2001年、広島市で開かれていた実業団の大会のシングルス決勝直前。ソウル五輪卓球男子ダブルス金メダリストの偉関晴光(ラララ)は、全国紙の記者から耳打ちされた。「業績悪化で、ラララの卓球部が廃部になる」。耳を疑った。

 「何で大事な決勝の前に言うんだよ、と思いました。切り替えて集中しようと思っても、この先の生活や家がどうなるかという不安が頭を駆け巡って、試合どころではありませんでした」

 本当に廃部なのか。ゲーム間のインターバルで監督やコーチに尋ねたのは、試合のことではなく会社の業績や廃部の真偽についてだった。集中を欠いたまま敗れた。そして1カ月後、廃部は現実のものとなった。

 「それからは、東京の実業団チームや国体を控えていた秋田などを転々としました。熊本を離れることは残念でしたが、選手としての環境を考えてのことでした」

 東京都北区の閑静な住宅街の一角。「偉関卓球ランド」と書かれた青色の看板を掲げた建物から、小気味いいリズムでボールを打つ乾いた音が響く。フロアには6台の卓球台。その奥には、ボールを発射する個人練習用のマシンもある。

 「2007年に選手を引退し、指導者に専念することにしました。次世代を育てる場として選んだのが東京でした。10年計画で、世界トップレベルの選手を育てようと思ったのです」

 生徒の中には、プロを目指す小学生たちも多い。「フォアはそうじゃない。肩を意識するんだ」「やればできるじゃないか」。偉関の指導を受けるため、都外から通っている子どもいるという。

 「五輪のメダリストを育成するには、小学生のような早い段階で基礎を覚える必要があるんです。教えたらどんどん吸収してくれる。全国大会で上位に入賞するなど、みんな力がある選手ばかりなので、やりがいがあります」

 09年の施設開設と同時期に、有望な小中学生を集めて育成、強化する日本オリンピック委員会(JOC)エリートアカデミーのコーチにも就任した。現在は男子監督を務めている。東京五輪出場が決まっている張本智和も在籍しており、指導したこともある。偉関が思い描いた計画は、着実に実を結びつつある。

 「日本選手が中国選手に勝つなんて、少し前まで想像できませんでしたよ。張本はきっとメダルを取る。技術はもう中国選手と遜色ありません。あとは、私も経験した五輪独特の重圧に打ち勝たなければいけない。『自分が王者なんだ』という強いメンタルを持つことが大事です」

 偉関が来日した頃とは比較にならないほど、日本での卓球人気は高まっている。

 「東京五輪によってできた良い流れを、ここで切ってはいけない。プロリーグももっと盛り上げなければいけないし、そのためには次世代のスター選手が必要。その育成には、やっぱり10年かかります」

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、東京五輪の延期が決まった。状況は激しく変わるが、偉関は指導者として五輪後の日本卓球界を静かに見据える。

<取材後記>熊本への恩今も胸に
 熊本時代について話が及ぶと、とても楽しそうに回想してくれた。来日して30年近くがたつ。偉関さんは「こんなに長くいるとはなあ」としみじみ話すが、日本に残った理由は「最初に熊本の人たちが温かく受け入れてくれたから」と言い切る。今でも年に数回は帰熊し、かつての仲間たちと会っているという。「熊本で周りを強くすることの楽しさを知った」と言う偉関さんが指導した次世代のスター選手が今後も現れるのだろう。東京五輪後も、卓球から目が離せない。(嶋田昇平)