この連載コラムのタイトル「21世紀のイノベーションのジレンマ」は、デジタル技術に基づくイノベーションが社会に浸透した結果として、新しい種類の「ジレンマ」が発生している事例を取り上げてきた。今回取り上げるジレンマは古典的だ。クリステンセン教授が著書「イノベーションのジレンマ」で唱えた「破壊的イノベーション」である。

 前編では、AppleがIntelチップの採用をやめ、自社設計、台湾TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Co., Ltd.)製造の半導体に切り替える理由を探った。

 台湾TSMCの社名は一般の人にそれほど知られていないが、半導体業界に関心を持つ人でTSMCを知らない人はいない。TSMCはiPhoneやiPad向けのSoCのほか、AMDやQualcomm、Nvidiaなど各社から半導体製造を請け負っており、半導体製造受託で世界シェアの56%を占める巨大企業だ。そしてTSMCの半導体製造技術は、巨人Intelを追い越している。Intelの1年〜1年半先を行っているというのが多くの見立てだ。

 そのTSMCは、今や世界で最も重要な企業の1社なのである。

●TSMCに切られたHuawei

 最近になって出てきた2件のニュースは、米国にとってTSMCが極めて重要な企業であることを示している。

 1番目の取り組みは、台湾TSMCが、米国と対立しつつある中国の通信機器メーカーHuawei向けに半導体を供給することを停止する措置を取ったことだ。米国の主張は、中国Huaweiは米国の安全保障を脅かしており、そして台湾TSMCの半導体には米国製の技術が投入されているので、米国の輸出規制が適用されるというものである。

 Huaweiは、子会社HiSiliconが設計、台湾TSMCが製造する高性能SoCの「Kirin」を自社スマートフォンに搭載していたのだが、この基幹部品の供給が絶たれた形となった。Huaweiは中国本土の半導体製造企業SMICに製造を切り替える方針と伝えられている。だが、TSMCの7ナノメートルプロセスからSMICの14ナノメートルプロセスへ、数年分の技術の逆戻りが発生する。普及機種はともかく、競争力があるハイエンド機種は作れなくなってしまう。

 2番目の取り組みは、TSMCが最新の半導体工場を米国本土に建設することだ。20年5月14日に米Wall Street Journalがすっぱ抜き、翌15日にTSMCは正式発表を行った。

 TSMCにとって米国本土の2番目の工場であり、最新鋭の製造技術である「5ナノメートルプロセス」の半導体の製造能力を備える。24年から量産に入り、月産2万枚のシリコンウェーハを生産する。TSMCは、同社全体で12インチのシリコンウェーハ月産100万枚規模の生産能力を持つと述べている(IR資料より)。

 米国本土の新工場の生産能力がTSMC全体に占める比率は小さいものの、米本土に最新半導体工場があることは、米国の安全保障上の意味からも重要といえる。台湾は中国に近く地政学的リスクを抱えているからだ。なお、TSMCは中国本土にも半導体工場を持っている。総合して考えると、米国はTSMCに言うことを聞かせる強い手段(優遇措置なり法的手段なり)を使っていると考えていいだろう。

 キナ臭い話になった。TSMCはそれほどまでに今の米国にとって、今の世界にとって重要な企業なのである。では、なぜTSMCは重要な企業といえるのだろうか。以下、それを説明していく。

●設計と製造の分業

 図を見ていただきたい。主にプロセッサやSoC分野の半導体業界の構造を示した図である。Intelは唯一無二の立ち位置の企業だ。自社で半導体を設計、製造する垂直統合型の企業でありながら第一線で生き残り、世界最大の半導体メーカーとして君臨している。

 垂直統合にはメリットがある。製品の開発計画(ロードマップ)を他社の都合に左右されずに立案、実行でき、他社に支払うコストもない。一方で、Intelのビジネスモデルは、1つの系統のプロセッサ製品群の設計、製造、販売だけで企業を維持する「一本足打法」である。もっとも、Intelも多角化の努力はしてきた。Intelチップ搭載スマートフォンが市場に出回ったこともあるし、IoT向けチップやボードを売ろうとしたこともある。しかし、うまくいかなかった。

 TSMCは製造に特化した企業だ。多くの企業から半導体の製造を受託するビジネスを展開する。TSMCに製造を委託している企業は、Intel互換チップのAMD、今回の記事前編で取りあげたApple Silicon、Androidスマートフォン向けチップでよく使われるQualcomm、それに中国Huaweiなど数多い。前述したように、中国Huaweiは米国の輸出規制によりTSMCの半導体の供給を絶たれようとしている。

 自らの企業のビジネスのために自社設計の半導体を作る企業は増えている。Appleもその一社だが、GoogleやAmazonも自社設計カスタムチップを作っている。電気自動車のTeslaも自社設計チップをTSMCに製造委託している。

 例え話で説明してみよう。Intelのように設計から製造まで1社で行うモデルは、新聞が、取材執筆から版を起こし輪転機で印刷するまでをすべて1社で行うモデルと似ている。一方、設計と製造で分業するモデルは、出版社と印刷会社の関係と似ている。出版社は、本や雑誌の印刷を印刷会社に委託している。Apple Siliconは新興の出版社の1社で、TSMCは大手印刷会社のような立ち位置だ。

