「カメラ目線でいいですか?」

マスク姿のカメラマンに問いかけながら、髪をかき上げたり、腕を組んだり、次々とポーズを繰り出していく小林麻美さん(66)。そのしぐさはごく自然で、30年というブランクを感じさせない。

70年代に17歳でデビュー後は、モデルや歌手として、それまでのアイドルとは一線を画した“アンニュイで、いい女”のイメージで独自の存在感を示した小林さん。所属事務所社長との入籍を明かし、結婚・引退会見を行ったのは91年春のこと。以降、きっぱりと芸能界から身を引き、育児に専念していた。

それから25年後の復帰も、また衝撃的だった。16年に雑誌『クウネル』の表紙に登場した際は、再び世間とファンを驚かせたものだ。

「このコロナ禍で子供は学校にも行けないし、家でじっとしてろというのも無理ですよね。そうそう、私も、あのお母さんみたいに、いつも息子の公園に付き添ってました。この日差しだと、帽子をかぶっても日焼けしちゃうんですよねえ」

事務所の大きなテーブルを挟んで“距離”が保たれ、かつ窓が開放されているのを確認した小林さんは、これもごく自然にマスクを外すのだった。話しぶりも実にサバサバとして、これまで知ることのなかった屈託のない人柄が伝わってくる。

「本当に25年間は、子育て一筋でしたから……。着ているのも、いつも家では汚れてもいいスエットだったり(笑)。そんな話でよかったら、今日は何でも聞いてください」

そう言って、ひたすらに孤独だったという少女時代のことから、あけすけに話し始めた。

「家族はもちろんいたんですが、いわゆる団らんを味わうような家庭は、私にはなかった」

53年11月29日、東京都大田区に生まれた小林麻美さん。父親は会社経営、母親も美容室を経営しており、何不自由ない環境で育った。

「お金には困りませんでしたが、それより、学校から帰ったら母親がオヤツを用意して待ってくれているような普通の家庭、そう、テレビの『サザエさん』のような家庭に憧れていました」

180cmの偉丈夫で、大型バイクも乗りこなす趣味人の父は、娘にとって理想の男性像でもあったが、自宅のほかに別宅を持ち、愛人がいることもわかっていた。

「母はよく泣いていたかな。父と諍いがあると、母が荷物をまとめ始めたり。幼かった私は、『ママが家出しちゃう』と不安でなりませんでした」

中学に上がるころ、家庭での孤独を紛らわすかのように、遊び歩く日々が始まる。

「週末には映画だったり、グループサウンズを見たくて銀座の日劇ウエスタンカーニバルだったり。中1からハーフのボーイフレンドもいましたし、そのうち、横浜の米軍の本牧ベースにも行くようになってました。ライブを見ようと銀座をうろついていると必ず補導されて、やがて大田区の青少年保護センターで面接指導を受けるようにも」

あるとき、父親の埼玉にあった別宅に、米軍キャンプで知り合ったボーイフレンドを連れて行き、夜通し遊んでいた。そこへ突如父が帰宅して、小林さんは仲間の前で両頬にビンタを食らう。

「父の別宅を出て乗り込んだ京浜東北線の中で、ふと思うんです。“もう、やめよう”と。こんな親のために、不良と呼ばれて人生を棒に振るなんて冗談じゃない、そう思いました。あのとき、もし、逆ギレして自暴自棄になっていたら、私は取り返しのつかないところに行っていたと思うんです。“少女A”は、その夜で卒業しました」

以降、芸能デビュー、電撃結婚を経て、子育てもひと段落したかつての“少女A”は、今は母のおおらかさを感じさせる顔でほほ笑む。小林さんは、今後は自分のキャリアを生かせる仕事を自然体でこなしていきたいと、抱負を語った。

「いまは、3歩進んで2歩下がって、またちょっと横になって、1歩前へ、という感じかな。最初の一歩を踏み出すのは勇気がいりました。でも、全力を注いだ子育ての時間があったからこそ、すっぱり気持ちを切り替えて、もう一度、何かお仕事をしてみようかなと思えたんです」

「女性自身」2020年7月7日号 掲載