小西美術工藝社社長で、日本の観光・経済政策にまつわる提言を数多くおこなっているデービッド・アトキンソン氏の一連の記事の影響により、「日本人の給料安すぎ問題」が話題になった。

 当該記事の概要をまとめると、

・労働者を雇う会社側の力が強くなりすぎ、労働者が「安く買い叩かれる」(モノプソニー)状態にあることが問題の原因。これは先進諸国共通の課題だが、日本の場合特にその影響が大きい

・このため、先端技術を活用できない生産性の低い小規模企業が生き延び、結果的に輸出も伸びず、全体的な生産性も低下。女性活躍も進まなくなる

・モノプソニー状態にあることで、本来なら淘汰されるレベルの経営者や企業が生き永らえ、結果的に給与水準が低いままになってしまう

・そうならないための方策として、「小規模事業者の統廃合」「中堅企業の育成」「最低賃金の引き上げ」が有効

というのがアトキンソン氏の考え方だ。

 筆者も氏の意見には大いに賛成である。特に、大学で学んだ新古典派の経済学(需要側と供給側は効用最大化を目指して双方合理的に行動し、結果として需供均衡が実現する、という完全競争モデル)は現実の社会(立場の弱い労働者にとって労働市場は完全競争ではない)に当てはまらないと考えていたところに、この「モノプソニー」という考え方はその欠けた部分を補完するものであったからだ。

 一方で筆者はまた、日本において長年給料が上がらない原因は他にも多くの要素が複雑に絡み合っているものと考えている。筆者自身、給料が低く抑えられ、従業員が使いつぶされるようなブラック企業に勤め、かつ長きにわたって「立場の弱い労働者」側から労働市場との関わりを持ってきたため、個人的に思い当たる要素が複数あるのだ。では、アトキンソン氏が挙げたもの以外にどんな要因があるのだろうか。

●日本人の給料安すぎ問題、「モノプソニー」以外の原因

 要因は多数考えられるが、まずは筆者の思うところを5つ取り上げる。その5つとは、「高い社会保険料率」「株主重視の姿勢」「経営者の能力不足」「給料の下げにくさ」「解雇のしづらさ」だ。前編と後編に分けて、前編となる今回は「高い社会保険料率」「株主重視の姿勢」「経営者の能力不足」の3つについて解説しよう。

高い社会保険料率

 会社勤めをしている人であればご存じの通り、毎月の給料からは「健康保険」「厚生年金保険」「介護保険」「雇用保険」にかかる社会保険料が天引きされているはずだ。

 現在、厚生年金保険料率は18.3%。健康保険料率と介護保険料率は都道府県や加入している組合などにより異なるが、健康保険料率はおおむね10%前後、介護保険料率はおおむね1.5%前後となっている。消費税ならわずか数%上がるだけでも報道で採り上げられて大騒ぎとなるが、こちらの社会保険料率は労使合わせて報酬の約3割にものぼり、しかも数年にわたり静かに上がり続けてきているにもかかわらず、あまりにも多くの人が無関心なのではないだろうか。これは消費税が国会での審議が必要である一方で、社会保険料率は厚生労働省の一存で決められるという手続きの違いもあるだろう。

 ちなみに1997年に消費税が5%になり、そこからさらに5%上がるまで22年を要した。一方で社会保険料は同じ22年間で(期間中に制度が変わっているので単純比較はできないものの)、引き上げ幅は10%を超えており、それぞれの保険料率も概算で1.5〜1.8倍となっているのだ。仮に会社務めで年収500万円の人なら、本人負担額は年間約48万円から約75万円まで増えている計算である。これでは多少給料が増えても実感がないどころか、むしろ手取りがマイナスになっている人さえいるだろう。

 給料から天引きされる金額だけをみても負担が大きいことはもちろんだが、この社会保険料は「労使折半」であり、給料から天引きされている分と同額を企業側が負担している。そして企業にとっては、これもまた人件費に他ならない。給料を上げるとそれに比例して企業側の保険料負担分も増してしまうため、昇給をちゅうちょする=給料アップのハードル要因となることが考えられる。しかも、企業が保険料の半分を負担していることについて従業員から全く感謝されない点も、経営者にとってはいまいましいところだろう。

 また、わが国の公的年金制度は賦課方式(現役世代の人が払い込んだお金を、現在の高齢者に支給する仕組み)であるという設計上の問題から、生産活動の中心となる現役世代を直撃する負担であるところも経済へのネガティブインパクトが大きい。個人的には、全ての世代に均等に負荷を求める消費税の割合をより増やし、こちらの社会保険料率を低下させるなどのバランス確保を期待したいところである。

