「台湾民主化の父」と言われ親日家として日本でも広く知られていた、台湾初の民選総統である李登輝元総統が7月30日に97歳で逝去されました。日本でもテレビやネットで速報が流され、ニュース番組でも大きく取り上げられましたが、その偉大なる功績が充分に伝えられていないのも事実です。李登輝氏と縁の深い台湾出身の評論家・黄文雄さんはメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の中で、李登輝氏とともに台湾の民主化を勝ち取るために戦った日々を回想しながら、黄文雄さんしか知り得ない李登輝氏の本当の素顔と信念について綴っています。

誰よりも台湾を知る論客が語る、李登輝元総統の素顔と日本への愛 李登輝のおかげで台湾に帰れた

李登輝元総統は、2020年7月30日夜にご逝去されました。97歳でした。日本でも新聞やテレビなどで速報されました。

しかし、実際にご逝去される前から、ネットでは様々な憶測やフェイクニュースが出回っていたので、正式な報道が出た後も私はしばらく信じられませんでした。そこで、「李登輝友の会」事務局に確認したところ、「友の会」も台湾側に確認したとのことでした。蔡英文総統は、7月31日、正式に以下のような追悼のコメントを発表しました。

『私達が心から敬愛する李登輝元総統がご逝去されました。李元総統は台湾の人々とともに歴史的挑戦を幾度も乗り越えてきました。台湾に民主自由を残し、今後も私達を勇気づけてくれることでしょう。李元総統の遺志を継ぎ「台湾に生まれた幸福」を追求し続けます。』

(出典:台湾・蔡英文総統「李元総統の遺志を継ぎ『台湾に生まれた幸福』を追求し続けます」)

「李登輝友の会」は、李登輝元総統の精神を受け継ぎ日台共栄を目指して2002年に設立されました。毎年行われている定例会は、今年はコロナの影響で中止になりましたが、理事会は行われていました。その中で、李登輝元総統に万が一のことがあった場合の会の存続についても事前に議論しました。

はっきりとした結論はまだ出ていませんが、私は「李登輝精神記念会」として存続することを望んでいます。私も数十年来、台湾事情について深く関わってきた一人です。今回のメルマガでは、万感の思いで追悼の意を込めて、李登輝元総統との思い出をつらつらと書きたいと思います。

私は、「何かの縁」で一人の言論人として、半世紀以上も筆を執ってきました。しかし、そこに至るまでは大変な道のりでした。日本に渡ってきてからは、反政府分子のブラックリストに載せられ台湾に帰ることも許されず、アルバイトでその日暮らしの日々を長年送っていたのです。アルバイトはいろいろやりました。

1964年、早大在学中の私が最初にしたアルバイトは、産経新聞の書庫での仕事でした。ちょうど東京オリンピックの年でもありました。アルバイトで徳間書店の『週刊アサヒ芸能』へのお使いもあったので、それが縁でこの雑誌は80年代まで愛読していました。

1992年、李登輝氏が台湾の総統になって以後、ブラックリストが解除されました。台湾独立運動を支持し、日本で言論活動をしていた私は、李登輝元総統のおかげで、29年ぶりに台湾へ帰ることができたのです。

李登輝元総統の桃園にあるご自宅に初めてお伺いした時は、今は亡き杏林大学の教授であった伊藤潔氏も一緒でした。それ以後、私はしばしば李登輝元総統の台北にある別荘を訪れたものでした。

私の友人「伊藤潔」は、帰化した後の日本名で、台湾名は劉明修といいました。彼と私は、共に日本で台湾独立運動を支持していた同志です。『李登輝伝』(文芸春秋)という著書もあります。伊藤氏について詳しくは以下のページをご覧ください。この文章を書いたのは、同じく日本で台湾独立運動を支持していた宗像隆幸氏であり、彼も故人となってしまいました。

● 【何たる悲劇!】劉明修(伊藤潔)博士病死、続いて次男交通事故死

李登輝元総統はたびたび来日していました。奥の細道への旅もしました。私は、氏の日本での活動を通じて、反日日本人の勢力がいかに大きいかを知りました。中国の意向を忖度し、中国の顔色を窺っているのは、外務省のチャイナスクールや媚中派の政治家など政治の中枢にいる人々とマスコミだけかと思ったら、大学内や企業内などどこにでもいるのです。

