25年前の試練を役立ててほしい−。阪神・淡路大震災で現場を踏んだ警察官と消防隊員3人が体験と教訓を語る「語り継ごう1・17合同職員研修会」が15日、兵庫県三田市消防本部(下深田)であった。三田署と市、市消防本部の若手ら65人が、有事に備えようと熱心に耳を傾けた。(門田晋一)

■備えて守れる命ある 市消防本部西分署・山門剛係長

 入庁して初めての火災出動が震災だった。当時19歳。神戸市長田区の現場に着くと、毛布にくるまって立ち尽くす人がたくさんいた。建物の消火を始めても水道管が破裂している。時間がたってあちこちから火が上がり、防火水槽や小学校のプールを巡った。最後は長田港で海水を取った。

 放水した倒壊家屋の中から、人のうめき声が聞こえた。すぐに声をかけたが返答はなかった。25年も過ぎたのに、今もあの声が忘れられない。ホースを巻き取っていると、すぐそばで爆発が起きた。「自分は死んだ」。諦めて目を閉じた次の瞬間、30センチ角の角材が飛んできてヘルメットに当たった。けがはなかったが放心状態になり、声をあげることすらできなかった。

 夜に三田から別の隊が来て、交代時に悔しくて泣いてしまった。「人を助けられていないし、何の役にも立っていないのに、体も心も疲れきってしまった」

 意識の備えは絶対に必要だ。災害は必ず起きる。準備をしていれば、必ず守れる命があると信じている。

■ほぼ人力で救助活動 市消防本部・山下栄二予防課長

 消防車で西宮市に入ると、多くの人に呼び止められた。誰もが助けを求めていた。でも指示がないと活動できない。振り切って走るしかなかった。

 住宅の倒壊現場で救助活動をしたが、資機材は不足して斧やバールしかない。ほぼ人力でがれきを取り除くしかなく、柱に体が挟まった人を救えなかった。近くの住民たちに力を借りて助け出せた命もある。ただ、救急車もなく、住民の車で病院に運んでもらった。

 西宮の隊員は自宅で被災して頭に出血をしていた。病院を勧めたが「そんなことしていられない」と言う。家が倒壊しながら働き続ける隊員もいた。しかし、私たちはどんな被害が出ているのか分からずに出動し、食べ物も飲み物も持たないまま駆け付けていた。そのことを激しく後悔した。

 壮絶な現場だったが、震災は資機材を増やし、緊急消防援助隊や自主防災組織ができるなど態勢を充実させた。消防は消火と救急搬送だけではない。人の命を救うことで、市民から尊敬される存在でありたい。

■実態把握に訪ね歩く 三田署・道家利幸署長

 地震発生から4時間後、現場からの報告は「死者2人」だった。当時、長田署で被害状況をまとめて署長に伝令する任務に当たっていた。長田区では死者が900人を超えていたのに、通信手段がなくなり、まるで状況がつかめなかった。

 1軒ずつ訪ね歩いて調べるしかない。署長の決断だった。しかし、制服姿で街を回ると、被災者に助けを求められる。調査を担った署員は、翌日から私服で地域を巡るように指示された。つらい立場だが、実態把握がなければ救える命も助けられなくなってしまう。

 報告があがってきて地図に落とし込み、初めて詳細が分かった。住宅のおよそ3分の2が全半壊し、住民はちりぢりになって市内の90カ所に避難していた。誰が救えていないのか。やっと自衛隊や区役所とも情報を共有することができた。

 「現場の責任で覚悟を持ってやるべきことをやれ」が署長の口癖だった。大災害では無線が通じないこともある。その時には、命を守るために正しいと思ったことをやりきってほしい。