<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(3)海見える街 丸ごと盛り土

<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(3)海見える街 丸ごと盛り土

 JR女川駅に降り立つと、商業エリアを貫くれんが道の先に穏やかな女川湾が見える。海と街を隔てる、無機質で巨大な防潮堤の姿は見当たらない。
 「防潮堤がない」わけではない。女川町では防潮堤の背後地に約4メートルの盛り土を施し、造成した標高5メートル超の高台に商業施設などを配している。海との一体感を損なうことなく、数十年から百数十年に一度の高さ(L1)の津波に対応する安全性を確保した。
 住居は、東日本大震災と同程度(L2)の津波でも浸水しないよう、造成した高台に移転している。

 同町は震災以前も幾度となく、津波の被害に見舞われてきた。「海が見えなくなるような防潮堤を海岸線域に張り巡らしても、津波の危険性は避けられないだろう」。前町長の安住宣孝(72)は震災直後、将来の町の姿を思案した。町内の犠牲者は827人にも上る。どうすれば将来、忌まわしい津波から町民の命を守れるのか−。
 「自宅に残ろうとする人たちは逃げ遅れてしまう。住宅地は、津波の被害が及ばない場所に整備しなければならない」「避難訓練をしても参加人数は限られる。有事の際に確実に避難できるようにするにはどうすればいいのか」
 町の総面積は65.8平方キロメートル。震災前はその84%を山林が占め、宅地は2.8%。わずかな平地に住宅が集積し、市街地を形成していた。三陸特有のリアス海岸と山に取り囲まれた地形ゆえ、利用できる土地は限られている。
 震災の発生から3日後、安住は人命第一の信念に基づき、将来像を思い描いた。「住宅は高台に移す。巨大防潮堤は造らず、海が見える街にしたい」

 一方で、民間事業者らが震災後につくった町復興連絡協議会(FRK)の若手たちは当初、安住とは別の考えを持っていた。海岸線に沿って城郭のような防潮堤を張り巡らせ、道路として活用してはどうか−。
 しかし、防潮堤を建てるには少なからぬ土地が必要だ。市街地の形成に影響が出る。「やっぱりやめっぺ」。議論を重ねた末、FRKなど民間も「町ごとかさ上げしよう」という意見が大勢を占めた。
 学識経験者や、町の各種団体の代表者らで構成する復興計画策定委員会の答申を経て、11年9月に策定された町復興計画。現在の町の礎が築かれた。
 宅地造成のため切り土で生じた土を、防潮堤の背後地に運び込む。町中心部全体を盛り土し、標高5メートル超の高台に商店街をつくる。さらに山側も約10メートルの盛り土をして高台にする。その場所に住宅を整備する。
 海が眺められる町中心部の商店街は今、復興の象徴でもあり、休日には大勢の観光客や買い物客でにぎわっている。(敬称略)

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