その草の根ネットワークの広さに驚いたものでした。かつて私は、自民党の有力幹部に、李登輝氏の訪日は可能かどうか聞いたことがありました。彼は、「それは否定できない」と答えました。つまり、彼は少なくとも媚中派ではなかったということです。

戦中世代から見た「旧制高校」の人物像

戦前「旧制高校」出身の人々は、世界的に活躍していただけでなく、人柄や人格も一流で、敬意を抱かれるべき人物ばかりでした。当時の日本政府は、坂の上の雲を目指して上っていく勢いがあったことと関係あるのではないかと、私は感じていました。

李登輝は晩年、「言語学者の故・王育徳先生は、台北高校の一期先輩だった」と私に言ったことがありました。私の記憶では、王育徳は李登輝よりも一つ年下でした。その時すでに王育徳氏は亡くなっていたので、私は王夫人に確認しました。

李登輝の先輩だったのは王育徳先生の兄で、かつて京都地裁の判事を務めたことのある人物ではないかと。

すると、王夫人はこう言いました。当時は飛び級制度があって、王育徳は李登輝よりも一つ年下だったが、確かに一期先輩だったと。それを聞いたとき、私は李登輝の記憶力に驚嘆したものでした。

私はかつて、拓殖大学の客員教授を務めていた時代があり、『大学百年史』の編纂に携わったことがありました。

その時、日本の植民地政策がいかに東アジアにとって有益だったかを改めて感じたものです。日本は19世紀末の時点で、すでに就学率が100%近くありました。同じ時期、台湾の就学率は1%未満。中国も朝鮮も同様でした。

日本は、朝鮮に京城帝国大学、台湾に台北帝国大学を作り、朝鮮と台湾に国民教育を導入しました。逆に言えば、日本なしでは国民教育と実業教育の導入は考えられなかったのです。李登輝は、こうした日本の植民地政策の功罪についてきちんと評価していました。特に、日本がもたらした功の部分について高く評価していたのです。

拓殖大学勤務中に、「何度か李登輝を正式に招待しているが一度も返事がない」という問い合わせを大学の理事からもらったことがありました。その当時、台湾は馬英九政権で、国民党政権による民主派排除の空気がまだありました。アメリカの駐米代表所には、李登輝の著書『台湾の主張』(PHP研究所)が地下倉庫に山積みで放置されているという話を聞いていました。

そこで私は、大学の理事にこう言いました。「台湾人は中国人とは違い、本音と建て前を分けることはしない。恐らく東京の台北駐日経済文化代表所が握りつぶしていたのではないか。李登輝事務所に直接連絡を取ってみてはどうか」と。そこで、理事が李登輝事務所に直接FAXをしたところ、すぐに返事が来たとのことでした。

その後、李登輝の拓殖大学訪問は実現しました。李登輝が靖国神社参拝後、拓殖大学に来てくれたのです。私は大学の理事でも何でもありませんでしたが、理事長が「台湾の元元首が訪問してくれるのだから、君も参加しなさい」とのことだったので、会議室に馳せ参じた次第でした。

その時、会議室で李登輝は、なぜ靖国神社を参拝したのかということを原稿なしで話されました。その話を聞いていた人たちの多くは、涙を拭っていたように記憶しています。会議室を出て階下に下りると、台湾人留学生たちが待っており、熱い拍手で熱烈歓迎の意を示しました。

大学の外には大勢の記者が待ち構えていました。そして、李登輝に「なぜ靖国を参拝したのか」という質問を浴びせるのです。李登輝は冷静に、一人の女性記者に対してこう答えました。「戦死した兄のお参りに来ました。もし君の兄が靖国に祀られていたら、君はどうする?」。その女性記者は黙って返事ができませんでした。

李登輝元総統の著書に『武士道解題』(小学館)という本があります。李氏の桃園の自宅を訪問した時のこと、ちょうど日本語による原稿作成の最中でした。私もすでに日本で執筆を生業としていましたので、何かお力になりたいと思いました。

