<最速への挑戦>五輪選手 次々に輩出

<最速への挑戦>五輪選手 次々に輩出

 2月9日に開幕する平昌冬季五輪で、スピードスケート日本代表に山形中央高出身の加藤条治、ウイリアムソン師円、小田卓朗、一戸誠太郎の4人が選ばれた。山形の公立校がなぜ全国から注目を集める強豪に成長したのか。強さの秘密に迫る。(今愛理香)

◎山形中央高スケート部(下)飛躍

 山形中央高をスピードスケートの強豪校に育てた椿央(ひろし)監督(52)は、もともと山形に縁があったわけではない。

<静岡から赴任>
 出身は北海道苫小牧市の東部に位置するむかわ町。4歳からスケートを始め、北海道日大高(現北海道栄高)2年で国体少年男子5000メートルを制し、日大に進学。1年の時に全日本選手権で総合4位に入った実績を持つ。卒業後は静岡県の高校で体育の非常勤講師として働きながら、競技を続けていた。
 山形県から声が掛かったのは1989年のこと。当時の山形県は地元開催のべにばな国体(92年)を控え選手強化を進めていた。「教員として働きながら競技も続けられる。迷いはなかった」(椿監督)。90年に赴任。スケート部顧問に就いた。
 公立校を強豪に押し上げるまでの道のりは平たんではなかった。スピードスケートの本場は北海道。あとは長野や群馬が続くくらいで、当時の山形は全くの後進県だった。競技人口が少なく、新入部員がゼロの年があったほど。未経験で入部する選手さえおり、イロハのイから指導しなければならなかった。

<加藤が刺激に>
 局面を大きく変えたのは2010年バンクーバー五輪銅メダル、加藤条治(山形市出身)の存在だ。ショートトラックでスケートを始めた加藤は、椿監督の指導で実力を伸ばし、インターハイの男子500メートルを3連覇。高校生として初めてワールドカップ(W杯)代表にも選ばれた。
 加藤が活躍したことで同校は全国の注目を集め、ソチ五輪に出場したウイリアムソン師円や小田卓朗(ともに北海道出身)の輩出につながった。椿監督は「彼らにあこがれ、有力選手が山形に来る。強さが受け継がれる構図ができた」と振り返る。
 椿監督の次の目標は、加藤、ウイリアムソンらに続く五輪選手の育成だ。「世界で戦える選手を育てるには、高校時代から世界を経験させることが大事。東北から五輪に出場する選手を育てていくことで、さらにスケート界を盛り上げていきたい」。挑戦は道半ばにすぎない。

スゴ得でもっと読む

スゴ得とは?

関連記事

おすすめ情報

河北新報の他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索