「最もエキサイティングな医療・ヘルスケアカンパニーへ」をビジョンに掲げ、慢性期・終末期の看護・介護ケアに特化したホスピス「医心館」を運営し、医療依存度が高い方々の受け皿を提供する株式会社アンビスホールディングス。今回は、同社の取締役CFOであり、同社グループ企業である株式会社明日の医療の取締役も務める中川徹哉氏にお話を伺いました。

出身は東京大学法学部。会計士を志した理由とは

−中川さんは東京大学法学部のご出身なのですね。なぜ法学部にいながら公認会計士資格を取ろうと思われたのですか?

少し遡ってお話すると、大学受験は前期医学部、後期法学部なんです。前期の医学部を落ちて法学部に行ったという、そこから少し変わった経歴でして。

姉が2人いるのですが2人とも医者で、私だけ違うんです。私も元々は医者になろうと思って理系1本で勉強していましたが、東大医学部に落ちたら全く違う道に進もうと決めていました。

但し、将来的には医療に関わりたいという想いは強くありましたので、今、医療の会社であるアンビスに入れて非常に嬉しく思っています。

−それで法学部に

そうですね。文科一類に入りました。法律は非常に好きでした。但し、弁護士として働くことにあまり面白さを感じられなくて。

他にやりたいことを探そうということでふと会計の勉強を始めてみたんです。そうしたら会計が本当に面白くて。借方と貸方が同じになる仕組みや、仕訳を積み重ねるとなぜかPL/BS/CFが出来上がるところとか本当に新鮮で、すごいと思ったんです。

会計士資格を持っていればいざとなれば外資も行けるし日系の会社でも先々中途採用で行けたりするかなとも考えて、じゃあまずは一番面白いと思った会計のプロフェッショナルである会計士になろうと決心したのが大学3年生ですね。まず、冬の一次試験に合格しました。 そして、大学4年生の夏の二次試験も受かって、無事公認会計士になって監査法人に入所したという流れです。

−勉強期間がすごく短いですね

そうですね。全部自己流だったことは大きかったかなと思います。

−すごいですね!自己流の勉強法でしかも速く合格出来る方はなかなかいないと思います。

そんなにスムーズに資格を取得出来たわけではなかったですけどね。 市販のテキストを読んで、実際に開示されている会社の有価証券報告書からPL/BS/CFを作ってみるとか、もう本当に自己流は大変でした。他の方の勉強のやり方とは全然違うんだろうなと思います。

試験前になると、1日15時間くらい勉強しました。朝起きて大学に行き、授業の合間はずっと勉強して、夜になりご飯を食べて寝る。そのような生活を1年程度続けました。

高いハードルを自分に課し、果敢にチャレンジし続ける社会人生活がスタート

−それで卒業してあらた監査法人に入所したのですよね。年によって採用人数が変わると思うのですが当時はいかがでしたか?

私の時は新卒の会計士採用は20名程度でした。その少し前まで3桁程度いたのですが、試験の合格率も下がり、就職がかなり厳しい時期だったので。

−すごい倍率ですね

同期はコンサル部門を含めても50名もいなかったですね。

−入所してからはどういう仕事をされたのですか?

入所前から外資系企業の担当をしたかったので、まずその希望を出しました。面接の時からずっと希望していて、入所後実際にアサインしていただきました。

外資系企業の担当になりたいという思いから家賃を犠牲にして赤坂に引っ越しもしました。六本木ヒルズの外資系のクライアントを担当したかったので、こんなにも行きたがっているのになぜ担当させないんですか?という意思表示のつもりで引っ越したのです(笑)

−そうなる状況を作ったのですね(笑)なぜそうまでして外資系企業の担当になりたかったのですか?

