ディオバン事件から学ぶもの

ディオバン事件から学ぶもの

上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

【まとめ】

・ディオバン事件を機に臨床研究法が成立、医療界・製薬業界に変化。

・薬品会社から50人の医師に多額の金が流れていた。

・今、製薬会社と医師に求められているのは「透明なプロセス」。

 

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「この研究をするのは、当初、気が進みませんでした。無用な敵を作るからです。ただ、研究不正は患者さんの健康に直接関わります。また、ディオバン事件は母校の千葉大学が関与していました。事件の後、どうなったのか、はっきりさせたいと考え、決心しました」

こう語るのは澤野豊明医師である。南相馬市立総合病院に勤務する外科医だ。5月17日、アメリカ医師会が発行する“JAMA Network Open”誌に製薬マネー研究の論文を発表した。

この研究は、2012年に発覚した降圧剤の臨床研究不正であるディオバン事件に関わった医師が、その後、製薬企業とどのように付き合っているかを調べたものだ。

▲写真 澤野豊明医師 出典:Twitter @Toyoakisawano

ディオバン事件の舞台は、京都府立医大、慈恵医科大、滋賀医科大、千葉大、名古屋大だ。ノバルティスファーマ社(ノ社)が販売する降圧剤バルサルタン(商品名ディオバン)の臨床研究で、その効果を高めるようにデータが改竄され、その結果が英文医学誌や学術集会で発表されていた。一連の臨床研究ではノ社の社員が統計解析を担当し、論文ではそのことを隠していた。

ノ社は研究成果を販促に使い、最盛期には国内で年間に1400億円超を売り上げた。ノ社からは臨床研究を遂行した教授や彼らが主宰する講座に巨額の資金が渡っていたことが分かっている。

2014年6月、元社員は薬事法の誇大広告違反容疑で逮捕され、7月にはノ社とともに起訴された。現在、係争中である。

5つの大学が発表した一連の論文は撤回され、慈恵医科大、滋賀医科大、京都府立医大の関係者は引責辞任した。

さらに、2017年4月には臨床研究法が成立し、翌年4月から施行された。この結果、製薬企業の資金提供を受けて実施する医薬品の臨床研究は「特定臨床研究」と位置付けられ、モニタリング・監査などが義務付けられた。

製薬業界も動いた。日本製薬工業協会(製薬協)に加入する製薬企業は、2013年度分から医師や医療機関に支払ったカネを公開するようになった。

ディオバン事件を反省し、医療界・製薬業界は変わった。特に製薬企業から医療界へのカネの流れが開示されたことは大きい。どの企業とどの医師が連んでいるか第三者が検証できるようになった。

私が主宰するNPO法人医療ガバナンス研究所はワセダクロニクルと共同で、2016年度支払分から製薬マネーをデータベース化して、無料で公開した。

澤野医師たちは、このデータベースを用いて、ディオバン事件に係わった50名の医師たちが、2016年度にどの程度製薬企業から個人的にカネを受け取っていたか調査した。この調査には大学などに支払われた寄付金や共同研究費は含まれない。

その結果は衝撃的だった。論文著者50名中、29名(58%)が製薬企業からカネを受け取っていた。その総額は6418万円で、内訳は講演料5418万円、コンサルタント料673万円、原稿料243万円だった。

受け取った金額の平均は128万円で、5名が500万円以上、3名が1000万円以上を受け取っていた。その3名とは、室原豊明・名古屋大学教授(1433万2156円)、前川聡・滋賀医科大学教授(1132万2051円)、小室一成・東京大学教授(1051万494円)だった。小室教授の前職は千葉大学教授で、ディオバンの臨床研究のトップだった。

問題を指摘された5つの臨床研究では、小室教授と室原教授を除く3名は引責辞任などの形で責任をとっている。教授職に留まったのは小室教授、室原教授だけだ。

ディオバン事件発覚後も、彼らは地位に固執しつづけた。例えば、小室教授の場合、2014年7月に千葉大学が公表した調査報告書では、「虚偽の説明をし続け、調査を混乱させ、長期化させた」と糾弾されている。千葉大学は、小室教授が在籍する東京大学に「しかるべき処分の検討を要請」した。私が知る限り、前代未聞の対応だ。ところが、小室教授はその地位に留まった。記者会見などを開き、自ら説明することもなかった。

東大や医学会にも当事者意識はなかった。千葉大から処分を求められた東大は、前職での問題で自らに処分権限はないとして動かなかった。医学会については、2016年6月、小室教授は日本循環器学会の代表理事選挙に選出された。

トップがこれでは組織は緩む。ツケは患者が払うことになる。その典型は医療事故だ。昨年11月、東大病院で医療事故隠蔽疑惑が指摘され、国会でも議論された(参考「選択」記事)。舞台となったのは小室教授が率いる循環器内科だった。これについても、医療機器メーカーとの関係が指摘されている(参考「Forbes Japan」記事)。知人の東大病院の内科医は「ディオバン事件で小室教授が引責して、やり直していたら、このような事故は起こらなかったと思う」という。

では、彼らにカネを支払っている製薬企業はどこだろう。前出の3人の教授に対し、年間に100万円以上を支払っている製薬企業は以下だ。

室原教授: 第一三共(163万7143円)、田辺三菱(128万762円)、バイエル薬品(111万3704円)、MSD(106万805円)、アストラゼネカ(105万8018円)、日本べーリンガーインゲルハイム(100万2332円)

