「採用における勤務地の条件を撤廃したため、全国からご入社いただけることになりました」──今年7月3日、そんな大胆な施策を打ち出した企業が話題になった。レンタルサーバやフリマアプリなどを手掛けるGMOペパボだ。

 同社が所属するGMOインターネットグループでは今年1月、新型コロナウイルス対策として、渋谷・福岡・鹿児島のオフィスに勤める従業員の在宅勤務化を発表。5月には、社員の生活や衛生面を考慮した新しい経営スタイル「新しいビジネス様式 byGMO」に移行した。そしてGMOペパボが6月に行ったのが「勤務地条件の廃止」だ。

 制度変更から約3カ月半。同社によると、例年の同時期と比べて全国各地からの採用応募者が急増。「福岡オフィスを拠点に運営していた部署に関東在住の人から応募いただくことも増え、すでに複数人に入社いただいている」という。

 なぜ大胆なリモートワーク化に踏み切れたのか──。GMOペパボでリモートワーク環境の構築を主導した技術・開発部門トップの柴田博志さん(執行役員VPoE兼技術部長)と広報の伊早坂恵美さんに聞いた。

●「週が明けたらリモートワークに移行していた」

 新型コロナ対策としてリモートワークの導入検討を始めた企業の中には、うまく移行できない、移行後も業務がうまくいかないという声もある。一方。GMOペパボではスムーズに移行できた上、社員からは歓迎する声が上がったという。その裏では何が起きていたのか。

 1月にリモートワーク体制へ移行した際、「週が明けたらリモートワークに移行していた、というほど動きが早かった」と伊早坂さんは振り返る。

 「当時はまだ『新型コロナウイルスというものが出てきた』『日本でも感染者が出た』という情報が流れてきた程度でした。まだ世の中が大きく脅威を感じていなかった時期に、トップダウンで素早い経営判断が行われました」

 初日は「会社にPCを取りに行かないと」などとドタバタがあったものの、2日目にはリモートワークに移行。その後、6月に行った社内アンケートでは「リモートワーク体制に満足」という声が約9割に上り、現在では管理職も含めて「ほぼ100%が在宅勤務に移行している」という。

 リモートワークへの全社的な移行を踏まえ、6月には勤務地条件を廃止。すると全国各地からの応募が急増したという。事業主管部署の所在地にとらわれない応募が増えたほか、同社でかつて働いていた元社員の再入社希望も増加。6月以降に寄せられた全応募のうち約2割は、オフィスへの出社を前提としていない遠方在住者からのものだという。

●年に1日「誰も会社に来ないでください」……移行支えた“9年の準備”

 スムーズな移行を支えたのが、同社が2011年から行ってきた「リモートワーク訓練」だ。

 GMOインターネットグループでは、11年の東日本大震災をきっかけに、年に1回のリモートワーク訓練を実施。毎年1日だけ完全在宅勤務の日を設けていた。この日は管理職も含めて全員が在宅勤務になり、柴田さんも「その日に誰かが会社に行ったという話はあまり聞いたことがない」と振り返る。

 「リモートワークデーは全員が前日にPCを持ち帰り、当日の朝に始業時間になったら部門ごとの合図で仕事を始める。夕方には『終わりです』とまた合図をする。翌日はPCを持ってオフィスで仕事をする。それだけのことですが、会社の外で働くことで見える景色も変わり、けっこう盛り上がりながらやっていた」(柴田さん)

 社内では「お祭り行事のように」受け取られていたというリモートワークデーだが、スタート後しばらくはトラブルも多かったようだ。「VPNに接続できない」「業務システムやデータベースにアクセスできない」など毎年何らかのトラブルが発生。中には「必要なシステムにPCがつながらないまま終業時刻を迎えてしまった」とこぼす社員もいたという。

 「でも、トラブルが起きたからこそ、問題点の洗い出しができた」と柴田さん。例えば「VPNにつながらない」という課題に対して考案したのが、VPN経由で社内システムにアクセスしなくても働ける手段として、さまざまなクラウドサービスを用意することだ。

 同社はここ数年で、従来ファイルサーバで保管していたファイルのほとんどをGoogleの「G Suite」に移行。一部の重要書類や、複雑なマクロが組まれた一部の業務ファイルなどを除き、ほぼ全てのファイルをG suiteに移行している。

 このほか、全社コミュニケーション基盤には「Slack」、ソフト開発のプラットフォームとしては「GitHub Enterprise」をそれぞれ採用。さらに職種ごとに必要なクラウドサービスを適宜利用している。例えば営業やディレクターなどの職種は、プロジェクト管理/タスク管理ツールとして「Notion」を使う──といった具合だ。