元々全く留学経験も無かったので監査だけやるよりももうひとつ自分にハードルを課した方がいいなと思ったんです。それで何が高いハードルになるだろうと考えたとき、当時英語を使う環境で働いたことも、監査ももちろんしたこともなかったので、初めての経験となる2つを同時に出来たらいいなと。

社会人として働くのも初めてなわけですし最初からいろいろなチャレンジが出来た方が良いと思ったんです。実際やってみたら、もちろん大変なことも多かったですがすごく楽しかったです。

週に何度か英会話学校に行ってから会社に行き、仕事後は、外国人上司と飲みに行って、何とか英語をキャッチアップしました。最初は英語のために行っていた飲み会もどんどん楽しくなっていきました。後にモルガン・スタンレーのニューヨークオフィスで勤務した際には、その時のアメリカ人上司にウェルカムパーティーを開いてもらう程の関係になりました。

−新しい環境を楽しめる方なのですね

そうだと思います。だからこそ少し慣れてきたら何か大変な事を探してしまう癖はあります。

−そういう理由で次のPwCアドバイザリー合同会社に移られたのですか?

そうですね。監査の一環としてバリュエーションに携わることが多かったのですが、そっちの方が面白いなと思いまして。

本来は内部異動が出来るのですが、まずは最初の3年間は監査をするという暗黙のルールがあったんですね。でも4年目になるまでは待てないなと思ったのですぐに異動させていただいたんです。それが入所3年目の夏のことですね。

それで転籍してからは興味のあったM&Aの部門にいきました。そこで仕事をしているうちに、投資銀行と一緒になるときがあって、これが次の進路を決めるきっかけになったんです。

−次にいかれるのはモルガン・スタンレー・ビジネス・グループ株式会社ですね

そうです。投資銀行と仕事をしているうちに、投資銀行の方がよりクライアントに近いなと感じたんです。

会計DD(デューデリジェンス)は投資銀行のバリュエーションのサポートをする仕事なのでクライアントとの間に投資銀行を挟んでいることが多いんです。それならダイレクトにやり取り出来た方が良いなと。

しかも、DDを会計アドバイザーに依頼しているということは会計アドバイザーの方がより数値を理解している部分もあると感じた部分もあったので、両方の側面を持っている自分がいればバリューがしっかり出せそうだとも思いました。

ここまで話して、私の経歴でよく勘違いされるのはもともと投資銀行に行きたくて会計士になってアドバイザーになってという風にキャリアを逆算して進んで来たのはないかと思われるのですが全くそういうことではなくて。

1つの仕事に全力でコミットしているうちに他の楽しそうなことに興味が湧いて、その興味を元に動いているんです。だから全然計画的ではないんです。

−ご自分の成長につながる新しいことに対して楽しそうと思われるのですね。実際にモルガン・スタンレーに進まれていかがでしたか?

1番楽しかったのはどこかと聞かれたらモルガン・スタンレーと答えますが、でも完全に自信を喪失しましたね(笑)

それまで監査法人からM&Aのアドバイザーを経て、周りからも優秀だと評価をいただいて自信はあったんです。それがゼロになりました。1年目は、毎日帰り道で明日辞めるぞってずーっと思ってましたね。

−何が苦しかったのですか?

基本的なことから難しいことまでひとつひとつの作業のやり方や進め方のレベルが上司と圧倒的に違うんです。私が1日使って最後まで終わらず上司が引き取ったと思ったらものの数十分で終わってしまったりすることが頻繁にあって、それが社会人になって初めての大きな挫折でした。

社会人経験が数年しか違わないのに働き方次第で仕事の処理スピードにこれだけ差が出てくるのだと身に染みて実感しました。でも、それがなかったら今は無いなと思うくらい大切な経験になりました。

−しかしその後はニューヨーク本社に出向なさってますから、確実に評価を上げていかれたのですね

最初に希望したときは、いやいやそんな実力じゃないでしょ、と言われました。元々入ったときから投資銀行で働くからにはニューヨーク本社に行きたいと強く思っていたんです。

ニューヨークに行けるのは、4年目時点で同期の中でトップの評価を得た人のみと決まっているので2年目3年目はそれだけを狙っていました。それで実際に4年目にニューヨークに行くことが出来ました。

−いつも目標が明確ですね。でも1年目に挫折してから2年目3年目とトップを狙う気持ちになったということは仕事自体も面白くなっていたのですか?

