量化しているのであれば、上司に状況を報告して異動願を出すとか、しかるべきところに訴えることだってできます。最近は、パワハラ訴訟で損害賠償を勝ち取ることも珍しくはなくなっていますよね。

 そして、実害がないのであれば、できるかぎりスルーするのが吉です。実害はきちんと記録、たんに感情的な問題なら「世の中そういうものだ」と受け流しましょう。

 幸いにして僕はものすごく記憶力が悪いので、人に嫌われてもしばらく経(た)つと何で嫌われたのか、理由をすっかり忘れてしまったりします。そして僕自身も誰かを嫌うことはあったりしますが、理由を忘れてしまって、平気であいさつしてしまうこともよくあります。相手は相当驚きますけどね。この人を嫌いとか嫌われているとか、そういうことをずっと記憶しているよりも、そんなものだと思って過ごすと、ストレスが少なくていいですよ。