JR六甲道駅北西にある六甲風の郷公園(神戸市灘区六甲町)。広いグラウンドに遊具や池がある公園で、子どもたちが走り回る。加久(かく)久代さん(76)=同区六甲町1=はその様子をほほ笑んで見つめる。(篠原拓真)

 住宅は新しくなり、広い公園もできた。この一帯が焼けたなんて、今はまったく分からんでしょうね。

 阪神・淡路大震災前、公園一帯は住宅密集地だった。夫の幾康(いくやす)さん=享年(50)=らと暮らしていた加久さん。近くの六甲宮前商店街で営んでいた米穀店は全壊。六甲町で発生した火災が延焼し、自宅も全焼した。

 それでも、消防団に属していた幾康さんは直後から消火や救出に当たった。夜間パトロールや焼け跡の整理にも明け暮れた。

 震災から8日間、いすでうとうとするぐらいやったと思う。「ちゃんと寝なあかんよ」と声を掛けても「みんなもおるから、心配せんで大丈夫や」と話していた。まさか、あんなことになるとは。

 25日昼、幾康さんは加久さんの姉宅に帰り、夕方に横になった。26日未明に大きないびきをかき始め、音が止まった瞬間、枕から頭が落ちた。救急車で病院に運ばれたが意識は戻らなかった。心筋梗塞だった。

 無理にでも寝かしておけば。もっと健康に気遣ってやれたら。今も後悔が消えることはないですよ。

 幾康さんの死後、米穀店の客から聞かされた。左右で別の靴を履いた幾康さんが、お得意さん1軒ずつ回って声を掛けていた−。消防団長を務めていた加久さんのいとこも教えてくれた。消防団の夜回りでは真っ先に動いていた−。

 夫は私の父の米穀店を継いだ。出身も福岡で、「よそ者」という意識があったんやろうね。「自分を受け入れてくれた仲間や地域のために」という気持ちが人一倍強かったんやと思う。

 被災地では、借地人や借家人が土地所有者の意向などで元の土地に戻れないケースがあった。加久さんも借地人。土地所有者は当初、区画整理事業で神戸市に土地を売却する予定だった。

 主人との思い出の土地。主人が守ろうとした街。絶対にこの場所を離れたくなかった。土地はなんとか買い取らせてもらうことができた。私は運がよかったんやと思います。

 その後、元の家のすぐ近くに再建。3人の息子は結婚し、2019年には初孫が成人した。

 3人の息子と酒を酌み交わしたかったやろうし、結婚や孫の成長を見たかったやろうね。

 加久さんは震災前に撮影した幾康さんの写真に語り掛ける。

 この25年で話したいことが積もりに積もっていっぱいよ。でも、東京五輪や大阪万博も見たいし、あと4年はローンもあるし。お父さん、もうちょっとだけ待ってね。

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 夜明け前の街を襲った震度7の揺れは、別れの言葉さえ許さずに家族を奪い去った。この街で生きた「あの人」への想いを聞く。