 印刷会社には「町工場」のような小さな会社もあるが、ただし半導体はそこが違う。規模の経済が強く働くため、寡占化が進んでいる。世界最高水準の半導体を製造できる企業は米Intel、台湾TSMC、韓国サムスン電子に限られる。SoCの製造を委託できる企業といえば、まずTSMCだ。

●半導体「製造」の技術がなぜ重要なのか

 ここで、疑問を感じる読者もいるかもしれない。最新のデジタル技術ではハードウェアだけでなくソフトウェアが大事だという言説を耳にしたことがある読者もいるだろう。Apple製品のように洗練されたハイエンドな製品では、機能だけでなくデザインやユーザー体験が重視される、という言説もある。一方、半導体製造技術を日常で意識する機会はまずない。半導体製造技術がそこまで重視される理由がピンとこない読者もいるかもしれない。

 なぜ半導体はそれほどまでに重要なのか。改めていうまでもないことだが、半導体はあらゆるコンピュータの中核部品である。スマートフォン、クラウドを構成するサーバ群、そしてソフトウェアが重要となった最新の戦闘機に至るまで、あらゆる分野で半導体は中核部品として使われている。最新の半導体がなければ、スマートフォンもクラウドも戦闘機も優位性を保てない。

 ソフトウェアももちろん重要だが、半導体が劣っている場合にソフトウェアだけで挽回(ばんかい)して優位性を出すことはまず無理だ。過去50年のITの進化は、主に半導体の進化に依存しているといって過言ではない。半導体は、非常に重要な基幹技術なのだ。

 デジタルデバイスが、その利用者に対して目新しく快適なユーザー体験を提供するには、中核となる半導体の処理性能を上げることで新たな付加価値を作り出すやり方が基本となる。

 半導体の処理性能を上げるには、半導体の動作速度を上げるとともに、同時に機能する半導体素子(トランジスタ)の数を増やす。そのためには半導体素子の集積度(シリコンチップ上の半導体素子の数)、クロック周波数(半導体の動作速度)、並列度(同時に複数の機能を動かす度合い)を上げる。

 集積度とクロック周波数は半導体を「製造」する技術に依存する。並列度は半導体を「設計」する技術とソフトウェア技術に依存する。半導体製造、半導体設計、ソフトウェア、どれも重要だが、最新の製造技術を提供できる企業には特別な価値がある。集積度が上がらなければ、1つのシリコンチップの中で並列度を上げることは難しい。要するに、集積度は半導体の価値の源泉だ。集積度を高めるための半導体製造技術の進化が止まれば、デジタルデバイスの進化が止まってしまう。

 だからこそ、製造技術の進化に成功したTSMCは、替わりがいない重要な企業となったのだ。

●日本企業からIntel、そして台湾TSMCへ

 21世紀の現役世代の読者には信じられない話かもしれないが、30年前には世界一の半導体製造企業は日本のNECセミコンダクターズだった。Intelがプロセッサに社運を賭けた理由は、当時Intelの主力製品だった半導体メモリの分野で日本企業との競争に敗れたからだ。

 当時のIntelのCEOだったアンドリュー・S・グローブ氏が自著「パラノイアだけが生き残る」でその経緯を詳しく述べている。日本製の半導体メモリがIntel製品より品質が優れていると聞かされた時の反応を、グローブ氏はこう記している。「われわれの最初の反応は『否定すること』だった。そんなことは、あり得ない、と。この種の状況に陥った者なら誰もがするように、我々はその縁起でもないデータを激しく攻撃した。自分たち自身でその報告に間違いがないことを確認して初めて、製品の品質向上に取り組み始めたのである。だが、そのときにはすでに大きく遅れを取っていた」(前掲書より)

 Intelは遅れを取り戻すことができず、1985年に半導体メモリから撤退する。その代わり、Intelは当時まだ業界での評価が定まっていなかった新しいカテゴリーの製品──マイクロプロセッサに焦点を移し、92年に半導体市場で売上1位のメーカーとなった。Intelは成功して現在も業界トップの地位にいるが、もしパーソナルコンピュータの台頭という時代の波がなかったなら、Intelは消えていただろう。

 ちなみに、Intelを半導体メモリ撤退に追い込んだ日本メーカーはその後市場から消えていった。Intel製メモリに日本製メモリが勝った理由は「値段の割に品質が良かったから」だった。日本メーカーはその後も品質にこだわり続けた。一方で、アジアのメーカーからは程よい品質でより安価なメモリが登場し、品質にこだわり続けた日本製メモリは競争に敗れた。クリステンセン教授の破壊的イノベーション理論そのもののストーリーである。

 そして今、Intelが半導体製造技術のレースで遅れを取っている。Intelも生き残りをかけてTSMCを技術で追い抜こうとしているが、結果はまだ分からない。Intel社内の奥まった会議室では、新たな戦略転換が話し合われているかもしれない。

(星暁雄)