自分の死後、愛する家族がトラブルに巻き込まれないためには、最後の責任として「遺言書」を残すことがいちばんだと言われる。しかし、死を前にしながら“最後のメッセージ”を残すのは、簡単なことではない。日本を代表する有名人の中にも、遺言を残さなかった人は少なくない。

 2009年11月に老衰でこの世を去った森繁久彌さん(享年96)は、遺言書を残さなかった。次男の建さんは、昭和の芸能界を代表する大スターであった父をこう振り返る。

「父は『終わったことに執着するな』という考えの持ち主。遺品や相続の話は何もせず、これといった遺言もありませんでした」

 森繁さんが遺言書を残さなかった背景には、ある実体験がある。

「役者仲間と銀座で飲んでいたとき、その相手が浮かない顔をしているので父が理由を尋ねると、『身辺整理と葬式の段取りをして、遺言書を書いた。でも全部終わったら、あとは死ぬだけになってしまった』と答えたそうなんです。父はそれを聞いて、遺言書を書くのはやめようと心に誓ったそうです」(建さん・以下同)

「遺言断筆」を遂行した森繁さんだったが、数々の遺品は残っていた。モーターヨット、無人島、ゴルフ場、キャデラックのリムジン──そのスケールは規格外のゴージャスさだ。

「父の収入は確かに多かったですが、人に見られる仕事のため、身なりや行動には相当気を使っていました。“森繁久彌といえばリムジン”だからと、晩年に仕事が減っても一流のものを身につけ、キャデラックで移動し、ハイヤー会社が派遣する運転手の給料だけで年間700万円近くになりました。ファンが期待する森繁久彌でありたいとの気持ちが強かったんです」

 森繁家は、父より先に長男が他界していたこともあって、嫁いでいる長女と相談して、次男である建さんがすべてを相続した。購入時は2億円だったモーターヨットは3000万円で売却し、車やゴルフ場は知人に引き継いでもらった。骨の折れる作業だったわりに、手元に残るお金はほとんどなかった。建さんは、それも父らしいと言う。

「終戦後、父は満州からの引き揚げ船で、祖母と母、私たち子供3人とともに佐世保港に上陸しました。そのとき、父の話では1人につきおよそ1000円、計6000円の支度金を渡されたそうです。敗戦ですべてを失い、再スタートのときに手にした6000円だったものですから、それ以降、『死ぬときに6000円あればいい』が父の口癖になり、子供に財産を残そうという考えはありませんでした」

 大スターの豪快さにはちゃんと理由があるのだ。

※女性セブン2020年7月9日号