新型コロナウイルスの感染が再び拡大する中、「東京差別」と呼ばれる現象が各地から報告されています。6月には、岩手県内の4つの市町村で、県外からの転入生に登校自粛を要請していたことが波紋を広げました。

 報道によれば、小中学校が再開した4月上旬、教育委員会は「感染者が100人以上確認された都道府県からの転入生」に自宅で2週間待機するよう要請。緊急事態宣言が全国に拡大された16日には、対象を「県外からの転入生」に広げ、少なくとも20人の小中学生が対象になっていたそうです。

 「保護者の同意も得られている。子どもの健康を第一に考えた結果」と、教育委員会の担当者は弁明しましたが、「いじめにつながる」「過剰反応」「差別を助長する」といった意見がSNSで広がり、炎上する騒ぎになりました。

 また、7月に入ってからは、「都内のナンバーをつけてるからか車が傷つけられた」「東京のやつは絶対に県内にいれるな!」「親から絶対に帰省するな!(と言われた)」と、やられた、差別された、言われた、といった投稿が、SNSでも見られるようになりました。

 日々更新される「新規感染者数」を見れば、東京だけ増えていますから、「うちにきてうつさないでくれよ!」という警戒心からなのでしょう。

 しかし、地方に暮らす友人によれば、事態は東京で暮らす人たちが考える以上に深刻だ、と。コロナに感染すると、“村八分”にされてしまうというのです。

●「感染したら、ここで生きていけなくなる」

 「個人情報があっという間に広がっていって、すごいですよ。『東京にのこのこと出掛けているのが悪い』『周りのことも考えずに遊んできたのが悪い』と、袋叩きです。感染源にもなっていないのに、東京にいる子どもが帰省しただけで、バッシングされちゃうんだから、本当にひどい。

 確かに、東京の感染者数の増え方は怖いし、あまり東京の人に来てほしくないなぁという気持ちは正直なところあります。

 でもね、あそこまでバッシングするのもいかがなものか、と。もちろん感染しないような行動はしたほうがいいけど、感染しちゃった人をあそこまで叩くのは、ただのイジメですよね。東京ってだけでバイキン扱いだもの。大人げないですよ。だいたい病院とか介護施設とか、感染予防に気を使ってる施設でも感染しちゃう人がいるわけでしょ? 誰でも感染リスクはあるんだから、明日は我が身なのにね」

 ……ふむ、なかなか、厳しいです。

 そういえば先日、某テレビでも父親から「絶対に帰ってくるな!」というメールをもらった男性を取り上げ、父親にその真意を聞いたところ、「もし感染したら、ここじゃ生きていけなくなる。転職しなきゃいけないかも……」と答えていました。

 未知なるものに不安を感じるのは、人として当然の反応です。特に、正体が目に見えない場合、悲しいかな“常軌を逸した言動”をしてしまう場合があります。人類の歴史は感染症の歴史、とはよくいいますが、感染症の歴史は差別の歴史だったりもするのです。

 「隣人や自分と同じ土地に暮らす人々を、敵と見なすか、同胞と見なすかで人々の行動が変わる」とは自然災害時の通説ですが、ウイルスのように目に見えない恐怖に遭遇すると、人は見えている「誰か」を危険な存在だと見なし、排除することで、恐怖から逃れようとします。

 大抵の場合、それは無意識です。ゆえにとっさに厳しい言葉で相手を遠ざける。後から考えれば、自分がそこまでエキセントリックになったのが信じられないこともしばしば。弱くて強い、という人間の複雑な心情がそうさせるのです。

●リスクコミュニケーションが機能しなかった理由

 その「刃」が相手に向けられてしまうのを防ぎ、「正しく恐れる」(←知識人が好む言葉ですね)には、リスクコミュニケーションを徹底するしかないのですが、悲しいかな、コロナ禍では、いや、コロナ禍でも、全く機能しなかった。

 リスクコミュニケーションは、個人、集団、組織などに属する関係者たちが情報や意見を交換し、その問題について理解を深め、互いにより良い決定を下すためのコミュニケーションです。それは一方通行ではなく双方向で、批判的ではなく建設的に、1回限りではなく継続的にやりとりされる「相互作用の過程」でもあります。

