可決か、否決か。大阪市を廃止して、現在の24区を4つの特別区「淀川区」「北区」「中央区」「天王寺区」に再編する「大阪都構想」の住民投票(11月1日)が目前に迫った。可決した場合、住居表示は原則的には各特別区の名称に続いて現在の行政区名を挟むパターンとなるが、ややこしい問題もはらんでいる。31年前の”悲劇”が繰り返されなければいいのだが…。

 いよいよ、大阪都構想の是非を問う投票日が間近に迫って来た。しかし、大阪市民の心は揺れている。正直言って、分かっているようで分かっていない。二重行政をなくし、税金を有効に使い、よりきめ細かいサービスを提供というのは当たり前の話。だれもが願っているが、果たして120年以上も続き、かつて大大阪と言われた政令指定都市を解体しないとできないことなのか。

 松井一郎市長は「負けたら政治家を引退」とうそぶいているが、現在は大阪府・市ともに大阪維新の会が牛耳っており、市民からは「それこそ両者で内部調整すれば、府市あわせ(不幸せ)とはならないのではないだろうか」という意見も出ている。また「24区が4区になると、むしろ細かいサービスができなくなるのでは」という素朴な疑問の声も上がっていた。

 わずか1万票差で否決された前回同様に今回も蓋を開けるまでは分からない展開。新聞各社のアンケート結果も真っ二つ割れているが、もし、可決となった場合、後戻りできないわけで、そのことを肝に銘じつつ、身近な問題として混乱を招きそうなのが新住所の表記だ。

 一体どうなるのか?これについて、大阪府と市でつくる法定協議会は「特別区の名称と現在の町名の間に現在の行政区名を挿入する」としており、例えば、いまの「大阪市浪速区日本橋」は「大阪府中央区浪速日本橋」となる。

 元阪神監督の岡田彰布氏が生まれ、作家・中島らもが愛し、筆者も住んでいる「大阪市中央区玉造」は「大阪府中央区玉造」とほとんどそのまま。しかし、こちらの方が希のようで、ややこしいケースがたくさん出てくる。まずは方角が入った地名。例えば「北区角田町」は原則に従うと「北区北角田町」となるため、元のままに。中央区に編入される「西区九条」は「中央区西九条」となり、西九条と紛らわしいので「中央区九条」になる。

 そのほか「住之江区住之江」は「中央区住之江住之江」ではおかしいので「中央区住之江」だけになり「阿倍野区天王寺町北」などは「天王寺区阿倍野天王寺町北」となり、大阪人でもややこしいこと、この上ない。

 そこで思い出されるのが31年前の”喜劇”のような”悲劇”だ。1989年、旧東区と旧南区が統合して現在の中央区になった際のこと。「東区上町」と「東区上町1丁目」が存在していたが、大阪市のルールにより○○町○丁目とすることとなり、この○丁目を巡って混乱。「歴史がある方が2丁目はおかしいやろ」と、もめにもめた末に”本家”を自負していた上町が折れ「上町A」「上町B」「上町C」という世にも珍しいアルファベット付きの住所が誕生した。

 上町町会の本川猛朗会長(79)は経緯について「戦前はもっと細かい地名があったわけですが、総務省の考えで複雑で分かりにくい地名表記を全国的に整理しようとする動きの中で東区上町1丁目が誕生。そのときは別段問題なかったわけですが、合併となったときは混乱しました」と話す。

 最終的には「いろは」や「ABC」などの案が出て、案のまま地名として定着していった。「まあ、文句を言うてもしゃあない、となったようです。変わった地名なのでマスコミに取り上げられてます。特にABCの朝日放送さんに。『いろは』でなくて良かった」と本川さんは笑った。

 かつては東区上町31番地、現在の中央区上町Cで70年続く、おかき店「稲葉商店」を営む厚地房子さん(71)は近くに大阪城や難波宮があるこの地を気に入っており「昔はこの上町筋を路面電車が走っており、この道の下には太閤下水が流れています」と指さしながら教えてくれた。

 「いまは慣れましたが、頻繁に町名を変えるのはどうなんでしょうか。昔は町名で地形が分かったり、水害があったとか、川だったとか、いい思い出も、悪い思い出も地名によって記憶に残ることがありますから」としんみりと話してくれた。

 本川さんも同意見。「京都なんかは地名を大切に残している印象。町名で歴史を感じることができますし、地名は簡単に変えてほしくないですね。その意味でも都構想は大反対」と話した。

 この原稿執筆中も賛成派、反対派の車が行き交い、さらに選挙管理委員会の投票を呼びかけるアナウンスが聞こえて来た。地名は時代とともに移ろってきた。しかし、住民にはそれぞれの町名に愛着がある。少しでもいい町へ、そう思うのはみんなの願い。大阪市を残すのか、それとも廃止するのか。悩ましい。

(まいどなニュース特約・山本 智行)