広報ちがさき(神奈川県茅ヶ崎市)

2021年(令和3年)1月1日号

■第十七回 高橋 誠一(たかはしせいいち)
東洋一の結核療養所と呼ばれた南湖院(なんこいん)で副長を務めた高橋誠一。地域医療のリーダー的役割を果たし、さらには茅ヶ崎の幼児教育の発展に貢献しました。

○畊安(こうあん)に憧れ、南湖院へ
高橋は1883年、宮城県志波姫村(しわひめむら)(現・栗原市)に小学校教員の子として生まれました。医師を志して、仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に入学。施術を学び、現場の医師として医療界に尽くすことが自分の使命であると悟った頃、新聞小説で目にした南湖院の院長で、当時、内科医として重きをなしていた高田畊安に理想像を描くようになりました。
1909年、畊安の下で学びたいという念願がかない、南湖院に入職。翌年には副長に就任します。5年後、同僚医師の土岐美也子と結婚。入職後にキリスト教の洗礼を受けた高橋の結婚式は、東京の畊安の邸宅で行われ、キリスト教牧師でのちに同志社大学総長となる海老名弾正(えびなだんじょう)が司会をしました。
1921年、茅ケ崎駅北口に開設された製糸工場純水館の工場医を嘱託されます。同年には美也子夫人が独立して生泉堂医院を開業し、南湖院勤務のかたわら診療を行うなど茅ヶ崎で着実に医師としてのキャリアを積んでいきます。

○茅ヶ崎初の幼稚園を創立
クリスチャンの高橋は、キリスト教の信徒団体「恵泉会」の集会と南湖院で日曜学校を始めました。これらの活動が母体となり1928年に茅ヶ崎美普(みふ)教会(後に茅ヶ崎教会と改称)が組織され、その茅ヶ崎教会から分離独立する形で茅ヶ崎恵泉教会が設立されました。早くから教育、とりわけ幼児教育に関心を寄せていたことから、1940年に茅ヶ崎で最初の幼稚園となる恵泉幼稚園を創立、園長に就任しました。
その他、茅ヶ崎小学校の校医として40年近く学童保健に献身、戦後は白十字会林間学校校長、平和学園幼稚園園長を歴任するなど教育面でも地域に貢献しました。

○戦後、南湖院の復興を試みる
戦時中、茅ヶ崎海岸に米軍が上陸すると想定した海軍は、南湖院の一部を接収。1945年2月に畊安が亡くなると、さらに海軍は全面接収に向けて動き出しました。終戦後、海軍が引き上げ、畊安の息子たちと南湖院の復興に向けて活動しますが、米軍が駐屯地として利用し、ついに再建されることはありませんでした。
地域医療に寄与した高橋を名誉市民に推挙しようとする声が高まりましたが、畊安こそ生前受けるべきであったとして固辞の姿勢を貫きました。戦後は茅ヶ崎町会議員・市会議員や初代教育委員長、茅ヶ崎医師会会長などを務め、1968年に84歳でその生涯を閉じるまで、茅ヶ崎の医療、教育の発展に尽くしました。

問合せ先
文化生涯学習課市史編さん担当