おそらく2020年は日本の自動車のビンテージイヤーになると思う。特にトヨタのクルマが百花繚乱(ひゃっかりょうらん)状態にある。ヤリス、ヤリスクロス、ハリアー、MIRAI、あるいはグランエースも入れてもいいかもしれない。

 そこにスバルのレヴォーグが加わり、マツダからはMX-30が参戦する。未発売だがうわさを総合するとどうも新型のノートe-POWERも良さそうだ。

 日本車のビンテージイヤーというと、89〜90年が思い起こされる。日産スカイラインGT-Rにユーノス・ロードスター、トヨタ・セルシオ、ホンダNSX、スバル・レガシィ、日産プリメーラ、日産フェアレディZ、トヨタMR2。並び順は筆者の勝手な思惑である。

 さて、この89〜90年のビンテージイヤーと20年のクルマは少し違う。89〜90の時には特定の条件で世界一になった感じが強い。レーダーグラフのある部分が突出して世界を驚かせた感じ。だからスポーツ系が多かった。しかし20年のクルマたちは、もっと総合的な能力で世界トップといえる実力を持っている。

 じゃあその総合力とは何かといわれると、それはおそらくリニアリティの圧倒的な向上だと思う。

●解像度と面積

 と書いただけでは「なるほど」となる人ばかりではないと思うので、今回はこのリニアリティについてじっくり書いてみたい。

 この連載をご愛読いただいている方なら、「池田はリニアリティにうるさい」と思っているかもしれない。そしてそれは多分イエスだ。以下筆者の見方であることを断って書き進めるが、クルマにとって大事なのは、究極的には「ドライバーが思った通りに動かせること」だ。パワーをありがたがるのも、超高速域まで思った通りに加速したいという欲望のためだと思う。

 逆にいえば、使用頻度の低い高速域を優先するなんてことは愚かなことだと筆者は思っている。時速200キロオーバー専用のクルマなんて特殊過ぎる。ソルトレイクの速度記録競技車みたいなものだ。

 ということで、変なことを言い出す。「リニアリティはちょっとデジタル画像に似ている」ということだ。解像度の低い画像データを無理やり拡大するとギザギザする。表示面積を拡大するために密度を無視して拡大するとそういうことになる。

 最高速度だけを簡単に上げようとすれば、エンジンにとっていろいろ大切な要素を犠牲にして馬力に転換し、ドライバビリティを落とすことになる。それは密度を無視して画像の面積を拡大するのと似ている。大事なのはキレイに見える密度であること。ではピクセル数を増やして、高密度大面積にすればいいかというと、ギザギザよりはマシだがこっちもリスクがある。

 そういう重たいデータはいろんな場面でハンドリングが悪い。コピーするのもアップロードするのも時間がかかる。まあ最近の回線速度だと静止画程度でそこまでのことにはあまりならないけれども、原則論としては不必要にでかいデータのまま扱うのは効率が悪い。

 ここでは、ギザギザをクルマの微細な操作性、パワーを画素数になぞらえている。大きな出力を前提にすれば、各部の強度が必要で、それは重量増加を呼ぶし、それだけのパワーを路面に伝達するためにはタイヤ、ホイールもサイズアップする。ブレーキの容量も上げなくてはならない。それらは当然効率を落とす。

 だから筆者はパワーなんてほどほどで良いと思っているし、それよりもそのパワーで実現できるクルマの動きがギザギザしていないこと、つまり解像度が高いことを第一に求めるのだ。

 具体的にいえば、コインパーキングの閉じたフラップを乗り越えるようなシーンで、タイヤに必要なトルクを正確にかけられ、自分が思った速度でそれを乗り越えられること。レスポンスの遅れや、踏みすぎで加速度が想定を超えて、輪止めに強く当たったりするのはダメだ。

 ここでいつも例えに出すのが醤油(しょうゆ)差しで、一滴でも二滴でも使いたい量が正確に出せるのが良い道具。コントロールできずにドバッと出るのはダメな道具。そしてそういうコントロールが優れていることに比べれば、真っ逆さまにした時どれだけ大量に醤油が出るかなんてことはほとんどどうでもいい。

 ハンドルも同じだ。少し切ったら少しだけラインを変えられること、そしてタイヤの支持剛性の不足で、ステアリングが一定なのにも関わらずタイヤの向きが勝手に変わらないことが大事だ。ブッシュのたわみで少しタイヤのスリップアングルが戻るのは嫌だし、それ以前に切れ込んでしまうようなシステムでは使い物にならない。

 まあ現実問題として、支持剛性不足で切れ込むようなクルマには遭遇したことがない。エンジニアリングのセオリーとしてあってはならないことになっているので、勝手にオーバーステア方向になるようなフロントサスペンションのセッティングはまずない。しかしそれを恐れるあまりに、あるいはそちらの方がより安全だと考えてアンダーステア方向、つまり舵(かじ)が戻る方向へ仕立ててあるクルマは少なくない。

