新型コロナウイルスの感染拡大を受け、テレワークを導入する企業が増えている。しかし、社員の働きぶりを直接見ることができないことから、導入企業の多くが悩んでいるのが、

「社員がサボっているのではないか?」

「仕事の進捗状況が把握できないのでは?」

「社員の顔が見えず、コミュニケーションが困難になるのではないか?」

といったテーマだ。

 そしてまさに先般、同様の悩みを解決する(?)方法を扱った報道が話題となった。概要としては以下の通りだ。

・テレワーク実施企業の中で、「社員の勤務状況を管理するためのシステム導入」が広がっている

・具体的には、PCのデスクトップ上に、「着席」「退席」というボタンがあり、業務の開始/終了時や休憩時にそれぞれクリックするだけで、自動で勤務時間を管理するもの

・また、社員が「着席」ボタンを押して仕事をしている間、PCの画面がランダムに撮影されて上司に送信される仕組みもあるため、自宅で働く社員に一定の緊張感を持ってもらう効果がある

 ちなみに当該記事中で、このシステムを利用している上司は「システムを通じて働きぶりが見えるため今のところテレワークは順調だ」とコメントしていた。確かに「自動勤怠管理機能」は便利かと思われるものの、ネット上では「作業画面自動送信機能」については「管理というより『監視』しているだけでは?」「これじゃ『リモートワーク』ではなく『リモートコントロールワーク』だ」との反応もあった。

 オフィスへ出勤し、上司の目が届く範囲で仕事をするのであれば、社員の働きぶりは一目瞭然。しかし、テレワークにおいてはそれが物理的にチェックできないため、「とにかく社員を細かく管理しよう」という考えに至ってしまうことは仕方ないのかもしれない。実際、テレワークに踏み出そうとする企業経営者から「社員がサボるのでは……?」という心配や相談はよく伺う。そんなとき、私はこのように回答している。

「それはリモートワークのせいじゃありません。サボる人は出勤していようが、リモートワークであろうがサボります。『サボる』ことを過剰に問題視することが問題なんです」

●「サボらないこと」はそんなに重要?

 これは別にサボっている人を擁護するわけではない。「サボっているかどうか」という仕事の「プロセス」部分ばかりを気にするあまり、本来重視すべき仕事の「成果」を見失っていやしないか? と申し上げているのだ。サボっていても成果を出せていれば問題ないし、サボらず真面目に勤務時間をいっぱいまで使って仕事に精を出しても、最終的に成果を出せないならばそれは問題だ。すなわち、サボることを過剰に問題視する会社や経営者・管理職は……

・それぞれの分野における「仕事の成果」について、定義も測定も評価もできていない

・「成果を出す」ことについて、社員への動機付けや督励がない

というような状況であることが想像される。いわば、手段(サボらず真面目に働くこと)と目的(成果を出すこと)が入れ替わっている状態なのだ。

 モノづくりや販売など、「投入した時間」がある程度成果につながる仕事を除けば、多くの事務仕事の成果は「時間」ではなく「結果」で測られるべきだろう。こなすべき仕事量が一定であれば、「ダラダラ残業しながら10時間かけてやる人」と、「効率的に進めて6時間で終わらせる人」では後者のほうが明らかに結果を出している。しかし、これまでの「オフィスに出社し、9時から17時まで仕事をする」スタイルの働き方では、前者のように残業したり休日出勤したりして、いかにも「常に仕事に取り組んでいる」様子を示すことが「仕事熱心」と捉えられてしまう。逆に効率的に仕事をすると「手抜きしている」「ヒマそう」と判断され、かえって「手が空いてるならこれも」とさらに仕事を積み増されるなど、割に合わない目に遭うことも少なくないようだ。

●監視はテレワークを骨抜きにする

 その点テレワークなら、しっかりと成果さえ出していれば、サボっていようが何をしていようが問題ないはずだし、「効率よく仕事を終わらせて、空いた時間を自由に使おう!」という意識を持つことが生産性を高めることにもつながるはずだ。

 にもかかわらず、今般報道されたように在席を強要し、「サボっているか否か」の監視のためにシステムや上司のリソースを割くような形では、従前の「オフィスに出社して9時〜17時の間働く」というスタイルと何ら変わらず、テレワークの意味がない。このような体たらくでは、日本企業の生産性など一生高まらないし、無駄なだらだら残業を排した「成果主義」は根付いていかないのではないか、と暗たんたる気分になってしまう。

 そもそも「成果主義」とは、組織において業務の成果のみを評価して、報酬や人事を決めるシステムのことだ。入社年次と勤務年数が給与額に比例する「年功制」と異なり、年齢や学歴、勤務年数などを一切考慮せず、成果だけが評価基準であるため、「社員が自主的にスキルアップに努める」「モチベーション向上や、優秀な人材の確保につながる」といったメリットがアピールされ、1990年代後半に大手企業がこぞって導入した経緯がある。しかし、それら導入企業の多くは、2000年代に入ってから元の制度に戻したり、方向転換したりしており、なかなか日本企業には根付いていない。

 例えば「三井物産」では、1999年に「完全に仕事の結果のみで給与査定する」という徹底した成果主義を導入した。しかし、もともと同社は「人の三井」とも呼ばれ、マニュアル化できないノウハウを先輩から後輩へ伝え、育てる文化が強みであった。そこに成果偏重の制度を導入したため、「ノウハウや人脈を伝授するのは損」といった風潮が生まれてしまい、同社の強みを急速に失わせてしまったようだ。2000年代初頭に「国後島ディーゼル発電施設不正入札事件」や、「ディーゼル微粒子除去装置(DPF)データ捏造事件」を引き起こす事態になってしまったのも、当時の同社における短期的な成果を重視する制度の影響が大きいといわれている。結果として同社は06年、チームワークや価値観の共有、人材育成といった定性的な行動を重視する制度に改めた。

●富士通も、成果主義につまずいた

 また「富士通」の例も有名だろう。同社が管理職を中心に成果主義を導入したのは1993年とかなり早期であった。その後全社員まで制度を広げ、年功序列を全廃している。

 「個々の社員が決めた目標の達成度を半年ごとに上司が5段階評価し、報酬や昇格に反映する」という内容であったが、給与ダウンにつながる失敗を恐れるあまり、長期的な取り組みや高い目標にチャレンジする社員が減り、ヒット商品が生まれなくなったり、自分の目標に関係のない業務対応がおろそかになり、アフターケアなどの場面でトラブルが続出したりするなどの弊害が生まれてしまった。さらには、業績好調な事業所や目立つプロジェクトに属する社員が実質的に有利となり、不公平さを訴える声も上がったようだ。結果的に社員の士気は低下し、業績も悪化したことから、同社では短期的な成果だけを評価することを止めているようだ。

 三井物産も富士通も、「超一流」といっていい企業だろう。それでも、成果主義の導入にはつまずいてしまった。この要因には「日本企業ならでは」なさまざまな要因がある。例えば、日本と成果主義が根付いているとされる諸外国とでは「そもそも」のところで労働市場の構造や雇用慣行が異なっている点が挙げられる。次回の記事では、この点を見てみるとともに、日本でも成果主義を導入して活用している事例を紹介し、成果主義を日本に定着させるための方策を検討していこう。

(新田龍)