各メーカーとも、新型車の開発をおこなう際には新たな技術やメカニズム、装備を搭載することで、ライバル車に対してアドバンテージを築きます。一方で、斬新なアイデアながら定着しなかった技術も存在。そこで、アイデアは良かったのに長続きしなかったクルマを、3台ピックアップして紹介します。

優れたアイデアが投入されたけど、長続きしなかったクルマを振り返る

 新型車を開発する際には、ライバル車にはない新たな技術やメカニズム、装備を搭載することをアピールポイントとします。しかし、斬新なアイデアを搭載することは簡単なことではありません。

 さらに、いくら優れたアイデアであっても、定着することなく、すぐに消えてしまったものも存在。

 そんな斬新な企画や技術が投入されながら長続きしなかったモデルを、3車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ「セリカ」

 1970年に、スペシャリティーカーとして誕生したトヨタ初代「セリカ」は、高性能なDOHCエンジンの普及の礎となったモデルです。

 そうした技術面で意欲作だっただけでなく、斬新な販売方法を採用。

 それは、一部グレードを除きエンジンや内装をユーザー自身が自由に組み合わせて、好みのクルマをつくることが可能なセミオーダープランの「フルチョイスシステム」を採用していたことです。

 そのバリエーションはエンジン、外装、内装の組み合わせだけで27通りあり、さらにトランスミッションや塗装、各種オプション品を合わせると、選択肢は数百万通りにもおよびました。

 生産については、全国の販売店からオンラインでその日の受注車両情報を工場が受け取り、オーダーのなかから優先順位や生産の平準化などを考慮して1日分の組立順序計画を作成し、生産現場に指示を出す、「デイリー・オーダー・システム」を構築。

 最短で8日、平均でも10日から11日で、ユーザーのオーダーどおりのクルマが納車可能だったとされています。

 しかし、実際には値引きや納期の関係でそれほど自由に組み合わせを選ぶことができないという声が上がり、オーダーの内容に偏りがあったことなどから、モデルライフの途中でフルチョイスシステムは廃止されてしまいました。

 その後、同様のセミオーダープランはトヨタ「パブリカ スターレット」の「フリーチョイスシステム」や、日産初代「セフィーロ」の「セフィーロ・コーディネーション」などがありましたが、どちらも短期間で終了。

 現在、欧州車を中心に少量生産の高級車では、こうしたセミオーダープランは一般的ですが、50年前に量産車で実現していたことは高く評価されています。

●日産「エクサ」

 日産のFFコンパクトカー「チェリー F-II」の後継車として、1978年に発売された「パルサー」は、新時代のファミリーカーというコンセプトで開発されました。

 そして、2代目パルサーでは、スポーティな2ドアクーペの「パルサーエクサ」が加わり、198年のフルモデルチェンジの際に「エクサ」に改名され、独立した車種となります。

 エクサはクーペタイプの3ドアハッチバックで、リアハッチの形状が2種類あり、ひとつは「クーペ」で、もうひとつはステーションワゴンのような荷室の「キャノピー」をラインナップ。

 どちらのタイプもリアハッチの取り外しが可能で、リアシート側をオープンにすることができ、フロント部分の屋根もTバールーフになっていたので、オープンエアドライブが楽しめました。

 しかし、外したリアハッチの置き場をどうするかという問題があったため、住環境によってはフルオープンにするのは難しかったようです。

 なお、日本仕様のエクサではクーペとキャノピーでリアハッチの互換性がなく、お互いに載せ替えることが出来ないようになっていましたが、海外仕様では載せ替えが可能でした。

志は高かったけれど消滅してしまったホンダ車とは

●ホンダ「1300」

 本田技研工業の創業者、故・本田宗一郎氏は、空気でエンジンを冷やす「空冷」至上主義だったことは有名です。

 空冷エンジンはシンプルな構造でラジエーターやウォーターポンプが必要ないため、信頼性が高く、軽量で低コストだったのは間違いありません。

 そして、1969年4月にホンダ初となる4ドアセダン「1300」を発表します。1300は非常にユニークな空冷エンジンを搭載したクルマで、1.3リッター直4空冷エンジンをフロントに横置きに配置し、前輪を駆動するFF車です。

 ラインナップはエンジンの仕様で大きくふたつに分けられ、シングルキャブで最高出力100馬力のスタンダード仕様「77シリーズ」と、4連キャブで最高出力115馬力と高性能な「99シリーズ」で、どちらも当時の水準ではかなり高性能なエンジンといえます。

 ホンダは1300シリーズを「2000ccクラスのパワー、1500ccクラスの居住性、1000ccクラスの経済性を兼備した車」と表現していたほどです。

 しかし、空冷エンジンの利点である軽量シンプルな構造とはかけ離れた「二重空冷」という複雑な構造の重いエンジンは、操縦性にも悪影響をもたらしてしまい、ヒットしたとはいえませんでした。

 そこで1972年に、車名を「145」に改め、水冷エンジンに換装されたことで、ホンダの4輪用空冷エンジンは終焉を迎えます。

 後に1300は失敗作と揶揄されますが、このときに蓄積された生産技術についてのノウハウと、システム化された開発手法は、軽自動車の「ライフ」や大ヒットした「シビック」に生かされたといいます。

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 近年は各メーカーとも、ユニークなアイデアが登場することが少なくなった印象があります。

 もちろん、技術的な進歩は日々続いていますが、失敗することが許されないため、斬新なアイデアを搭載するのが難しくなったのでしょうか。

 これまでも、誕生しては消えていったユニークな技術が数多く存在しますが、やはり後世まで受け継がれるものは少なく、それほど自動車開発は難しいということです。