ダルビッシュ、ドジャースでのデビュー戦に挑む

ドジャーブルーを身にまとうダルビッシュ有は、背番号21を選択した。ドジャースの背番号21と言えば、近年に着用していた選手ではザック・グレインキー(現ダイヤモンドバックス)の姿が思い浮かぶ。

グレインキーは細分化すれば、10種類を超すとのレポートもあったほど多彩な持ち球をピンポイントで操り、セイバーメトリクスにも精通するなど知性も備える“投球博士”だ。

「金が最も重要」と言い放ち、莫大なサラリーを手にして加入したドジャースでは、在籍3年間でクレイトン・カーショウと合計104勝を挙げ、同期間は2人でナ・リーグの最優秀防御率のタイトルを独占した(いずれも防御率1点台での受賞!)。

この2人はワールドシリーズを制覇するどころか進出さえならなかったが、過去には画竜点睛を完成させた「ドジャース左右の両輪」もいた。

“神の左腕”サンディ・コーファックスと“ビッグD”ドン・ドライスデールは、1962年からの5年間で4度もサイ・ヤング賞を獲得した、メジャー史上でも屈指のダイナミックデュオだ。

コーファックスは投手最高の栄に浴した1963年と1965年に、いずれの年もドライスデールと合わせてワールドシリーズ3勝をマークするなど、頂上決戦のMVPを獲得する活躍でチームを世界一に導いた。

1966年にもサイ・ヤング賞に選出されたコーファックスだったが、今度はワールドシリーズで敗れると、その直後に30歳の若さで現役引退を表明する。

その後、ドジャースは3度のワールドシリーズ敗退を経て、1981年に世界一へと返り咲いたが、史上初めて新人王とサイ・ヤング賞を同時受賞したフェルナンド・バレンズエラに並び立つ投手は存在しなかった。

同じく、チームが頂点まで登りつめた1988年には、オーレル・ハーシュハイザーがサイ・ヤング賞&ワールドシリーズMVP獲得と獅子奮迅の働きを見せたが、バレンズエラは故障の影響でキャリアワーストの成績に終わり、プレーオフでは投げていない。

それ以来、ドジャースはワールドシリーズの舞台から遠ざかっている。球団史を振り返ると、2枚看板の力が物を言ったこともあれば、図抜けたエースの存在が大きかったこともあるということだ。

ただ、ここ数年のドジャースはカーショウが独力ではチームを最後まで導けず、自らに匹敵する2番手を擁しても、それは同様だった。

オフにグレインキーが去って迎えた昨年は、プレーオフで鬼神のごとくフル回転したカーショウだったが、「短期決戦に弱い」のレッテルを剥がすには至っていない。

そこで、西の名門は再び、左右のワンツーパンチを繰り出す戦法を選んだ。

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