■自身も実家全壊/かつての医療仲間ら協力

 1995年の阪神大震災から17日で25年。当時、神戸市内の病院で診療放射線技師として勤務していた富山大芸術文化学部2年の朝戸清照さん(66)=高岡市二上院内=は、被災した医療仲間らの手記を基に物語を書き進めている。自身も神戸市内にあった実家が全壊、日常が一瞬で失われる惨状を目の当たりにした。「震災から25年たち、危機感が薄れてきていると感じる。風化しないように伝えていきたい」と話す。 (西部本社・村田仁美)

 朝戸さんは神戸市出身。同市立中央市民病院での勤務を経て64歳で富山大に入学した。震災時は41歳。同市中央区の実家で寝ていたところ、突き上げるような激しい揺れに襲われた。テレビは床に落ち、ガラスが割れ、壁は壊れた。窓から見える景色が一変しており「ただただ大変なことになったと思った」。

 勤務先の中央市民病院も被害はあったが、同市長田区の西市民病院は天井が崩れ落ち、入院患者と看護師計47人が生き埋めになるなどさらに大きい被害を受けた。

 以前から同病院の職員らと交流があった朝戸さんは震災後間もなく、看護師らと協力し、病院関係者や入院患者らに当日の手記を依頼することにした。

 「思い出すと寝られない」「忘れたい」と、手記を拒む人も多かったが、10人ほどから手記が集まった。朝戸さんはさらに聞き取りを行い、加筆修正した手記を労働組合の組織などを通して全国に発信した。

 震災から15年たった頃、朝戸さんはこの手記を一つの読み物にしたいと考えた。発生当日の出来事を時間軸に沿って再構成。複数の人物の視点で展開する物語にした。

 けが人が詰め掛ける救急外来や、埋め尽くされる遺体安置所、天井が崩落した病室などの細かな描写に加え、関係者の心理を丁寧に書き込んだ。仕事や勉強の合間を縫って書き進め、原稿用紙100枚程度の文章になった。

 現在も絶えず読み返して推敲を重ねている。どのような形で発信するかは未定だが、「若い人は当時の状況を知らず、忘れられていくのは残念。都市直下型地震の警告として読んでもらいたい」と話している。