コロナ禍に伴う休業要請に沿って無観客配信ライブを行っていた都内のライブバーに「自粛しなければ警察を呼ぶ」という匿名の貼り紙があったことは当サイトで既に報じた。「こんなことがあった」では終わらせず、そこにいる「人」や「場」の背景を描きたい。そんな思いから、店主の父の意外な前歴や、前店から引き継いだ「メトロン星人の部屋」など興味深い話を聞いた。

 東京・高円寺の「いちよん」。ライブハウスではなく、飲食店として営業する。メニューを見て「親父のだし巻き玉子(500円)」が気になり、由来を尋ねると…昭和の芸能界につながった。

 この「親父」とは、店主・村田裕昭さんの父・建蔵さん。1970年代後半から寿司職人をやってきたが、その前はプロのトランペット奏者として西城秀樹さん、ちあきなおみさん、千昌夫さんらのツアーやレコーディングなどでバックを務め、75年に大ヒットしたディスコナンバー「ハッスル」のヴァン・マッコイ来日公演ではファースト・トランペッターとして演奏した人物だった。

 村田さんは「駆け出しの頃はピンキーとキラーズさんにかわいがられ、渋谷のキャバレー『エムバイア』(前身は力道山経営の「リキパレス」)にも出ていたそうです」と父を語る。「父は27―8歳で前歯が悪くなったことが原因で76―7年頃に引退し、寿司職人になりました。アフロヘアから角刈りにして結婚。僕は78年に京都で生まれ、幼稚園の頃に山梨に移り住みました」。その父から伝授された「だし巻き玉子」が店の人気メニューになっていたのだ。

 店内には6本のウクレレ、エレキギター、ベース、キーボードなどが置かれる。幼い頃から父の英才教育を受けたかと思いきや、自宅にはレコードがなく、小学生まで音楽とは無縁。きっぱり業界から身を引いた父の潔さを感じた。

 村田さんは「中学入学時にラジカセでブルーハーツとビートルズと工藤静香のCDを聴き、中学2年でバクチクを通してYMOなどに遡り、岡村靖幸も好きになった」。高校卒業の頃に打ち込みの音楽で応募したラジオ番組やイベントで受賞したが、2013年の結婚を機にウクレレに興味を持ち、翌年から演奏活動を続ける。高木ブーさん出演のイベントにも参加した。

 ウクレレ奏者として出演した高円寺の「大陸バー 彦六」が現在の店の前身となる。「彦六では遠藤ミチロウさんや元たまの知久寿焼さんも出られていて、ライブ後に話もできて牧歌的な空気がよかった」。前店では遠藤さんのよく通る声が屋外に漏れても、逆に「ミチロウがいる!」と知った人が駆け付けたという、高円寺の土壌もあった。

 「彦六」は19年の年明けに閉店し、後を継いで同年4月にオープン。店名には多くの意味を掛け合わせた。「弟のラッキーナンバー14、岡村靖幸の曲『青年14歳』、私の祖父の名前がひろし(164)で彦六の6を取って14、沢村栄治の背番号14、彦六を引き継ぐという意味で1(生きる)4(死ぬ)と輪廻転生をイメージ。知久さんが『オシャレな名前より、ひらがなとかの方がいい』と言われていたこともあり『いちよん』としました」。当時は派遣社員だったが、友人や知人の店で修行し、父から料理を学び、前店のライブ形態を継承した。 

 靴を脱いで入店するスタイルも継承。7席のカウンターに加え、ちゃぶ台(冬場はこたつ)のある3畳間が「彦六」以来の名物だ。村田さんは「この3畳間がウルトラセブンの(第8話)『狙われた街』でメトロン星人とモロボシ・ダンがアパートの部屋で、ちゃぶ台を挟んで語り合うシーンと重なり、ウルトラ好きの人が喜んでくださいます。僕は子供の頃にVHSで観ていました」。カネには代えられない財産の1つだ。

 緊急事態宣言は31日まで延長。6月以降の先行きも不透明だ。営業再開のめどが立たない中、村田さんは表現者の思いを語る。

 「音楽は配信の時代になっていますが、歌いたい人のためにこういう場かあってもいい。表現とはあふれ出るもの。誰に言われてやるものではなく、やらざるを得ないからやっている。ミチロウさんもそうだったんじゃないかと思います。こんなボンクラ店主ですが、やりたい人がいれば相談させてもらいます。アコースティックな形態の演奏ならぜひやってくださいとなるだろうし」

 ライブを開催していた昨年から「苦情ゼロ」だった。配信ライブの演奏中も防音し、休憩の合間に窓を開けて換気。貼り紙は「配信中」という看板に対するものだった。看板での告知は控える。ちゃぶ台を前に今後の在り方を模索する。

(まいどなニュース/デイリースポーツ・北村 泰介)