3月23日、東京五輪延期を容認する姿勢を初めて示した安倍首相。さらに首相は「中止という選択肢もない」と述べましたが、五輪という大会の特質上、延期を厳しいとする意見も数多く聞かれます。識者は東京五輪の今後をどう見るのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんは自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で今回、「延期は事実上不可能」としてその理由を記すとともに、初動の怠慢から新型コロナウイルスの蔓延を招いてしまった安倍首相を厳しく批判しています。

もはや「中止」するしかなくない東京五輪──安倍政権の命運もそこまでか?

細川護熙元首相は3月21日付毎日新聞での対談でこう言っている。「〔安倍〕首相は、国内で患者が発生してから1カ月半近く、厚生労働省に対応を任せっぱなしだった。一転してドタバタと政治決断をしたが、小中高校の一斉休校要請は専門家の意見を聞いていないし、各省庁や地方自治体への根回し不足の感も否めない。首相の『やっている感』のために、いろんなことが犠牲になった。……東京オリンピックについても、『それどころではない』というのが多くの国民の受け止め方だろう」と。

さすが細川で、今の安倍政権の有様を簡潔・的確に要約している。

第1に安倍晋三首相が、1月15日に国内で初めて感染者が出てからも、この問題を自分が先頭になって立ち向かうべき危機的な事態と受け止めていなかったことは、疑いようもないことで、その証拠の1つは、その日から3月8日までの53日間のうち3分の2に当たる35日、夜に知人、マスコミ幹部、財界人、側近やお気に入りの議員などと会食や懇親会を設営して美酒美食に溺れている事実である。国会でそれを問われて、「宴会をやっているわけではなく、さまざまな方と意見交換を行っている。何が悪いのか」と開き直ったが、人の命に関わるような事柄で意見交換するには酒抜きでするのが当たり前だろう。

この間、2月13日には初の死者が出、その時点で友党の公明党から首相が自ら記者会見して現状などを説明するよう要望があったが、それを無視して、結局、2月29日になって初めて記者会見を開いた。なので、1月15日からこの会見までの1カ月半近く、安倍首相が自らがこの事態に立ち向かう気概を見せることはなかったことは確かである。

もはや「記者会見恐怖症」なのか

第2に、しかもその会見は、細川が言うように「一転してドタバタと」27日になって唐突な一斉休校を打ち出して「やっている感」を演出しようとしたのが余りに評判が悪かったため、その弁解のために開かざるを得なくなったもので、後ろめたさのためだろう、質問もロクに受け付けずに打ち切って、家へ帰ってしまった。

専門家会議にも諮らず、文科省にも知らせず、政権の柱であるはずの菅義偉官房長官や盟友とされる麻生太郎副総理にも相談せずに、こんな一見過激な案を打ち出して世間を驚かせようというのは、安倍首相を操る君側の奸=今井尚哉首相補佐官の小賢しい常套手段だが、これこそまさに「強力なリーダーシップ」の履き違えというもので、社会に大安心ではなく大混乱を生み出しただけに終わった。

そこで3月20日には、春休みまでとしていた休校要請を延長せず各校の判断に任せること、大規模イベントの開催可否も主催者の判断に委ねることなどの緩和方針を打ち出した。これは2月27日の政府方針の大きな変更に当たるので、事前には「首相が会見することになると思う」と政府高官が語っていたにもかかわらず、それは取り止めとなり、新型コロナウイルス対策本部の会合で官僚が書いた文章を読み上げその動画を官邸HPにアップするというだけの発表形式に止めた。

東京新聞21日付の「首相会見なし」という記事によると、「森友」問題で文書改竄を強要されて自殺に追い込まれた財務省末端官僚の妻が国と佐川宣寿元国税庁長官などを提訴したため、「記者会見だとコロナと関係ないことも聞かれる」として記者会見を回避したという。

本誌が前にも書いているように、こういう非常事態で何よりも大事なのは、国民の政府に対する信頼で、それを培うのはトップの国民に対する説得力である。そのための最大のツールは記者会見であるはずで、その中心テーマである新型コロナウイルス対策について自信を以て語ることに不安があるばかりでなく、他の政権スキャンダルについても訊かれるのが嫌だから記者会見を回避するというのは、「記者会見恐怖症」で、これはもう病(やまい)の域である。

東京五輪どころではない内外の空気

第3に、細川の言うとおり「東京オリンピックについても、『それどころではない』というのが多くの国民の受け止め方」である。17日発表の共同通信世論調査では、69.9%が「東京五輪はできない」と答えている。

