【熊本城のいま】飯田丸石垣 明治に積み直し

【熊本城のいま】飯田丸石垣 明治に積み直し

 飯田丸五階櫓[やぐら]の石垣は、熊本地震で大きく崩落。櫓のおよそ半分の重さにあたる約17トンを南東の角だけで支えていた柱状の「1本石垣」は、今月2日から3日間で解体された。熊本市は11月上旬から石垣全体の解体を始め、その後に積みなおしの作業に入る。

 これから解体する石垣は、膨らんだり緩んだりして崩落の可能性がある部分だ。市の熊本城総合事務所によると、東西南北の合わせて約1600個を外す見込み。担当者は「解体の範囲は明確に決まっていない。現場で変わる可能性はある」とした上で、「おおむね明治22年の地震で積みなおした部分と同じくらいを想定している」と説明する。

 市によると飯田丸の石垣は、1889(明治22)年の地震で北側以外の3面が被災した。市の熊本城調査研究センターが2014年にまとめた飯田丸の発掘調査の報告書には、明治の地震で積みなおした範囲が図面に記されている。図面を見ると南側の被害が最も大きく、ほぼ上半分が積みなおされたことが分かる。

 明治の積みなおしの範囲を推定したのは、センターの鶴嶋俊彦さん(63)。石の積み方の技術や崩落した石垣の写真などを参考にした。「明治に積みなおした部分は(図面下の)江戸時代の積み方と違う。特に(石と石の隙間を埋める)間詰[まづ]め石を使っている部分がとても少ない」と指摘する。

 その違いも遠目には分かりづらく、「一見うまく積んでいるように見える」と鶴嶋さん。明治時代、城内は陸軍の拠点であり市民は自由に出入りできなかったが、飯田丸の石垣は市民が遠くから眺められる場所にあった。鶴嶋さんは「市民に見える石垣だったからこそ、江戸時代の部分と違和感がないように考えて積んだのではないか」と推測する。

 飯田丸五階櫓は2005年に復元されたが、その際にも市は石垣の緩みがひどい部分を積みなおしている。市がまとめた復元整備報告書には取り外した石の個数が記録されており、最も多いのが西側の513個で、次いで北側の325個。南側はわずか9個で、東側はゼロだった。

 16年の地震で西側と北側は崩れておらず、復元前の積みなおしが奏功したかに見えるが、鶴嶋さんは「よく分からない。地震と石垣の崩落の因果関係は簡単じゃない」と話している。(飛松佐和子)

(2018年7月13日付 熊本日日新聞朝刊掲載)


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