家事アイテムオタクなライター藤原千秋が、暮らしの不具合等々への現実的対処法とともに、忌憚ないアイテム使用感をご紹介していく連載記事です

 いわゆる「台ぶきん」(キッチンの調理台や食卓を拭くふきん)の衛生状態というものは、かなり怪しい……という啓蒙が、数年前からなされている。ご存知だろうか。

 初手は「アルコール除菌」に関する商品PRからだったと記憶しているが、実際問題「確かに……」と頷いてしまう人は少なくなかったと思う。

 面白いのだが、各家庭での家事のやり方というのは、概ね主婦(夫)の親のやり方の模倣から始まる。もし親が(実家で)台ぶきんを使っていたなら、子どもも自分の築いた家庭に、無批判的に取り入れてしまう。

 おかしいな、と思っても何故か改変することに罪悪感を覚える。「衛生的に難ですよ」と指摘されて初めて、「本当は気持ちが悪かった」ことを自覚するくらいだったりするから、根深いものがある。

 実は台じゃなく、食器を拭くほうのふきん、というのも結構あやしい存在だ。ふきん掛けにかかっているふきんが、黄ばんでたり茶ばんでいたりしても、親世代はあまり頓着しなかったりする。そして、たまに漂白剤に浸けて漂白しながら、ながながと同じものを使用していたりする。

 筆者自身は、なぜか「ふきんというのは高価なもの」と長年思い込んでいた。実家で使われていたふきんの類はほとんどが銀行か郵便局でもらったもので、つまりそういうところからしか入手できないような、特別なものなのだと思っていたのだ。なので結婚する時、わざわざ未使用のそれをたくさん貰い有難く感じていた。

 ほどなく新生活で、ふきん類はもれなく黄ばんで臭い、困った。「洗濯機で洗うのはご法度」とも思い込んでいたので、その処遇に途方にくれた。

 親の真似をしてキッチン用漂白剤に浸けると、黄ばんだところに穴が開く。黄ばみ即ち微生物の繁殖、分解活動であり、ふきんの繊維が弱っているのでそれは不思議でもなんでもないことではあるのだが、当初は理路がわからず困惑した。同じように掃除用の雑巾の始末にも頭を抱えた。20年前の話である。

 それらはおしなべて「布」でなければならないものではなかったのだと、そういう方向に「進化」してきたのがこの四半世紀なのではないかと思う。不織布の発現と進化は床掃除の概念をフローリングワイパー色にすっかり塗り替え、雑巾は家庭から姿を消しつつある。

 一方、エコロジーやサスティナビリティといった流れで、2000年代の始めの頃の「家事」界には使い捨てを厭う「リネン」や「さらし」や「ガーゼ」への回帰傾向があった。

 しかしそういった布ものを使いこなせる「ていねいな暮らし」が、現実の生活で困難なことも明らかになりつつあるいま、「使い捨てられるけれど何度も洗って使える」絶妙な存在が、この「スコッティファイン」…洗って使えるペーパータオルなのだろうと思う。

 キッチンにおける従来のペーパータオルの使い方もできる。ただそれだといささか経済ではない。なるべく従来の「布」に準じた使い方をするのが一番おすすめだ。野菜の水分を取り、皿を拭き、濯いで台拭き、コンロ拭き、床拭きなど使いついで汚れきったところで捨てる。何カ月も使うわけではない、せいぜい1日かそこいらで使い終える。そのことへの罪悪感も抱かせないコスト感も絶妙である。

余談だが、これはおそらく「キッチンペーパー」のくくりであると思っていると思いつけないのだが、これを畳んで出先で持ち歩くハンカチ代わりにするという使い方も挙げておきたい。トイレ使用の後の手拭きなどにちょうどいい。乾かして数回使ってもいいし、使い捨ててもいい。