 そういう「逃げ」た考え方を廃し、切ったら切った分だけ曲がり、「舵角(だかく)を変えない限り、その進路が変わらない」。当たり前のようだがそれが理想だ。ここ数年、新たにデビューする日本車に少しずつそういう変化が起こりつつある。それを筆者はとても嬉しく思っているのだ。

 というのがシーンごとに切り取ったリニアリティの話なのだが、2020年の良くできたクルマたちに共通するのは、過渡特性の作り込みだ。

●過渡特性とリニアリティ

 さてそもそもリニアとは何かというと数学的には一次関数のことを指す。つまりグラフが曲線ではなく直線になる関係性だ。クルマの世界でいえば、大抵は縦軸が変位で横軸が時間になる。ごく簡単に言えば、比例といっても良い。

 リニアを目指す意味は、この一次関数的な予測のしやすさにある。「これだけ踏んでこれだけ加速するのだから、この倍踏めば倍加速する」。そういう関係は分かりやすいからコントロールしやすい。

 だがしかし人の感じるリニアリティは、数学的なリニアリティと結構違うから問題なのだ。等速運動を実は人は唐突に感じる。またもや変なことを言い出すが、ちょっとロボットダンスをイメージして欲しい。ロボットダンスの動きは、速度ゼロから一気に目標速度で起動し(あくまでも理想的に考えれば)、その速度を保ったまま目標座標まで移動して、そこでまた速度ゼロになる。

 あれは人の人らしい動きよりずっとカクカクしている。全く自然ではない。だからよほど練習を積まないとああいう等速運動の動きを人間はできない。実際の人の動きをちゃんと研究してみると、速度変化は二次曲線的なのだ。

 例えば、目の前のコーヒーカップを取って口に運ぶ時、持ち上げる時は静かにゆっくり持ち上げ、やがて速度が頂点に達してから減速を始めて、最終的に口のところで速度がゼロになる。

 この動きをグラフにするとベルカーブになる。本来ベルカーブとは統計における正規分布を示すもので、ここでいっているのはベルカーブの学術的な概念と切り離された。グラフの曲線イメージの共有でしかない。

 しかし、マツダのエンジニアもトヨタのエンジニアも近年、期せずして同じようにベルカーブという比喩を用いている。スバルのエンジニアは反応時間でその部分を語る。

 つまり、クルマの操作系におけるリニアリティとは、数学的なリニアではなく、人の感性を中心に置いて、人がリニアに感じる加速度を導き出すという話であり、それをグラフにすると、ベルカーブ的曲線になるという話である。

 また違う例えを挙げてみる。いわゆるCGアニメーションを見ていて、人の動きが不自然な場合があるだろう。動作の起点から終点までの移動距離と時間を想定し、その時間あたり変位を秒間24コマに均等に割り付けると、これがまさにロボットダンス的になる。本来であれば、例えば1秒24コマをベルカーブにプロットして、それぞれ移動距離を変えていかなくてはならない。言い方を変えれば「加速度を均等化」をしないと、人の動きのようにならない。

 最近になって、やっとそういうことができるようになってきた。少し前まで、ロボットのようなギクシャクした動きが嫌なら、ZOZOスーツのように人体各部に座標のマークポイントを取り付けて、リアルな人間の動きを撮影し、それをCGキャラクターにトレースさせないと人間らしい動きにならなかった。これをモーションキャプチャーという。そんな面倒なことをしないと再現できないくらい人の動きは精妙にできているのだ。

 次々にいろんな例えを持ち出して、何が言いたいのかといえば、リニアリティとは、時間に対する変位量をうまく案分することだと主張したいのだ。それこそが過渡特性のデザインである。

 現実のクルマの設計でも、昨今、多くのエンジニアが過渡特性について熱心に研究している。「そんなこと今まで分からなかったのか?」という声もあるだろうが、こういう微細な変位量の割り振りをするには、その変位量を受け止めてちゃんと差異にできるだけのシャシー剛性が必要なのだ。変位を一生懸命織り込んでも、そういう全てをシャシーの変形が飲み込んでしまったのでは意味がない。

 反対側から見れば、シャシーの剛性があるところまで到達した結果、リニアリティをもっと子細に研究する意味が出てきたとも言えるのである。

 高剛性シャシーを安価に作れる。そういう技術があってこそ、始めてリニアリティの高い操作系を与えることができる。そういうことを日本メーカー各社が偶然にも同じようなタイミングで迎えた。それこそが20年のビンテージイヤーを作り出したと筆者は考えている。

(池田直渡)