 リスクコミュニケーションがうまく回るには、「信頼」が必要不可欠。専門家、政治家、メディアがそれぞれの立場で、それぞれの役割を誠実に全うし、「信頼」に基づく健康的かつ建設的な議論を行ってこそ、一般の人たちは「信頼できる」と確信します。それは「知る権利」が担保されることでもある。

 ところが、信頼が熟成されないままで今に至ってしまった。そう思えてならないのです。

 そもそも、新型インフルエンザが流行したときの経験を踏まえたリスクコミュニケーションの課題は、研究者がいくつもの調査報告書にまとめ、それらは「厚生労働省健康危機管理基本指針」でまとめられています。

 ……にもかかわらず、今回の新型コロナウイルス感染拡大防止策は、当初から「誰がリーダーシップを取っているのか?」が不明でしたし、専門家会議の見解が削除されるなど、私たちの「知る権利」が曖昧にされてしまった。

 そして、何よりも忘れてならないのは「知る権利」には、「やっていいこと、悪いこと」の徹底も含まれているということです。

●「やっていいこと、悪いこと」よりも「自粛」が前面に

 例えば、ドイツのミュンヘンでは、外出禁止令が出る前から、これこれは通常通りやってもいいですよ、とできることを明確に説明していました。「健康のための散歩、ジョギング、サイクリングは、1人、または家族、同居人となら複数でもよい」「同棲カップル、内縁の妻だったら公園でも濃厚接触オッケー」など、実に細かく、明確に定義が示されたといいます。

 長い冬を強いられるドイツ人にとって、暖かくなる春に家でじっとしていられるわけがなく、地元の公園は「できることのルール」を守る人たちがつめかけ、コロナ前と同様の人出だったそうです(ミュンヘン在住の知人談)。

 私の記憶に間違いがなければ、日本でも緊急事態宣言が出される前には、専門家会議で「やってもいいこと」がきちんとまとめられ、記者会見でも公表されていたのに、だんだんと報じられなくなり「自粛」という言葉が増えていった。

 今となっては「東京アラート」も何だったのかわけが分かりませんし、感染者が増えている状況を“リーダー”たちが「嫌な感じ」と表現することも、不確かな情報や不安拡大につながっているように思えてなりません。

 そして、感染=自己責任、感染者=差別という状況が、感染してしまった人の心に大きな傷を残すことも決して忘れてはなりません。これは「社会的スティグマ」と呼ばれています。

 社会的スティグマを防ぐには、「ウイルスを感染させる」「ウイルスを拡散する」といった表現はタブーとされ、科学的データや最新の公式推奨事項に基づいたリスクを、正確に伝えることが大切です。また、予防と治療の効果を強調し、脅すようなネガティブなメッセージを強調したり、くどくど述べたりすることは避けなくてはなりません。

●敵と見なすか、同胞と見なすか?「私の発言」も影響している

 特に子どもは「大人たちの会話」を、大人が考える以上によく聞いているので、大人が「あそこの子は東京から来たから○○」だの、「コロナに感染するのはだらしがない生活をしてるから」だのと言っていると、子供のいじめにつながってしまいかねません。社会的スティグマを生むのは、「私の発言」も関係しているという自覚を持つことが極めて重要です。

 WHOでは2月の段階で、社会的スティグマの防止と対応のガイドラインを公表しましたが、こういった情報もリスクコミュニケーションでは大切なのに、日本では扱いは極めて限定されていました。

 一方、件のミュンヘンの事例は、まさに社会的スティグマの予防にも効果的。ネガティブな言葉ではなく、窓を開け換気をする、手を洗う、おしゃべりは横に並んでする、といった言葉を日常的に繰り返すことも不安軽減につながります。

 くしくも、「新型コロナに感染するのは本人が悪い」と考えていた人の割合が、日本では11.5%で、米国(1%)、英国(1.49%)、イタリア(2.51%)、中国(4.83%)と比べてかなり高かったという調査結果が公表されましたが、社会的スティグマの予防がほとんど行われていないことも、少なからず影響があるのではないでしょうか(調査は大阪大教授ら心理学者の研究グループによる。対象は日本、米国、英国、イタリア、中国の5カ国でそれぞれ約400〜500人)。

 隣人や自分と同じ土地に暮らす人々を、敵と見なすか? 同胞と見なすか?

 「私」も、いま一度立ち止まり、リスクと差別を分けて考えてほしいと心から願います。

(河合薫)