新型コロナウイルス感染拡大の中で、銭湯はさまざまな問題に直面している。多い日には1日1000人以上が訪れる、昭和8年(1933年)創業の銭湯「小杉湯」(東京・高円寺)も例外ではなかった。

 「今日は混んでいますか、という電話がとても多かったです」と話すのは小杉湯の菅原理之さん。新型コロナの影響で客数が減り、経営の見直しや、換気・消毒作業に時間を割きたいのに、電話の対応に追われる。「ずっと電話に対応することはできない。しかし、利用者の不安も減らしたい」というジレンマを抱えていた。

 番頭が数時間で交代する勤務体制なので、混雑時間の把握は難しかった。センサーで人数をカウントする方法、券売機の導入、手動での計算などを検討したが、いずれもコストを考えると現実的ではなかった。

 そんな中で思い付いたのが、時間ごとに混雑状況が分かるグラフを、Twitterなどで発信する「オフピーク銭湯」の取り組みだった。

 オフピーク銭湯は、過去の利用者数と売上高のグラフを公開し、比較的混雑しない時間帯を知ってもらう取り組みだ。曜日ごとのデータ、昨日のデータを参考に、利用者が空いていそうな時間帯に来店できるよう後押しする。

 表示するグラフは、決済で使っているPOSアプリ「Airレジ」のものだ。本来は店側が時間帯ごとに売上を把握するために使う機能だが、グラフから具体的な数値を取り除いて、利用者にSNSで公開した。逆転の発想だった。

 小杉湯では2019年からバックオフィス業務を見直し、IT化を進めている。オフピーク銭湯で活躍したAirレジも、その際に導入したものだ。仕掛け人は菅原さんだ。

●バックオフィスの見直しで、作業量が半分から3分の1に

 菅原さんが小杉湯に入社したのは19年9月。学生時代に起業、ITベンチャーを経て、外資系広告代理店に約12年間勤務。そこから銭湯に転職した、異色のキャリアの持ち主だ。

 小杉湯で働き始めたきっかけは、18年のサウナに関するイベントで小杉湯の三代目、平松佑介代表取締役に出会ったことだ。1年ほどボランティアで小杉湯のオペレーションの整備、事業計画の作成に携わった。

 「(はじめは)銭湯の経営の裏側を見ることはなかなかない経験で、面白いなと思って手伝いをしていました。関わっていくうちに、皆が裸の付き合いで、肩書もなくフラットに関われる銭湯という空間に魅力を感じました」と菅原さん。事業計画を立てながら、自分の給与を試算。転職しても自分の収入にも経営にも問題がないことを確認し、平松代表に提案の上、入社したという。「年収が上がるにつれて幸せが比例すると思っていたが、そうではなかったと気が付き立ち止まっていた時に、銭湯との出会いがありました」(菅原さん)

 入社してからはバックオフィスの整備、Webサイトのリニューアル、ブランドの再構築から、取れてしまったロッカーの蝶番(ちょうつがい)を直すことまで「何でもやっています」という菅原さん。その中でも最初に注力したのが、バックオフィス業務の見直しだった。

 菅原さんの入社時の小杉湯では、就労規定や経理の制度もなく、バックオフィス業務には紙とExcelを用いていた。給与の支払いは、代表自らが時間をかけて計算。時間帯ごとの利用者数も、番頭が紙に正の字を書いて確認していたという。

 菅原さんはさまざまなツールを検討し、シフト管理に「ジョブカン」、給与・勤怠に「人事労務freee」、決済システムには「Airレジ」を導入した。

 「(従来と比べて)作業量は半分から3分の1くらいに減っていると思います。時間短縮だけでなく精度も向上しました。例えばレジ締めでは、従来はその日の終わりにレジにある金額を数えるだけでしたが、現在はいくらレジに残っているはずということをシステムがあらかじめ自動計算してくれています。その上で、人間が抜け漏れがないかを確認できます」

