Appleは、6月22日に開催した開発者向けオンラインイベントWWDCのキーノート(基調講演)で、Macの心臓部を、2年をかけてIntel製プロセッサから自社設計のSoC(注)である「Apple Silicon」に切り替えると発表した。

●注:SoC

SoC(A system on a chip)は、シリコン半導体チップの上に多くの半導体素子(トランジスタ)を集積して中央処理ユニット(CPU)、グラフィックス処理ユニット(GPU)、メモリーなど複数の機能群を載せ、「システム」として製品化した半導体部品を指す言葉。プロセッサ(処理装置)という言い方では収まらない複数の機能を集積した部品がSoCである。

 Appleは、なぜ脱Intelを進めると発表したのか。いろいろな分析が出ているが、ここではAppleが語らなかったある事実を取りあげる。知っている人はみな知っているが、日本語圏のメディアではあまり語られない事実だ。Intelは、もはや世界一の半導体製造技術を持つ企業とは呼べなくなっているのである。

●半導体ビジネスの観点で脱Intelを読み解く

 今後、AppleはiPhone、iPadに加えて、Macの心臓部を自社設計SoCのApple Siliconに切り替える。この発表に関する論評は多い。ユーザー目線からは、新しいMacのバッテリー駆動時間は長くなると期待でき、MacでiOSアプリが動くようになり、一方でアプリケーションはIntel向けからApple Silicon向けへの移行を迫られる。

 Windows環境が新しいMacで動かせるかどうかは現時点では分からない。デベロッパ(開発者)の目線からは、「Apple Silicon搭載Macは、同じ系統のSoCで動くiOSアプリ開発機として快適だろう」と期待する声がある。一方、今回の記事では、まったく異なる観点──半導体ビジネスの観点からこの動きを読み解いていきたい。

 Appleが語ったことは、「Macの心臓部分を自社設計SoCのApple Siliconに切り替えることで、大きなメリットが得られる」というストーリーだった。英ARM(現在、日本のソフトバンクグループの傘下)のプロセッサ・コア、グラフィックス・プロセッサ、機械学習に基づくAIの実行エンジンで高度な画像処理などに使われる「ニューラル・エンジン」、これら複数の要素技術を統合した自社設計の高度なSoC(システム・オン・チップ)で高性能を発揮していく。自社設計のSoCを開発した方が高度な統合とコントロールが可能となる。

 このようにAppleは自社の戦略の説明を、Intelの量産品からカスタムチップへの転換として説明した。一方で、同社の戦略で重要な2社の名前を出さなかった。

 1社は、Appleが採用を止めるIntelだ。もう1社は、Apple Siliconが製造を委託する相手の台湾TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Co., Ltd.)である。実は、TSMCの半導体製造技術はIntelを追い越している。

 台湾TSMCの社名を聞いたことがない読者がいても不思議ではない。同社は半導体製造受託(シリコンファウンドリ)を専業とする企業であり、その名前がApple製品ユーザーの目に触れる機会はあまりない。だが、半導体業界に関心を持つ人でTSMCの名前を知らない人はいない。TSMCはiPhoneやiPad向けのSoCのほか、各社から半導体製造を請け負っている。同社IR資料によれば、半導体製造受託で世界シェアの56%を占める巨大企業なのである。

 IntelからTSMCへ。これは今起きている半導体戦争を象徴する動きだ。Intelの経営は今は盤石に見えるが、今後は予断を許さないだろう。製造技術の遅れを取り戻せなければ、今後Intelは競争力を落としていく可能性がある。

●Appleが心臓部を切り替えた理由

 今から15年前のことだ。05年の開発者会議で、Appleは「MacのプロセッサをPowerPCからIntelに切り替える」と発表し、翌06年1月に最初のIntel搭載Macを出荷した。余談だが、筆者は最初のIntel搭載MacBook Proのユーザーだった。

 当時のIntelは、世界最高の半導体製造技術を持ち、プロセッサ設計技術でも優れていた。PowerPCやその他のプロセッサではなくIntelのプロセッサを選んだ方が、Macの競争力を、少なくとも数年にわたり維持できる。それがIntelに切り替えた理由だ。