こればかりは日本がいくら力んでもどうにもならないことで、世界的なパンデミック状況がいつ収まるか見通しが立たない中では、米ワシントン・ポスト紙が3月20日付の論説で言うように「200以上の国と地域から選手が出場し、来場する観客は1,000万人とされる東京五輪はウイルスにとってふ化器のようなもので、致命的な広がりをもたらす」「五輪と日本の関係者が、東京五輪を開催できるかのように行動していることは、完全にばかげており、全くの無責任だ」と捉えるのが常識的である。

しかも、本誌が前から指摘してきたように(No.1,035など)、これはパンデミックが7月24日の開会式までに収まっていればいいという話ではなく、今の時点で先が見えて、遅くとも4月一杯までに再燃の危険性を断ち切ることをも含めて全世界的に完全終息する見通しが立っていなければならない。なぜなら…、

各国の代表選考のための競技会が続々と中止に追い込まれているため、約1万1,000人の全出場枠の約43%がまだ決まっておらず、いつ決められるか見通しが立たない すでに代表に決まった選手も、外出制限、運動施設やトレーニングセンターの閉鎖などで練習が出来ない。今の時期に練習を大いに詰めて総仕上げし、いったん緩めてから夏に向けてコンディションを整えていく訳なので、もはや最高のプレーと記録を期待するのは無理となっている。これでは、出場を辞退する選手・チームが続出するのではないか 日本全国480の自治体が各国のさまざまなチームの事前キャンプを受け入れる「おもてなし」契約を結んでいるが、早いチームは5月から来日する予定で、そのためには今の時期に幹部が先乗りして現地を視察して細かい打ち合わせをしなければならない。ところが、17日にNHKが伝えたように、高知市で合宿を予定しているチェコの陸上チームのコーチが18日から2日間視察に訪れるはずが、チェコ政府から非常事態宣言が出ている中で訪日することが出来なくなるなど、すでに直接の影響が出始めている

このような有様を見て、すでにスペイン、ジャマイカ、ノルウェーなどの五輪委員会や米水泳連盟がIOCに対して延期もしくは中止を求めている。また米上院の商業小委員会の委員長と有力委員は連名で3月11日、IOCや日本政府の新型コロナウイルス拡大防止策の詳細を7項目にわたり問い合わせる書簡を、バッハ会長宛に送った。そのような各国からの要請は今後さらに広がり、IOCも無視できなくなるだろう(写真:「米上院議員のIOC会長への書簡」)。

「延期」ではなく「中止」ではないか

予定通り出来ないとなれば「延期」か「中止」である。AP通信は17日、「2021年東京五輪に向けて準備しよう」とのコラムを掲載、「安倍晋三首相が、人類が新型コロナに打ち勝った証しとして、完全な形で実施すると言うならば、最もいいのは来年の開催で、時期が重なる来年7月の水泳世界選手権(福岡)と8月の陸上世界選手権(米国)も延期すればいい」と提案した。

しかし、東京五輪は史上最多の33競技339種目が組まれていて、それだけの競技会場を来年夏に今年同様に確保することは事実上、不可能である。おそらくほとんどすべての施設は来年の予定が埋まっているだろう。また選手側も、水泳と陸上だけでなくすべての競技団体が数年先まで国内外での予定を立てていて、五輪を絶対優先するという国際合意でもない限り、それらすべてを組み替えさせるなど、不可能である。この事情は、仮に2年延期してもさほど変わらないだろう。

となると中止だが、それは五輪そのものの存続問題に直結する。84年ロサンゼルス五輪以来、五輪(を筆頭とするスポーツ)の商業化=利権化=巨大化が進み、その裏返しとして五輪招致に手を挙げる都市は減る一方となっている。何年もかけて誘致運動を展開し、賄賂まで使った上に施設建設に莫大な投資をしても、何年かに一度は起きる疫病パンデミックや気候変動による激甚災害があればすべてがパーになる恐ろしさを、世界中が目撃するわけで、ついに誰も招致の挙手をしなくなるのではないか。いきなり廃止とはならないが、規模の縮小・簡素化、利権と賄賂の禁止など、五輪のありかたに抜本的な再検討を加えるきっかけにはなる。

中止、もしくは延期であっても、その途端に安倍政権は頓死することになろう。もちろん中止・延期は安倍首相だけの責任ではないが、そもそも2013年9月ブエノスアイレスで「放射能はアンダー・コントロール」と世界に向かって真っ赤な嘘をついて誘致した五輪が、ここに至って新型コロナウイルスを初動の怠慢からアンダー・コントロールに抑え込むことに失敗して記者の質問からも逃げ回っているような人物が、そのまま権力者の座に着いていられる訳がない。「五輪の招致に成功し、その開会式に現職として出席できる人は世界的にもほぼ例がないんだ」という安倍首相が大好きな自慢話は、幻に終わるだろう。

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