<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(1)所有と利用、中心街で分離

<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(1)所有と利用、中心街で分離

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。民間事業者らによる町復興連絡協議会(FRK)の設立を機に、再生のバトンは若い世代に託された。公民連携で町を「経営」する−。手探りで描いた将来像だ。第2部では、その理念を体現するまちづくり会社の誕生や、多様な機能が有機的につながる仕組みを追う。(石巻総局・関根梢)

 FRKは、100年先を見据えた町のグランドデザインを示した。コンセプトは「住み残る、住み戻る、住み来る」だ。
 提言として打ち出した一つが、中心街をまとめて公設民営の商業施設とする案だった。
 町が中心街区の土地を買い上げるなどした上で、店舗や周辺の設備を建設する。そして経営や開発は、民主体の「まちづくり法人」が担う。所有と利用を分離することで、店舗の流動性を高めて、シャッター街化を防ぐ狙いがあった。
 FRKメンバーで新聞販売店店主の阿部喜英(49)は、震災直後から民間主体のエリアマネジメントの構想を温めていた。しかし、町に新たな仕組みを持ち込み、定着させる道のりは平たんではなかった。
 「まず、まちづくり会社とは何なのか。それを周囲に理解してもらうのが大変だった」と阿部は言う。

 具体的な手だてを学ぶ場となったのが、現在の一般社団法人公民連携事業機構が2012年に開いた「復興まちづくりブートキャンプ」。被災した市町の一部が参加し、公民連携での復興などを考えた。女川町からは12年3月に「復幸祭」を開催した実行委員の若手経済人と、町職員が名を連ねた。
 ブートキャンプで講師を務めたのは、全国各地で地域の再生を手掛けてきた一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスの代表理事木下斉、岩手県紫波町でまちづくり「オガールプロジェクト」を進めてきたCRA合同会社の代表社員岡崎正信ら。先駆者の実践を参考にしながら、阿部らはまちづくり会社の設立、経営スキルなどを吸収していく。
 しかし、町中心部のほぼ全域が壊滅状態になった女川で、まちづくり会社は何をすればいいのか。参加者は考えあぐねていた。
 「土地が確保できないのは仕方がないけれど、それまで何もやらないのか」。講師陣に厳しく叱られ、阿部は「尻に火が付いた」と苦笑交じりに振り返る。

 3カ月にわたるブートキャンプの最終クールを迎えた12年9月。水産加工業や飲食業といった多様な分野の若手6人が、女川町で「復幸まちづくり女川合同会社」を発足させる。
 公民連携で町を「経営」する。そんな新たな視点に行政も可能性の芽を感じた。町長の須田善明(45)は「まちづくりは終わりのないソフトの取り組みだと気付かされた。公と民が手を組むことで、さらに面白い町ができる」と確信したという。
 町は14年4月、産業振興課内に公民連携室を新設。テナント型商業施設「シーパルピア女川」の開業に向け、庁内の調整や民間のサポートに当たった。
 新たな商店街づくりを目指し、同じ「船」に乗った公民の関係者は手を取り合いながら、針路を模索していった。(敬称略)

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