 こうしたIT化で、経営陣をはじめ社員の業務負荷を軽減できた。結果として、本来すべき業務に集中できるようになったことが、一番の成果だという。「代表の平松は、浮いた時間で入浴剤などでコラボしている企業と話をしたり、新規事業である会員制シェアスペース『小杉湯となり』に取り組んだりしています」(菅原さん)

●コロナ禍でも新たな取り組み

 コロナ禍で客数の減少に見舞われる中でも、多くの新しい取り組みを実施している。その一つが、冒頭のオフピーク銭湯の取り組みだ。

 菅原さんは「銭湯は人が集まる場所なので、利用者にとっても不安が大きかったのではないか」と振り返る。それでも、それぞれ事情や習慣があって銭湯を必要としている人は多いと考え、消毒や換気に気を付けながら、休まずに運営を続けた。菅原さんは「お客さまの数を数える時間、お金の余裕もない中で、たまたま(システムを有効活用することができて)オフピーク銭湯が生まれました」と話す。

 菅原さんは「小杉湯側から『安全です』『感染リスクはありません』と言うことはできません。それでも銭湯を必要としている利用者の方々が少しでも安心して、自身で(来るかどうかを)判断してもらうために、できることをすべきだと思いました」と振り返る。

 「完全にコロナの前の状態に戻ることはありません」「経営面でも、利用者に届ける価値の面でも考え直すタイミングが来ました」と述べる菅原さんは、オフピーク銭湯の他にも新しいチャレンジに取り組む。

 小銭を触りたくないという利用者のために、7月からキャッシュレス決済を導入した。利用率は徐々に増え、現在は全体の約2割にのぼる。

 コロナ前とのニーズの差を念頭において、7〜8月にかけて番台前で販売している商品のリニューアルにも取り組んだ。ドリンクやアイスは、日常ではあまり見かけない珍しいものを中心に取りそろえているという。

 「(コロナ禍により)旅行などの非日常を楽しむことができない分、日常の中での楽しみを提供できる銭湯でありたいと思っています」

●思わぬ相乗効果

 キャッシュレス決済に対応した時期と、商品のリニューアルに取り組んだ時期が重なったことは偶然だが、この2つには思わぬ相乗効果も生まれている。

 小杉湯では日常を豊かにする商品として、高級なタオルや洗剤も販売している。例えば約5000円のタオルなど高単価の商品は、キャッシュレス決済を使って購入されるケースが多いという。新型コロナの影響もあり、キャッシュレス導入のおかげで売り上げが伸びているかどうかは判断がつかないというが、菅原さんは「売り上げの構成比率として物販やドリンク・アイスが伸び始めていて、相乗効果が生み出せている」と話す。

 SNSの活用でも、プラスの効果があった。Twitter上での交流がきっかけで、酒粕や出荷基準に満たない果物など、生産過程で捨てられてしまう材料を日替わり風呂や週替わり風呂に利用する「もったいない風呂」の運営を始めた。農家などの生産者は食品ロスを減らせるし、小杉湯の店頭で関連商品も販売できる。小杉湯側は入浴剤の料金を節約でき、利用者もさまざまな風呂に入れる。

 現在はもったいない風呂の取り組みを大きくするために注力しており、年内には入浴剤を買うことがなく、100%もったいない風呂の運用に切り替える方針だ。

●100年続く銭湯に

 菅原さんは、小杉湯で“チーフストーリーテラー”という肩書を持つ。「ストーリーは作るものではなく、実際に行われていることを“語る”ものです」

 「ブランドメッセージが現場の実態と合わないような企業も多くある中で、メッセージと実態を一致させることはとても重要だと思います。そのためバックオフィスでの人の雇用の仕方、お金の使い方、お客さまへのサービスなどの詳細を含めてブランドだと考えて、幅広く取り組んでいます」

 特にバックオフィスのシステムは、この先も小杉湯が続いていくための「一番下の地層にあたる」と菅原さん。「小杉湯のブランドをこの先100年続くものにすること」を目標に、「変わらず続いていくための変革」に取り組んでいる。