やっぱり上司は引き続きめちゃめちゃ厳しいのですけど、モルガン・スタンレーがすごいと思うところは周りの人がみんな、言葉通りクライアントファーストなんです。

社内政治がどうとかではなくて、一見理不尽に思えることだとしても全部クライアントのために各々の基準で良いと思ってやっていることなんです。厳しいことを言われても、この人なりのクライアントファーストを追求した上でのやり方なんだと思えるようになりました。

そういう方々のやり方を真似していくうちに自分でも自分なりのやり方で徐々に出来るようになってきました。そうすると、今まで厳しくマイクロマネージメントしていた上司がどんどん手を離してくれるようになって。資料作成前に方針を共有し、ある程度出来上がった段階で確認すればそれでOKというのが増えてきたんです。

そうなるとクライアントとも直接話せるようになって責任範囲が広がったんですね。ここが日系と外資の大きな違いかもしれません。だからこの頃には関わる案件のチームに1つ上の職階の上司を入れないで欲しいとお願いしていたんです。そうすることでより自分の成長の幅が広がるので。それを聞き入れてくれた上司や会社には非常に感謝しています。

−今までお話を伺っていると、中川さんは結構会社に対して自己主張されるんですね

そうですね。私はすごく主張する方だと思います。

−会社側も都度聞き入れてくださっている印象ですが、それはおそらく言ったからにはやるという中川さんのコミットする姿勢が明確だからですよね

そうですね。でもそのようなことを聞いてくれる上司が常にいてくれたという運の良さが一番だったかと思います。

ただ、ここは心がけていることですが、強気な発言をするからにはそこに責任を持つようにしています。むしろ、言ったからやらざるを得ない状況を自分から作っていっている部分はあるかもしれません。

−それで無事ニューヨークにも行かれて、帰国されてからモルガン・スタンレーを退職されたのですね

そうですね。ニューヨークでも東京同様、またまた苦労しました。ニューヨークのチームでは日本人は1人で、ネイティブスピーカーでもない日本人が何をしに来たのだろうという雰囲気でした。

もちろん、待っていても全く仕事は降って来ないので上司の部屋を回って仕事はないか聞くところからスタートでした。そして、モデル含めたアウトプットの質だけは現地のバンカーに負けないということをひたすらアピールしました。その結果、3ヶ月経った辺りから仕事をどんどん振ってもらえるようになり、最終的には入社面接時のモデルテストの試験官をするぐらいには信頼してもらえることができました。

この1年で自信を大きく得た一方で、グローバルの中では自分と同じぐらいの能力の人はごろごろいるなと当たり前のことですが、再認識しました。

そして、東京に帰ってきて一番大きく変わっていたのが働き方改革が始まっていたことです。それによって本当にガラっと社内が変わっていました。外資にも働き方改革が浸透し、例え仕事が残っていても早くに帰らないといけなくなっていました。

もちろんワークライフバランスはとても大事なことなのは理解しているのですが、その時はニューヨークから帰ってきてまだまだこれからバリバリやりたいと思っていて、何も制限のない場所で思う存分働きたいという気持ちが非常に強かった分、働き方改革後の外資系の投資銀行では物足りなく感じてしまいました。

そして、1年海外に行って改めて海外で仕事したいという思いも重なって、最初は海外に行くことを重点に置いて転職活動を始めました。

運命的な出会いを果たし、アンビスホールディングスへ

−海外のどういう職種に進もうというのは決まっていたのですか?