しかし李氏は、私がこの本を手伝えば反李派の中国人から攻撃されるのではないかと憂慮して下さいました。私は当然、ご心配には及びませんと申し上げました。すると李氏は、「武士道とは決して日本特有のものではなく、東亜の人々共有の精神文化です」と言って、「校正のチェックを手伝ってくれませんか」と言ったのです。私は、日本に帰るなり、さっそく小学館の知り合いに連絡を取ったのでした。

李登輝元総統未完の教育改革

蔡英文総統はじめ、民進党現政府の方々は、李登輝元総統の歴史評価について「民主化」のみを強調していますが、私はそれだけでは不足だと思っています。というのは、「近現代」の原点としては、政治の民主化、経済の産業化以外に、社会文化などの自由化、多様化が欠かせません。

李登輝時代になされた大事業は、「台湾民主化」「憲法改正」など様々ありますが、「教育改革」もそのひとつでした。私が知っている限り、当時の台湾には、戦後日本の教科書問題以上の歴史教育の偏向がありました。

彼は、台湾の中学二年生の「社会科」改定版教科書では、中国人による台湾統治の正当性を強調する反面、日本による統治は「植民」を強調するような改正を行いました。90年代の台湾では、国民党員でなければ校長先生に就任することができないという教育の支配構造がありました。

そのため、たとえ教科書を改訂しても、校長が採用しなければ意味がありません。李登輝の改革は、じっくりと時間をかけて慎重に、かつ確実に行われました。教科書問題は、一朝一夕に解決するものではありませんが、改革の気運はあるし、悪い方向へは向かっていないように思います。

近年、台湾では民進党が選挙で勝利して政権を取っているものの、国防や外交は中国人が牛耳っています。外務大臣に、「外務省の人事課がすべて外省人ではよくない。少なくとも台湾人を一人くらいは入れるべきだ」とアドバイスする人物がいても、外務大臣は盗聴を恐れてその場で返事さえできない状況です。

台湾を変えた李登輝元総統が去った後は、現政権独自の民主化路線を歩む時代がやってきます。教育、マスメディア、司法、軍事、外交など様々な課題は残っています。教育においては、戦後の中国による独占が70年間以上も行われてきました。中華風の教育は、奴隷と愚民を育てるための「奴化教育」です。

李登輝の教育改革が頓挫した理由は、主に中華の伝統にあったと私は考えています。中華の伝統は、全人類の歩むべき道と逆行しています。まずは「公」の価値が優先すべきなのです。しかし、中華の文化風土には「私」しかありません。梁啓超も、はっきりと「中国には社会道徳なし」と公言していました。

台湾は、戦後70年間以上も中華式の「教育」を受けていたので、自己中心と自大の人間しか育てられなかったと私は思っています。台湾最大の教育問題は、知識と記憶のみに偏向しており、知恵や分析などを軽視している点です。「奴化教育」において優秀とされる人材は、若い時から諜報機関に青田買いされ、残りの人材は医者か弁護士の道を進み、さらに残りの人材は社会か人文の分野へと進みます。このままでは、「愚民」ではない人材をつくることのできない社会のままです。

現在、ネット社会になったことなどの影響で台湾社会には様々な価値観が同居しているために、若者たちの価値観も多様になってきました。しかし、教育の現場で「公」の価値を優先させるにはまだまだ課題が山積しています。現政権だけでは終わらない課題も多くあるでしょう。

特に、李登輝時代からスタートした教育改革については、国策として推進していくべきです。バイリンガル国家として英語教育を強化するのも賛成ですが、平行して李登輝が目指した教育改革も深く追求して頂きたいと思っています。

李登輝元総統亡きあと、台湾が受け継いだ課題は、時間をかけても余すことなく後任者が責任をもって解決する。それこそが李登輝元総統に対する恩返しであり、台湾に明るい未来をもたらすための有益な方法だと思っています。

 

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image by: 總統府 / CC BY

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2020年8月5日号の一部抜粋です。初月無料の定期購読のほか、1ヶ月単位でバックナンバーをご購入いただけます(1ヶ月分:税込660円)。

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