去る1月25日、通信大手ソフトバンクの元社員が社外秘の情報をロシア通商代表部の職員に渡していたとして逮捕された。その6日後、今度は大手電機メーカーのNECが外部からの不正アクセスによって情報流出の被害を受けた可能性があることが報じられた。

 後者が典型的なサイバー攻撃なら、前者もまた典型的な諜報活動である。人間関係を通じて情報を盗みとるスパイの基本は今も変わらない。そしてロシアを始めとする各国情報機関はその基本を忠実に守っている。

●ビジネス交渉術にも通じる「スパイのスキル」

 映画やドラマでしか聞かない「ロシア・産業スパイ」が実は、市井のサラリーマンとも無縁でないことを示した今回の事件。彼らの歴史や能力をひもとくと、そこには意外にもビジネスの交渉術にも似た世界が見えてくる。

 今回、取り沙汰されたロシア通商代表部は、その前身を日ソ通商代表部と言う。1958年、日本と旧ソ連で交わされた「日ソ共同宣言」に基づき設置された貿易窓口である。大使館や領事館と同じく外交特権で守られており、それゆえに職員数も政府間で取り決められている。代表と代理2人を除いた上限は22人である(※「日ソ通商代表部の設置に関する交換公文」【1958年6月23日】外務省)。 

 今回ソフトバンク元社員から機密情報を受け取ったとされ、警視庁公安部に出頭を求められていた ロシア側職員であるアントン・カリーニン代表代理(52)はすでに出国しており、日本に再入国することはないだろう。“スパイ”だったとみられる彼の情報は、米国やNATO諸国(北大西洋条約機構)とも共有されるはずである。身分を偽らない限り、彼が西側諸国で再び活動する可能性は極めて低くなった。

 ロシアの情報機関には「SVR(ロシア対外情報庁)」と「GRU(参謀本部情報局)」の2つがある。SVRはソ連時代の情報機関「KGB(国家保安委員会)」から、外国での諜報活動を引き継いだ部門であり、GRUはロシア革命にまでさかのぼる軍の情報機関である。両者は独立しており、敵対していた時代もある。ロシア政府は、現在もライバル関係にある2系統の組織をうまく活用することで情報の信頼性を高めている。

●日露戦争で活躍「伝説の日本人スパイ」

 そのロシアと日本との接点は江戸時代にさかのぼる。1808年、幕府の命を帯びて間宮林蔵(1780〜1844)が樺太(サハリン)を探検し、島であることを確認した。正確な地図作りは情報活動の基本である。インターネット普及以前、全国の詳細な地図を誰もが自由に購入できる国は日本ぐらいであった。諸外国では通常、地図の作成と管理は軍の管轄である。

 明治時代に入ると日露戦争が勃発(ぼっぱつ)する。超大国ロシアを敵に回すことになった日本は、背後からロシアを弱体化させようと諜報活動を開始する。その中心人物が明石元二郎(1864〜1919)である。

 明石は「欧州方面駐在参謀」という正式な外交官であった。このような人物を情報機関では「リーガル」と呼ぶ。合法的に入国し、外国にあっても法の保護を受けられる身分である。今回のロシア通商代表部と同じだ。一方、明石はロシア各地に外国人からなる情報収集グループを配置した。彼らは文字通りの工作員で、国籍を偽る場合もあることから、非合法を意味する「イリーガル」と呼ばれる。

 国によって若干の違いはあるが、外国における情報活動の基本は、リーガルが司令塔となってイリーガルをコントロールし、現地の人間をリクルートしてスパイ網を構築することである。

 そんな明石の活動は、特筆すべきものであった反面「ロシア革命を影で支え、ロシア帝国崩壊をもたらした」という伝説を生むことになった。伝説は慢心を生み、今度は大日本帝国に破滅をもたらす。

●「派手さ」で日本人欺いたソ連スパイ、ゾルゲ

 その切り札となったのがリヒャルト・ゾルゲ(1895〜1944)である。

 彼はドイツの通信社特派員として来日し、ナチス党員という立場を利用して日独の政府関係者から信頼を得た人物だが、その正体はソ連で訓練を受けた筋金入りのスパイであった。快活で社交的、大酒呑(の)みで女性関係も派手。一般的に情報部員は地味で目立たない方が好ましいとされるが、ゾルゲは極端に目立つことで敵を欺いた。