ファンドに行こうと思っていました。語学力はまだ不十分だけど株式市場のことは分かるので、パフォーマンスは出せると考えました。それで無事に海外ファンドの内定も決まり退職届を出そうかというタイミングでアンビスホールディングスから連絡をいただいたんです。

実は帰国後に転職活動している間も、事業会社のCFOにというオファーをいただくことは割とありました。その時に考える指標としては、その会社の社会的意義、業界及び会社の成長性、そして社長との相性を見ていました。そういう視点でいくと大企業は自ずと選択肢から外れるのですが。

そういう風に考えた時に、アンビスホールディングスは社会的意義があり、かつ成長性があり希有な存在でした。それで社長にお会いしてみようと。実際に会ったらすごく楽しくて、何時間も話し込んでしまいました。その中で、ビジネスモデルも非常によく理解出来ました。

但し、いま思えばその時はまだまだアンビスの本当の実力を分からずにいました。実は私は社長と議論させて頂く際に事業計画を持って行ったんです。今では、保守的すぎて恥ずかしくて見せられないのですが。

−事業計画を持って行ったのですか。それはかなりインパクトがありますね

事業計画に示した数字まで絶対に到達すると思うから私は入りたいし、資本政策はもっとこうしたら良いと思う、みたいな意見を言わせていただいて。

根拠のない自信のあるやつだと思われても仕方ない状況でしたが、幸運にも社長には面白いと思っていただいて。それで入社することになったんです。

−でもその時既に海外ファンドの内定が決まっていたんですよね?運命的ですね。

そうなんです。事業会社の面接に行くのも人生で初めてだしたし、正直それまではそこまで事業会社に魅力を感じたことがなかったんです。でも決めたのは、社会的意義、優れたビジネスモデル、なんといっても社長の存在ですね。

−社長はどういう方なのですか?

頭の回転がめちゃくちゃ速くて、すごく仕事がやりやすいです。年齢は私と少し離れていて50代半ばなのですがそれもあまり感じないですし。

もちろん1,000億円規模の上場企業を一人で立ち上げた人なのですごいのだろうなと想定していましたが、思った以上にこの人だったら、この人についていけば何かがあると思わせてくれるような人だったんです。実際入社した今も、変わらずそう思っています。

−素敵ですね。でも、元々事業会社に行くというのは頭になかったわけですから戸惑いや迷いはなかったのですか?

正直それはすごくありました。元々CFOになりたいとも事業会社に行きたいとも思ったことがなかったので、もう戸惑いの連続でしたね。今はさすがにある程度慣れましたが、いまだに立ち位置に違和感を感じることはあります。

−事業会社に来てみてよかったなと感じることはありますか?

会社の資本政策ってすごく重要だと思うのですが、それって一部分なのだなと気付いたのが一番ですね。私が投資銀行で働いていた時は、資本政策について役員クラスのために資料を作成してプレゼンするとなったらそれが会社にとってどれだけ一大事であるかというところを必要以上に意識していたと思うんです。

でも実際に事業会社に行くと資本政策以外に、私で言えば拠点の採用含めた人員管理や新規事業等、沢山あって全部大事なんです。その中でも資本政策はもちろんインパクトも大きいですし株価も大事ですけど、決してそれだけが経営じゃないのだなと最認識出来ました。

−なるほど、当事者になってみて見えることがあったのですね

そうですね。私は過去の経験を自分で正当化していきたいとよく思っているんですが、それも今やっと出来てきている気もしています。CFOは最高財務責任者という言葉が表す通り、経理と財務があって専門性がどちらかに偏りがちだと思うのですが、私の場合は会計士の経験から経理が分かり、投資銀行の経験から財務の面も分かる。決してそうなれるように意図したわけではないのですがここに来てようやく今までの経験が自分の武器になっているなと思うんです。

そういった感じで、今は一旦過去のキャリアを生かせていると思いますが、とはいえ今のままずっと変わらないというわけにはいかないので、自分が今までの人生を歩んできてよかったと思えるようにバージョンアップし続けられればと思っています。

CFOとしてこの先に目指すことと、CFOの役割について

−この先、アンビスホールディングスのCFOとしてどういったことを目指していきますか?