前川教授: 日本べーリンガーインゲルハイム(172万6242円)、アステラス製薬(145万円)、田辺三菱(144万7818円)、武田薬品(125万8924円)、第一三共(100万2334円)

小室教授: 日本べーリンガーインゲルハイム(336万3388円)、武田薬品(137万4632円)

この結果をみて、私はさらに失望した。結局、ディオバン事件を経て変わったのは、ノ社だけだったからだ。現在、ノ社は影響力のある医師にカネを払って、処方を増やそうという戦略をきっぱりと止めている。

これはスイス本社の方針が影響している。私の個人的な経験をご紹介したい。

2013年10月、不祥事を受けて、スイス本社のデビッド・エプステイン社長が来日し、謝罪の記者会見を開いた。

その前日、彼は東京大学医科学研究所に私を訪ねてきてくれた。私との面談の最中、彼は日本法人の幹部の名前を挙げ、「どのように思うか」と問うた。私は自分の感想を率直に述べた。彼も概ね同じように考えていたようで、「信頼を取り戻すためにはどんなことでもする」と語った。その後、多くの幹部が更迭され、ノ社は販促の方針を一変した。

さらに「不正にカネを得たのが問題なら、返還せねばならない。どうしたらいいかわからないので協力してほしい」と言われた。私は総理官邸の知人に紹介した。ただ、その後、ノ社からカネが戻されたとの話は聞かない。どこで止まったかわからない。

この事件で変わったのは、ノ社だけだったようだ。私が、今回の調査結果をみて、もっとも驚いたのは日本べーリンガーインゲルハイム社が多額のカネを支払っていたことだ。小室教授にいたっては年間に336万3388円だ。

実は同社の青野吉晃社長は、かつてノ社に勤めていた。営業本部長・執行役員としてディオバンの販促に関わった。ディオバン事件のキーパーソンだ。彼は移籍したところでも、同じことを繰り返していたことになる。

日本べーリンガーインゲルハイム社にとって青野氏は有難い存在だったろう。降圧剤の販促のノウハウとネットワークがあるからだ。

同社が保有する降圧剤はテルミサルタン(商品名ミカルディス)だ。バルサルタンと同じくアンギオテンシン受容体拮抗薬(ARB)に分類される薬剤だ。日本べーリンガーインゲルハイム社が製造し、アステラス製薬が販売し、両社で共同販促している。

青野氏が移籍後、ミカルディスの売上は右肩上がりを続けてきた。2010年に約1000億円だった売上は、2015年には1684億円に達する。ミカルディスは2017年に特許が切れて、ジェネリックが発売されるが、それまでドル箱として同社の経営を支えた。ちなみに、その間、ノ社のディオバンの売上は右肩下がりだ。

ディオバン事件の医学的な教訓は、ARBと言う新規降圧薬の効果は、カルシウム拮抗剤という古くて安い降圧剤と変わらないということだった。ところが、多くの臨床医はディオバンの処方は止めたものの、カルシウム拮抗剤やACE阻害剤(ARBと似た古い薬)などのジェネリックには切り替えず、新薬であるミカルディスを処方したことになる。これは純粋に医学的な理由だけでは説明できない。製薬企業の販促が医師の処方に影響したと考えるのが妥当だ。

もっとも、この件について製薬企業や医師がやっていることは違法ではない。製薬企業が医師に講演を依頼し、謝金を支払うのは合法的な営業活動だ。年間に1000万円以上のカネを製薬企業から受け取っている教授たちも、彼らは大学と裁量労働契約を結んでいるので、年間に本俸と同額までしか兼業を認めないなどの医学部などの部局の内規には抵触するものの、大学との契約上はなんら問題はない。

ただ、これは製薬企業と医師の内輪の理屈だ。これでは国民から信頼されない。規制で守られ、税金や保険料で食っている製薬企業や大学教授たちのとるべき態度ではない。

どうすればいいのだろうか。製薬協や大学・学会に多くは期待できない。だからといって、政府による規制強化には賛同できない。大学における学問の自由は先人たちが築き上げてきた財産だ。大学教授たちの振る舞いを縛ることは、学問の国家統制に繋がりかねない。

我々がやるべきことは、情報公開を進め、公で議論することだろう。澤野医師たちの仕事は、その萌芽だ。そのためには、多くの関係者の協力が必要だ。今回の場合、製薬協が情報開示を進め、ワセダクロニクルと我々でデータベースを作成した。そして、それを澤野医師たちが解析し、その結果を米国医師会が掲載した。

これはオープンなやり方だ。澤野医師たちの主張に賛成できない医師や研究者は米国医師会に反論を送ればいい。編集部が意義があると判断すれば誌面やサイトに掲載し、反論を多くの読者が読むことができる。さらに議論が拡がる。こうやって議論を積み重ねれば、やがてコンセンサスが形成される。このような透明なプロセスを経ることは、社会の信頼感を勝ち得る上でも有用だ。製薬企業と医師の関係については、地道に公の場で議論を積み重ねていくしかない。

トップ写真:マネーデーターベース「製薬会社と医師」出典:ワセダクロニクル


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