暗黒の木曜日──繁栄の絶頂から奈落の底に転げ落ちた1920年代のアメリカ経済。一体どこに問題があったのか。また、世界経済にどのような影響を及ぼしていたのか。アメリカ経済史が専門の経済学者、秋元英一氏が世界大恐慌のメカニズムをひもとく。(JBpress)

(※)本稿は『世界大恐慌――1929年に何がおこったか』(秋元英一著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。

世界経済の中心イギリスの転落

 アメリカ経済はヨーロッパを中心とする当時の世界経済にどういう影響をおよぼし、また、世界経済がどういう問題を抱えていたのか。

 第一次大戦と第二次大戦にはさまれた約20年のあいだを両大戦間期と呼ぶが、この時期に世界経済は大きな構造変動を経験した。かつて7つの海を軍事的に制覇し、外交的、経済的にも世界経済の中心(覇権国、ヘゲモンという)の位置にあったイギリスは戦後経済の疲弊がはなはだしかった。このイギリスにかわって債権国となったアメリカがのし上がってきた。

 ところが、アメリカはイギリスとちがって、世界経済安定のために進んで調停役を買ってでる用意がなかった。アメリカにはもともと19世紀末の「フロンティアの終わり」までは世界経済へのかかわりを極力小さくしながら、経済成長してきた歴史があるし、先進諸国のなかでは貿易依存度がきわめて低いという事情もあった。

 こうして、世界の政治経済にたいするアメリカ独特のスタンスが生まれた。このことが両大戦間期の歴史に大きな影を落としていることに、気づく必要がある。

債務国に転落したイギリス

 第一次大戦後、ヨーロッパにはT型車の風は吹かなかった。第一次大戦は「総力戦」と形容されるとおり、国民の一人ひとりにまで戦争の影響がおよんだ。

 もともと人口増加率が低かったフランスは戦死者数が多かったために、人口構成のピラミッドが変型し、元に戻るのに年月がかかった。人口の面から国力が弱まったともいえる。また、「戦勝国」の側に立ったため、国民は応分の補償を要求した。大衆の圧力を受けやすく、政治はやりにくくなった。

 イギリスも相当の犠牲をはらっての「勝利」であった。フランスほどの人的損害はなかったが、これまでイギリスの覇権を支えてきた繊維、石炭、鉄鋼、造船などの産業でコストが硬直的となり、斜陽化の色彩が強まった。

 イギリスはまた、第一次大戦中に大量にアメリカに引き受けてもらった国債の元金と利子負担が重くのしかかり(これはフランスもおなじだが)、一挙に債務国に転落した。

 戦争に負けたドイツは、もっとひどかった。多額の賠償金を課せられたために、賠償金を返しながら、どうやってかつての「敵国」と協調的な関係を築くかに腐心しなければならなかった。敗戦国ドイツがかかえた「精神的ダメージ」も大きかった。右翼はたえずそれを題材として、ワイマル共和国政府与党勢力や左翼・共産党を批判した。