株主重視の姿勢

 企業が生み出した利益は、従業員の給与や家賃、税金の支払いなどに充てられ、最終的に残った「当期純利益」は配当金か内部留保などに使われる。そしてこれら利益の使途については、人件費に投資するよりも、株主への配当原資や設備投資など「成長資金」という名目にするほうが株主からのウケがよいという事情がある。

 現在、日本株の6割以上が、海外ファンドなどの外国人投資家によって売買されているといわれている。事業法人や機関投資家に比べ、海外の投資家は株式の短期売買によって利益獲得を狙うため、株式の平均保有期間が短く、投資先として魅力がないと判断された株式はすぐに売られてしまうリスクがあるとされる。従って「利益を株主に分配しない=ケチな会社」と思われないようにするためにも、企業側では利益を株主に還元する動きを強めているのだ。実際に2000年以降、全ての規模の企業において、配当金の割合は大きく上昇している。

 2000年ごろから、日本国内でも「物言う株主」と呼ばれる機関投資家が目立ってきた。彼らは「配当性向が低く、多額の現預金を保有し、かつそのお金を今後の会社の成長にどう投資していくかといったプランを持っていないような企業」の株式を大量に取得し、「使い道のないお金を内部に溜め込むくらいなら、株主に配当で還元すべき!」と会社に迫るのだ。当時、報道でご覧になった方も多いだろう。

 利益を株主に配当するにしても、今後に備えて厚めに留保するとしても、利益全体のパイは限られている。その分、販管費などの給与原資が削られていくことになるわけだ。90年代までは配当金の増加に合わせて人件費も増えていたのだが、00年以降は配当金が増える一方で人件費は抑制される流れとなっている。

 株主重視の姿勢もよいが、何事もバランスが重要だ。あまりに偏りすぎた姿勢であれば見直し、従業員への還元も必要であろう。

経営者の能力不足

 これはもう単純な話で、もうからないから給与アップできない、ということだ。付加価値が高く、世界中からニーズを獲得する魅力的な製品、サービスを生み出し、適正な利潤を得られれば、十分な給料が支払えるはずである。

 例えば、世界経済において圧倒的な覇権を握っている「GAFA」と呼ばれる各社は、自ら市場を創出したり、独自の戦略によって獲得したニーズをビジネスにつなげたりすることで付加価値と利益を生み出している。実際、Googleはインターネット草創期に「検索」という入口を抑え、検索結果の順位に意味を持たせることによって効果的な広告を実現したし、Amazonはロングテール戦略によって莫大な商品数を売上に変えた。

 FacebookはSNSとしては後発ながら、コミュニケーションツールとして単にプロフィール以上のものをシェアできる機能を早い段階で追加したことで成功し、それによって獲得した個人情報を基に、今や米国ネット広告市場の2割のシェアを得ている(ちなみに1位はGoogleの31%。この2社だけで市場の半分以上を寡占していることになる)。そしてAppleは、スマートフォンを単なる通信機器から高級ブランドに変化させ、中国製でありながら圧倒的な高価格帯で販売。世界市場におけるスマホの出荷台数シェアは10%強にすぎないにもかかわらず、利益額では約7割近くを稼ぎ出しているのだ。

 わが国では国内市場だけを相手にしていてもビジネスとしては成立するが、最初からグローバル市場を狙った付加価値の高い商品やサービスを開発すれば、世界的なヒットを創り出せ、相応の利益を得ることもできるに違いない。例えば、18年末に発売されたソニーの最高級シリーズのオーディオプレーヤーは税込価格で100万円を超えるが、ある販売店では年間の売上ランキング(金額ベース)でトップ3に入るほどの売り上げを記録したそうだ。同製品に限らず、高価格帯商品の売れ行きは非常に良いという。また、JR九州の高級クルーズトレイン「ななつ星in九州」は運行開始から7年目となるが依然として人気は衰えず、現在3泊4日の旅行代金が1人当たり数十万円と極めて高価でありながら、予約倍率は5倍以上というニュースが出たことも記憶に新しい。

●まだまだある、日本人の給料安すぎ問題の原因

 さて、ここまでは日本人の給料安すぎ問題の原因として、社会保障や経営者といった問題を挙げてきた。これだけでも解決するには骨が折れそうな諸問題だが、まだまだ日本人の給料安すぎ問題には原因がある。

 次回は、本稿で挙げた以外の原因を紹介する。具体的には、働く人を守るはずの規制が、かえって働く人の首を絞めてしまっているという構図を明らかにし、コロナ禍によってようやく進みつつある「日本的な働き方」をさらに前へ推し進めるための一助としてほしい。

(新田龍)