<チンドン繁盛記>/22 秋田で唯一のプロ 地産地消の独自色 /東京

 終戦直後、東京ではサーカスや楽隊、旅芸人など、さまざまな職種の人たちがチンドン屋に合流した。その象徴が、川崎市にあった「幸盛館」。元は芝居小屋だが、芝居がはやらなくなってチンドン屋専業となり、最盛期には50人前後が出入りして切磋琢磨(せっさたくま)しながらチンドン芸を習得した。「チンドン屋の学校」とも言われた。

 こうして編み出されたチンドン屋のスタイルは、伝統芸能のごとく継承され、若い世代の感性も加味され現在に至っている。

 そんな伝統のない、いわば「チンドン空白地域」で旗揚げしたのが、秋田県で唯一のプロのチンドン屋「ダースコちんどん隊」(潟上市)。7年前まで公立中学校の音楽教師だった代表の安田典夫(64)は、サックスとアコーディオンの楽士を担当。チンドン太鼓は妻の千枝子(64)、ドラムは長女の南(38)。家族で現場に出る。

 夫妻は山形大で音楽を専攻した同期生。1991年から、知人の音楽家、演劇人らとともに音楽、歌唱、芝居、朗読などを組み合わせたコンサート活動を続けてきた。

 「コンサートに大道芸的な要素を取り入れれば面白いだろうな。チンドン太鼓と鉦(かね)を打って口上を歌い上げる……」

 典夫の一言に千枝子も興味を持った。東京・浅草の木馬亭で「第4回全国ちんどん博覧会」が開催されることを知った千枝子は見学に行った。2003年8月のことだ。

 「チンドンの音楽に衝撃を受けた。素晴らしい、やってみたい」。千枝子に背中を押されて2カ月後、山形県内の野外劇場の公演でチンドン太鼓とアコーディオンの夫婦チンドンを披露した。

 05年4月、富山市で開催された全日本チンドンコンクールの素人部門に初出場し、最優秀に輝いた。秋田県の新聞で「日本一のチンドン屋」と大きく報道された。

 アマチュアなのだが、秋田県には他にチンドン屋はいない。珍しさもあって「来てくれ」と依頼が殺到した。夏の海水浴シーズンには秋田市内の浜辺を練り歩き、海の家を宣伝。さらにチンドンショーを披露するという過酷な現場もあった。

 その後も富山のコンクールで最優秀を重ねた。10年に32年間務めた教師を退職し、チンドン屋専業になった。

 典夫と千枝子は学生時代、テント芝居に魅せられ、その体験がチンドン屋になる前のコンサート活動になった。芝居小屋感覚で「おもちゃ箱をひっくり返したような」コンサート。クラウン(ピエロ)、昭和歌謡歌手らと共演するなど自由度が高く、多彩なチンドン表現力の下地になっている。

 チンドン屋は宣伝が仕事だが、東京に比べて地方は宣伝を依頼する商業の市場が小さい。ダースコちんどん隊の場合、宣伝は仕事全体の3割ほど。チンドンショー(ライブパフォーマンス)、イベントの盛り上げが多く、チンドン屋に求められる内容は多様だ。

 メンバーにはバナナのたたき売りなど大道芸を得意とする小杉田麻莉子(35)、秋田の音楽祭で実行委員長を務めた経験があり、音楽家の人脈が豊富な奈良宜子(よしこ)(38)もいる。典夫自身、合唱団の指揮者、歌声喫茶の歌唱指導なども引き受けている。

 10月7、9の両日、ダースコちんどん隊は秋田県仙北市の田沢湖近くでのイベントで、東京の「ちんどん喜助」親方、里野立(たつる)(40)を招き、チンドンを共演した。里野は、現役最高齢のチンドン屋として鳴らした老舗、菊乃家〆丸(しめまる)親方(10年に92歳で死去)の弟子出身だ。

 秋田で一軒だけのチンドン屋。井の中の蛙(かわず)であってはならない。「伝統を継承する東京のチンドン屋と一緒に現場に立って学ぶ、初めての試み」と典夫は言うが、里野も刺激を受けた。「自分たちの良さをつくっていこう。それを伸び伸びと発揮しよう、と心が自由になれるチンドンは、ほかにはあまり見られない」

 秋田の土地に根ざし、秋田の人々に役立ち、喜んでもらう。チンドンの世界にも「地産地消」の独自色がある。(敬称略)【小松健一】(金曜日掲載)

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