1950年に世界選手権としてスタートしたF1。その2戦目に組まれていたのはモナコGPである。しかし意外と知られていないことかもしれないが、F1世界選手権のレースとして次に開催されたのは1955年のことだった。つまり、4年間F1モナコGPは開催されなかったというわけだ。初期のF1モナコGPは開催カレンダーに定着したレースではなく、毎年の開催は安泰……というようなモノでもなかった。

 つまり、F1世界選手権として最初から今まで開催し続けているのは、イギリスGPとイタリアGPのみである。

 では、なぜモナコはレースを維持し続けるのに苦労したのだろうか? タックスヘイブン(租税回避地)としてのモナコ公国の立ち位置、そしてカジノなどからの収益を考えると、通常ならば開催資金に困るわけはないとも思える。

 アントニー・ノゲスによって1929年の4月に設立されたモナコGPは、すぐに人気を博すこととなった。

 そして、このレースはすぐに国際レースの開催カレンダーの一部となった。しかしモナコ自動車クラブ(ACM)は、ビッグネームを出走させるために、多額のスターティングマネーと賞金を提供しなければならなかった。

 ただ弱点もあった。モナコGPは公道で行なわれるため、沿道の建物のバルコニーに多数の観客が入る。しかし、これではチケット収入は見込めない。実際に観客席のチケット販売による収入は低かった。

 1930年と37年の両方のイベントでは、ACMはギャンブルの対象にし、その収益を増やした。パリ-ミュチュエル方式により所定の控除率を収益として確保することができたのだ。そして、独立した形での懸賞も用意した。しかしそれでもなお、年間損失が計上された。

 1938年までに、ACMはメルセデスやアウトウニオンを参戦させるために、1台あたり約500ポンドのスターティングマネーを支払えなくなった。そしてその年のレースは開催されなかった。