まず利益をしっかり伸ばすことですね。それが出来ると会社として取れる選択肢も非常に増えますし。今はできることはなんでも手を付けて気づいたベースで課題を解決していきたいと考えております。

理想的には、全ての課題を抽出してそれに対する解決策を練ってという形だとは思いますが、それでは時間を要してしまいますので、まずは目の前の課題をひとつずつ確実に潰していくことを優先しています。

また、私のCFOとして最も重要な役割は時価総額の最大化だと考えています。極端に言えば、同じ利益でもCFOの力量によって、時価総額3,000億円なのか5,000億円なのか、大きく変わりうると信じているので、そこだけはこれからも意識し続けたいと思います。

それとともに、新規事業を進める際など社長のアイデアを形にして数字としてアウトプットすることもしていきたいと思っています。そこの具現化は今の会社では私の役割なので、しっかりコミットしていきたいですね。

−想いを持ってCFOの職務にあたられていると思いますが、今のところCFOとはどういう仕事だと思われていますか?

CFOは経営者の一人であり経理財務だけやるというのではいけないという意見をよく見ますが、私はその限りではないと思っています。経理財務ができてこそのCFOだと思うのです。

経理財務がしっかりしているからこそ他の事業運営や新規事業の面で出来ることがプラスに評価されるだけであって、そこの根幹が揺らいでいるにも関わらずなんでもかんでも手を広げてまるで何でも出来るようにふるまいたくはないなと思っています。

CFOはあくまでも経理財務の専門家、プロフェッショナル。そこの信頼性は担保しつつ、社長のイメージを具現化していく。そうやって結果的にはすべての数字にしっかりと責任を負うというのがCFOかなと思います。

これからCFOを目指す方も、まずは財務経理のプロであれるよう土台作りをしっかりされた方が良いかと思います。

−御社は、いま中川さんと一緒に働かれている経理財務の方もいらっしゃるんですか?

います。でも盤石な体制をしっかり構築するために採用を強化したいと思っているんです。

経理・財務等のバックオフィスって陰に隠れてしまいがちだと思うのですが、かなり経営者に近いしとても面白い仕事だと思うんですよ。弊社であれば会社規模がまだ小さいステージだからこそ経理をやりつつ財務も出来ますし、必要な経験を沢山積めると思います。

変な意味ではなく、終身雇用するつもりで採用するわけではないので、経理財務両面でしっかりした経験を積んでそれぞれの方のキャリアに役立つ経験をできると考えています。私は、理想としては私が最初の仕組みづくりをした後は、私がいなくなっても何事もなかったように回る組織を作りたい、そう考えています。

−メンバーの成長や旅立ちをも歓迎してくれるのですね

はい。私の理想としては自分の下で働いてくれたメンバーが別のスタートアップだったりベンチャーに行ってゆくゆくは色々な上場会社のCFOになってくれるということになったらとても嬉しいですね。

そういう成長のための支援は惜しみなくしますし、アンビスホールディングスに所属している限りは、会社を大きくしていくために一緒に働ける方に是非来て欲しいと思っています。

−ご経験豊富ながら、年齢はまだ31歳だという中川さん。何をお聞きしても即答・明確で、普段から常に思考しておられるのだなと感じたことが印象的でした。中川さん、ありがとうございました。



【プロフィール】
中川 徹哉
株式会社アンビスホールディングス 取締役CFO
株式会社明日の医療 取締役

2012年3月:東京大学法学部 卒業
2012年4月:あらた監査法人(現:PwCあらた有限責任監査法人) 入社
2014年7月:プライスウォーターハウスクーパース株式会社(現:PwCアドバイザリー合同会社)入社
2015年4月:モルガン・スタンレー・ビジネス・グループ株式会社 入社
2018年8月:Morgan Stanley ニューヨーク本社 出向
2020年3月:株式会社アンビスホールディングス 入社
2020年3月:株式会社アンビスホールディングス 執行役員CFO 就任
2020年7月:株式会社明日の医療 取締役就任
2020年12月:株式会社アンビスホールディングス 取締役CFO 就任

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