 20年現在のIntelは、半導体市場で世界トップの優良企業である。だが、05年のIntelとは大きな違いがある。現在のIntelは、半導体製造技術で世界一とは言えなくなっているのだ。一方で、TSMCの製造能力は向上し、iPhoneやiPadのヒットによりApple Siliconの生産規模は大きくなり、半導体の設計ノウハウも蓄積されている。脱Intelを実行できる実力を今のAppleは持っているのだ。

 半導体を進化させるということは、微細加工技術を追求してより多くの半導体素子(トランジスタ)をシリコンチップ上に集積するということだ。つまり「密度」が大事なのだ。かつてのIntelは、シリコンチップ上に集積する半導体の数を「18カ月で2倍にする」という苛酷な目標をクリアしていた。この目標は「ムーアの法則」と呼ばれている。だが、今やこのペースは達成不可能となってきた。微細加工を追求した結果、物理的な限界が近づき進化のペースが鈍ってきたのだ。これは「ムーアの法則の終焉(しゅうえん)」と呼ばれている。

 Intelにとって都合が悪いことに、ライバル企業の台湾TSMCと韓国サムスン電子(Samsung Electronics)は、微細加工技術を進化させるという難問をIntelよりもうまく切り抜けた。両者は今やIntelの製造技術を抜いている。サムスン電子はメモリー製造を得意とし、TSMCはカスタムチップの受託製造を得意とする。

●今のIntelは「ライバル企業より12〜18カ月遅れている」

 New York Timesは、今のIntelは「ライバル企業より12〜18カ月遅れている」というアナリストの発言を伝えている。実際、最新半導体の量産という観点で、IntelはTSMCより1年遅れている。TSMCは、18年4月から「7ナノメートル」製造プロセスに基づく製品を量産出荷している。一方、Intelの最新の「10ナノメートル」製造プロセスを採用した第10世代Intel Coreプロセッサ(Ice Lake)の量産出荷は19年5月である。

 先を急ぐ読者は、このあとの2つの段落を読み飛ばしていただいても構わないが、上の記述には若干の注釈がある。

 まず「7ナノメートルと10ナノメートルでは製造技術の世代が違うではないか」と思われた読者もいるかもしれないが、Intelは「自社の10ナノメートルプロセスは、実質的にTSMCの7ナノメートルと同等かそれ以上だ」と主張した。この主張そのものは妥当だと考えられている。Intelの10ナノメートルプロセスもTSMCの7ナノメートルプロセスも、集積できる半導体素子の密度は1平方ミリあたり約1億個程度で、同等と推定されている。

 とはいえ、その同等の技術で1年の差を付けられた事実は残る。なお、Intelはここ数年にわたり製造技術のトラブルに苦しめられている。Intelは18年に10ナノメートルプロセス"Cannon Lake"に基づくCoreプロセッサの製品出荷を限定的に行っているのだが、市場にほとんど出回らなかった(Intelが10ナノメートルプロセス半導体をめぐり苦戦した事情を詳しく知りたい方にはこの記事を参照されたい)。Intelが10ナノメートルプロセスに基づくプロセッサの本格的な量産出荷にこぎ着けたのは19年に入ってからのことだ。

 一方のTSMCは、最新世代の製造技術「5ナノメートルプロセス」の量産を20年4月に開始したと伝えられている。1平方ミリあたり約1.7億トランジスタの密度を達成するといわれている。Appleが次世代iPhoneやMacに搭載するApple Siliconは、この5ナノメートルプロセスで製造するとの報道も出ている。一方、Intelの次世代の製造技術「7ナノメートルプロセス」は21年に本格出荷を目指していると伝えられている。1平方ミリあたり約2億トランジスタ以上の密度を目指すといわれている。

 苛酷なレースはまだまだ続いている。Intelは製造技術の遅れを取り戻しライバルを追い越す計画を立ててはいる。だが同社のここ数年の製造トラブルを振り返ると、計画が実現するかどうかは結果を見ないと分からない。つまり、今後は半導体業界の地図が塗り替わっていく可能性があるのだ。

(後編へ続く)

(星暁雄)