 各部署が導入するクラウドサービスの選定は「その部署に任せている」と柴田さん。一般的に、ボトムアップでITツール利用を広げると全社の情報ガバナンスが効きにくくなる課題もあるが、GMOペパボでは「使っているサービスの良いところを全社に共有してもらう場を作る」ことで、ゆるやかに各部署の利用サービスを把握しているという。

 また、全社のアカウント認証(シングルサインオン)基盤として、クラウドID管理の「OneLogin」を採用。「部署ごとに使うサービスはお任せしますが、できるだけOneLogin対応のものを使ってほしいと伝えている」と柴田さんは話す。

●開発用サーバへのアクセス許可は「botに一声」 進化するエンジニア就労環境

 GMOペパボの社員数は約400人。その最も多くを占めるのがエンジニア(約100人)だ。柴田さんによると、リモートワークの本格導入後、エンジニアの就業環境もどんどん進化している。

 「1月以降、足りないソフトは自分たちで開発して補っていきました」と柴田さん。リモートワーク移行前は、VPN経由でないと開発用サーバに入れなかったり、必要なデータベースにアクセスできないといった課題があった。そこで取り入れたのが、Slackを活用した独自のアクセス認証の仕組みだ。

 「Slack上で稼働しているbotに話しかければ、VPNにつなぐことなく開発サーバやデータベースにアクセスできるようにしました。終了するときはそのことをbotに伝えるだけ」。インフラとしてはOpenStackで構築したIaaS環境を利用し、サーバ側の処理で個別ユーザーのアクセス許可・禁止を切り替える仕組みだ。そのユーザーインタフェースしてSlackを利用している。

 「VPNは、同時接続者数が増えると接続速度がどんどん遅くなり、非常にストレスフル。それが耐えきれなかった」と柴田さんは打ち明ける。

 「2020年の今、VPNよりも自宅のインターネット回線のほうが圧倒的に速いので、できるだけVPNを使わずに仕事の成果を上げられるようにしたかった。でもセキュリティがガバガバだと困ります。この方法なら『誰が』『いつからいつまでの間』『何を使っているか』がすぐにSlack上で分かる。むしろ透明性が上がり、もし何かあった時も対応しやすくなるはずです」

●本社そっくりの“バーチャルオフィス” 有志の社内エンジニアが構築

 リモート環境でも社員同士はSlackなどでコミュニケーションを取っているが、より「つながり」を意識できるユニークな取り組みもある。有志のエンジニアが作った「バーチャルオフィス」はその一つだ。

 バーチャル空間共有サービスの「cluster」で作ったこのバーチャルオフィスは、GMOペパボの東京本社をVR空間上に再現。コロナ禍以前に社員たちが集っていた部屋の細部や、窓から見える景色まで細かく再現しており、今では社内行事で使うなど、半オフィシャルサービスのような扱いになっているという。

 リモートワークの本格導入から半年以上たち、全体を通じて「かなりうまくいっている」と柴田さんは自社の取り組みを評価する。一方、まだ完全に解決できていない領域もある。例えばディレクターやデザイナーが複数のメンバーと一緒に何かを作る際など、抽象的な議論をする場合には「既存のオンライン会議ツールだと足りていない」と指摘する。

 「VRやARにはそういった方向への進化を期待したいと思っています。もう少しデバイスやサービスが進化すれば、設計中のプロダクトについて、VRゴーグルをかけたメンバー同士で『ここをもう少し丸くしたい』とかディスカッションできるようになるかもしれない。そういうテクノロジーの発展に期待したい」(柴田さん)

●「見えない」からこその働き方 今後のオフィスはどうなる?

 「他の人の仕事ぶりが見えない」「成果が見えない」など、リモートワークでは「見えない」ことが増える。この課題に対して同社では、社員の成果評価基準を改めたほか、自己評価でも「なぜこの評価がふさわしいと思うのか」を言語化する仕組みに。会社に関わる資料は全社員に公開し、評価資料もオープンにするなど、「見える」情報を増やして対応しているという。

 「離れていても一緒に仕事を進めている、一緒に会社を作っているという思いを感じられる、共有できることが大事なんじゃないか」と、柴田さんはリモートワーク時代の企業の在り方を展望する。

 一方、従来のオフィスが完全に不要になるとは考えていないという。

 「新型コロナウイルスが収束した後、オフィスはコラボレーションする場、『共創』の場になっていくんじゃないかと考えています。個々人が成果を出す、成果を最大化するためにどうするかは自分で考える。その中で、リモートワークもできるし、オフィスで仕事もできる。一人ひとりが一番やりやすいと思える環境を用意しておくことが大事だと思っています」(柴田さん)