生産終了の「梅ジャム」社長 譲渡申し出を断った理由

生産終了の「梅ジャム」社長 譲渡申し出を断った理由

 小さな袋を見落とさないように目を凝らして駄菓子屋やスーパーのお菓子売り場を駆けずり回っても、やっぱりない──。“梅ジャムロス”の味はどこまでも甘酸っぱかった……。

 1月25日、ロングセラー駄菓子の「元祖 梅ジャム」の生産終了の一報が流れると、街から商品が消えた。梅ジャムは梅肉を小麦粉や砂糖などと煮詰めて、透明な小袋に詰めた甘酸っぱい駄菓子。袋のままチューチューと吸った思い出がある人も多いだろう。

 梅ジャムへの未練が断ち切れない記者は、製造元である東京・荒川の「梅の花本舗」へと向かった。突然の訪問に、社長の高林博文さん(87才)は「取材が殺到して、今はもうお断りしてるんだけど…」とボヤきつつも、記者を作業場まで案内してくれた。機材を処分してガランとした場内で、「もう87才ですから…」とつぶやく高林さん。なんと梅ジャムは70年もの間、彼がたった1人で作っていたのだという。

「5年前から股関節が動かなくなって、人工関節を入れて、体をだましだまし続けていたけど、限界でした。少子化に加えて商店街が消えて売り場も少なくなったこともあり、去年の70周年で一区切りをつけることにしました」(高林さん、以下「」内同)

 高林さんが梅ジャム製造を始めたのは戦後すぐ。家計の足しになればと乾物屋で見つけた傷物の梅肉で梅ジャムを作り、紙芝居屋で子供に売ったのが始まり。紙芝居が衰退すると、今度は駄菓子屋で売られるようになり、子供の定番おやつの1つとなった。

 だが昭和から平成になり、少子化とともに駄菓子屋や商店街が消えた。ピーク時は年間3000万円だった売り上げが減っても黙々と生産を続けたが、いよいよ潮時だった。高林さんには2人の息子がいるが、子供たちには継がせなかった。

「ぼくの子供時代は空襲ばかりで勉強できなかったから、中学生の時から息子らには『お前たちは自分で自分の道を切り拓け』と言い聞かせていた。まぁ実際、梅ジャムじゃ稼げませんから(笑い)。1人だから70年続いたんです」

 梅ジャムは昭和40年代に5円から10円に値上げして以降、子供たちが手軽に買えるような価格を貫き通した。決して儲かる商売ではなかったが、極めた「味」には誇りがある。

「何人もの投資家から『高林さんの味をなくしたくない。譲ってほしい』と頼まれましたが、私と同じ味を出すのは不可能です。コツはどうしたって教えようがないですから」

 70年続けた仕事から身を引く日、高林さんは梅ジャムを充填する機械に「長いことお疲れさまでした。ありがとう」と声をかけ、表面を日本酒で清めたという。

 最後に“梅ジャムファン”への感謝の言葉と思いを語ってくれた。

「自分としては何の悔いもありません。今も電話が毎日かかってきて、『子供の頃に食べていました』『なくなると知って食べたくなった』と言われます。お客さまには『ありがとう』の一言です」

※女性セブン2018年2月22日号

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