リキ君は推定2歳半の茶トラの猫。2年前の譲渡会で家族と出会い、兵庫県西宮市で暮らしています。

「通勤途中に譲渡会のポスターを見て心が揺さぶられたんです。ずっと猫を飼いたくて、でも飼わないまま気が付けば58歳。譲渡条件に“60歳未満”とある保護団体さんも多いので、今しかないと思いました」

 ご主人と一緒に譲渡会に出掛けた山本京子さん(仮名)はリキ君に一目惚れ。「一瞬、顔を出しただけでハンモックの奥に隠れてしまったんです。他の子みたいにアピールしないところにひかれました。娘に似ているなと(笑)」。山本さんはアンケート用紙にリキ君の名前を書いて帰宅しました。

 保護団体から連絡があったのはその2日後。手術歴があることは聞いていましたが、詳しい説明を受けたのはそのときだったと言います。

 リキ君は兵庫県伊丹市で交通事故に遭い、大ケガを負ったところを保護された猫だったのです。当時の様子を『NPO法人 いたみ野良猫をふやさない会 みゅうみゅう』の川瀬あや子理事長が教えてくれました。

「2018年10月1日に『玄関先にケガをした猫がうずくまっている』と電話があったんです。スタッフの一人がすぐに駆け付けてくれましたが、舌がだら〜んと垂れ下がって、目から涙のように赤い血が流れるほどのケガをしているのに、走る元気はあったようで、私が到着したときもまだ捕獲できていませんでした。室外機の下に入り込んだところを何とか手を突っ込んで引き出し、病院へ連れて行ったときには最初の連絡から2時間くらいたっていたと思います」

 リキ君は両顎の骨が砕けていたそうです。自転車かバイクか自動車か…いずれにしても顔に激しくぶつかったのでしょう。川瀬さんたちは手術をするか迷いました。命が助かる保証はありません。もし助かったとしても、自分の口でごはんを食べることができず、一生、流動食を流し込むことになる可能性もあったからです。「安楽死させるほうがいいのかも…」。川瀬さんはそこまで考えました。でも、リキ君の目を見て決心します。

「目が『生きたい!』って言っていたんです。私たちは、それこそ植物人間のようになったら誰が面倒をみるのかとか、悪いことばかり考えていたけれど、リキ君は『生きるぞ!』という意志を前面に出していました。そんなリキ君の生命力と、手術してくださるという先生の言葉を信じようと思ったんです」(川瀬さん)

 手術は困難を極め、途中何度も危険な状態になったそうですが、それでもリキ君は長時間の手術に耐え、見事に“生きて”くれました。最初は首から管を通して栄養補給しなければなりませんでしたが、奇跡の回復を見せて、自分で流動食を舐められるようになったところで退院許可。約1カ月の入院でした。

「お腹の中には砂しかなかったそうです。生きるために必死だったんでしょう。退院するとき先生に『里親さんを募集できる状態になるでしょうか』と尋ねたら、『この子は奇跡の子だから、必ずもらい手がありますよ』って。先生もそこまでよくなると思っていなかったようです」(川瀬さん)

 退院後は川瀬さんの家で療養生活を送ったリキ君。口もとが少し歪んでいて完全には閉じないため、ごはんをこぼすことが多かったそうですが、「こぼしたごはんから先に食べるお行儀のいい子」(川瀬さん)だったとか。トイレの場所もすぐに覚えて、3カ月後には里親募集できるまでになりました。

「SNSで支援をお願いしたのはリキ君のときが初めてだったのですが、1匹の猫のためにこんなにたくさんの方が想いを寄せてくださるのかと感激しました。また、私たちは猫の保護よりも、保護する猫を増やさないようにとTNR (T=Trap/捕獲し、N=Neuter/不妊去勢手術を施し、R=Return/元の場所に戻す)を中心に活動していたのですが、やっぱり保護すべき子はしないといけないと、そういう気持ちにさせてくれたのがリキ君でした。いろいろなことを考えるきっかけを与えてくれ、生きることの素晴らしさ、喜びを身をもって教えてくれた。リキという名前は『力強く生きてほしい』という願いを込めて、最初に現場に駆け付けたスタッフが付けたのですが、本当に力強く生きてくれています」(川瀬さん)

 リキ君はその後、初めて参加した譲渡会で山本さんとのご縁に恵まれたわけですが、最初の3日間はハンモックから出てこず、ごはんも人がいないときにしか食べなかったそう。それでも10日もするとソファに座る山本さんの膝に乗ってくるようになり、当時、お父様の介護で心身ともに疲弊気味だった山本さんを癒してくれる存在になりました。しかも、リキ君を迎えてからご主人の会社は業績がグンと伸びたのだとか。獣医師が「奇跡の子」と呼んだリキ君は、「招き猫」でもあったようです。

(まいどなニュース特約・岡部 充代)