 その最大の功績は、日米開戦の情報をつかんだことである。つまり、日本はソ連には侵攻しない。当時ドイツと死闘を繰り広げていたソ連は、この情報に基づいて極東地域の戦力を西へ振り向け、戦争に勝利する。しかし、ゾルゲ自身はその勝利を見届けることはなかった。1944年、日本の官憲に逮捕され、死刑を執行されたからである。彼の墓所は東京の多磨霊園にあり、今もロシア大使館関係者が墓参に訪れる。

●「相手の得意分野」でわざと間違う

 さて、ゾルゲの諜報活動が成果を挙げたのは、政府中枢に近しい人物を情報提供者にすることに成功したからである。スパイとは本来、この情報提供者のことだ。

 諜報部員は目的の情報にアクセスできる人間を選び、注意深く観察する。経済状況、趣味、家庭内の事情、上司や部下との関係、職場での権限の範囲などである。親しくなるための方法は膨大なパターンが研究されており、マニュアル化されている。

 知り合うきっかけは偶然を装う。どこかのレセプション会場で「ウーロン茶と水割りを間違えてしまった。バーテンダーは取り換えてくれるでしょうか?」と困り顔で話しかけてくるかもしれない。ビジネスの現場で、無下に断るのは難しいだろう。

 ある程度、親しくなると、彼らはささやかな情報をリクエストする。最初はインターネットで簡単に見つかる程度のものである。「そのぐらい検索すればいい」と返されたら「自分は日本語が得意ではない」という言い訳がある。片言しか話せない外国人に対しては、誰もが必要以上に饒舌(じょうぜつ)になる傾向があるからである。

 相手の得意分野について、わざと間違ったことを言うのも効果がある。SNSで間違った知識を得意気に披露すれば、たちまち大勢の人々が正解を書き込む。それと同じである。

 しかし、だからといって特定の情報にこだわるような態度は見せない。メモをとることも無い。相手に自由にしゃべらせ、有益な情報を記憶し、拾い集めて組み立てる。報酬は次第に上がり、要求する情報は高度なものになっていく。

 一方、スパイ(情報提供者) になる側は、いくつかの動機に分けることができる。

●スパイの武器は「銃よりも“誠意”」

 典型的な動機は「金銭」である。ギャンブルや女遊びに傾倒している人物は狙われやすい。その次は意外に思われるかもしれないが「冒険心」である。そもそも諜報活動に興味があり、スパイに憧れているような人物だ。子供じみた動機に見えるが、仕事熱心なジャーナリストなども広義にはこのタイプである。相手の差し出す情報に目がくらみ、独自の情報源を持っているという「特権意識」に抗(あらが)えなくなってしまうのだ。

 そして最後は「友情」である。

 ただでさえ情報部員は例外なく好人物である。誠実で情に厚く、義理堅い。個人的な悩み事にも真剣に耳を傾ける。

 とある日本人は、入院中の妻の医療費を工面するために情報提供をしていたが、妻が病死して以降も情報提供をやめなかった。ロシア側エージェントが「奥さんは亡くなっているのだから、もう情報を受け取るわけにはいかない」と申し出たにもかかわらずである。

 これはロシア側の計算か、友情か。

 おそらく両方である。沈着冷静に任務を遂行できなければ、スパイ失格である。しかし、ごく自然にこうした言葉が出てくるぐらいにリスペクトがなければ、相手の心に入り込むことはできないであろう。スパイの極意とは、まさしく砂地に雨粒が染みこむように、相手に浸透することなのだ。そこには銃撃戦もカーチェイスもない。今日も彼らは世界中のあらゆる場所で、本物のまごころと誠意を武器に目標の心に忍び込もうとしている。

津久田重吾(つくだ じゅうご 小説家・ライター。旧ソ連圏を始めとしたミリタリー系の著作を執筆・監修)