かつて「スーパーカーブーム」と呼ばれる一大ムーブメントが起きた。1970年代後半、当時の小中学生は夢中になってマンガを読み、テレビ番組を見て、スーパーカーの名前を覚えたものだ。いまの40代〜50代には懐かしい、あの当時を振り返ってみる。

短いけれど強烈な足跡を残したスーパーカーブーム

 1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて、当時、小中学生だった男児にとって一大事件が発生した。それがスーパーカーブームだ。

 きっかけは、1975年(昭和50年)1月に週刊少年ジャンプに連載が始まった漫画『サーキットの狼』であった。その漫画の人気の高まりにあわせて、『スーパーカー消しゴム』のようなスーパーカーに関係する玩具が数多く作られる。

 また、「対決!スーパーカークイズ」(1977年〜 東京12チャンネル)といったスーパーカーを題材としたテレビ番組もできた。スーパーカーを販売する店には、週末ともなればカメラを手にした子供が集まるようになっていた。

 さらに、スーパーカーを展示するイベントも数多く開催され、1977年5月に東京晴海国際貿易センターで開催されたイベント「スーパーカー・世界の名車コレクション‘77」では、4日間で46万人もの人が駆け付けたのだ。

 ブームと呼べる勢いは3年ほどでおさまるものの、当時の小中学生に与えたインパクトは強烈であった。現在の40代後半から50代後半の世代でいえば、そのスーパーカーブームの洗礼が理由でクルマ好きになったという人が非常に多いはずだ。

 実際、筆者は1966年生まれで、ブームのときは小学校の高学年。まさにスーパーカー世代ど真ん中。クルマ好きが高じて、現在のような自動車媒体の道に入ったのも、スーパーカーブームの影響がなかったとは決して言い切れないのだ。

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 スーパーカーブームの火付け役となったのが、池沢さとし(現・池沢早人師)氏による漫画「サーキットの狼」だ。

 ロータス・ヨーロッパ・スペシャルを駆る主人公の風吹裕矢が、公道やサーキットを舞台にレースをおこなうという内容である。

 物語の中には、ライバルとしてポルシェ「911カレラRS」をはじめ、ランボルギーニ「カウンタック」「ウラッコ」「ミウラ」、フェラーリ「ディノ246GT」「デイトナ」、ランチア「ストラトス」、デ・トマソ「パンテーラ」など、いわゆるスーパーカーが数多く登場する。この漫画でクルマの名前を覚えた子どもたちは多かっただろう。

 吹雪裕矢のマシンはだいたいにおいてパワーに劣るのだけれど、それでも「幻の多角形コーナーリング」などの必殺技を駆使して勝ち進んでゆくストーリーに、読者であった子どもたちは大いに酔ったのだ。

 しかし、物語は主人公・風吹裕矢が、市井の走り屋からプロのレーサーに成長する過程を描くもの。序盤は公道レースが中心で、後半にはサーキットを舞台にしたプロのレースの話となる。

 プロの話になると、サニーのワンメイクレースの回が登場するなど、よりマニアックになるが、一方で子供たちにとっては、少々地味に見えたのだろう。漫画の連載は1979年(昭和54年)まで続くものの、スーパーカーブーム自体の勢いは1978年ごろには失速してしまったのだ。

 スーパーカーブームが盛り上がった理由のひとつには、漫画のなかだけでなく、リアルな世界でも実際のクルマと出会えることにあった。もともと、実際に存在するクルマを題材にしており、都会に行けば、数は少ないものの、漫画に登場するクルマを見ることができたのだ。そのため、そうしたスーパーカーを扱う店にはカメラを手にした子供たちが押し寄せたのだ。

 さらに全国のあちこちで、スーパーカーを展示するイベントも開催された。漫画やテレビで見るアイドル(スーパーカー)も、その気になって出かければ、会うことができる。今で言う「会いに行けるアイドル」の元祖がスーパーカーであったのだ。

身近にスーパーカーを感じられた玩具たち

 スーパーカーブームは小学生の男の子に新しい遊びを与えてくれた。それが『スーパーカー消しゴム』だ。

 これはガチャガチャ(カプセルトイ)で買える、スーパーカーを模した消しゴムだ。ただし、硬質なプラスチックというだけで、消しゴムとして使うことができなかった。しかし、一応「これは消しゴムなので、学校に持っていってもOK」という苦しい言い訳のための名称であったのだ。

 ボールペンのノック機構を使って、スーパーカー消しゴムを弾いて遊んだ。ボールペンは、側面が平らで机の上などに置きやすいBOXYという製品が定番であった。

 机の上で順番にスーパーカー消しゴムを弾きあって、机の下に落としたり、机の上に描いたコースを弾いて競争をおこなった。

 少しでも、強く遠くに弾くために、スーパーカー消しゴムの下に接着剤を塗るなどして滑りをよくしたり、またボールペンのバネを強化(伸ばしたり、バネを2本仕込んだり)するなどの技も生まれる。もちろん、数多く所有したほうが偉いというような雰囲気があったのだ。

 また、『スーパーカー王冠』の収集も流行った。当時、ビンで流通していたコカ・コーラのフタとなる王冠の裏にスーパーカーが印刷されていたのだ。これも子供たちの収集競争になったものであった。

 それ以外にもスーパーカー関連のグッズは数多く登場した。スーパーカー下敷き、スーパーカー筆箱、スーパーカーメンコなど。また、当時の子供に人気であったプラモデルにも、当然、スーパーカーが登場していた。そのころのプラモデルは、子供の小遣いでも買えるような身近な存在であったのだ。

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 いま思えば、スーパーカーブームの1970年代中盤から後半は、オイルショックの影響でモータースポーツもスポーツカーも下火になっていた時代だ。

 そうしたなか、オイルショックの暗い影を吹き飛ばすかのように、夢のようなスーパーカーが熱いバトルを繰り広げたのが「サーキットの狼」であった。子供心にも痛快さが伝わったし、当時の大人もそうしたムーブメントを後押ししたのだろう。

 それが、1970年代後半にわずか3年だけパッと花咲いたスーパーカーブームだったのだ。