広報ひろかわ(福岡県広川町)

(令和2年12月1日号)

■黒船の来航と疫病の侵入(その4)
○麻疹とコレラが同時に流行
安政コレラは3年ほどで収束するものの、文久2年に再燃したことを先月号で紹介しました。
久留米藩では文久2年5月ごろから麻疹(はしか)が大流行したようで、『加藤田日記』には「五月頃より麻疹大いに流行、(中略)御領中死人夥敷有之、何国も流行にて江戸杯死人最も多く有之候由」と記されています。松本又左衛門も日記に「八月、九州一統ころりという病流行。ハシカとコロリで、当国(久留米藩)は、万単位死去。肥前長崎あたりは、当国位の事にて無御座候」と記しています。

国指定無形民俗文化財「八女福島の燈籠人形」で知られる福島八幡宮の境内には、コレラ石という自然石が祀られています。今日の新型コロナウイルス関係でマスコミに取り上げられたことから、ご存じの人も多いのではないでしょうか。いつ祀られたのか定かではありませんが、安政・文久年間に起源をもつかもしれません。

本紙2020年10月号で、コレラの流行や不平等条約の締結などが原因で、外国人に対する世論が厳しくなったことを紹介しました。
すでに周知のごとく、国論は尊攘派と佐幕派に分かれ、京都を中心に両派の確執がいっそう深まります。その要因として、疫病の大流行という背景を無視することはできないという、医学界からの指摘もありました。

○明治12年久留米藩内でコレラ発生
維新に至る激動のときを経て明治時代を迎えますが、明治12年(1879年)夏、旧久留米藩内でもコレラが発生しています。久留米における感染者数や死亡者数の具体的な数値は分かりませんが、3月に四国松山で発生したものが全国へ拡大したようで、「年末までに死者10万人を超える」(『日本全史』講談社)とあります。
岩戸山古墳こそが筑紫君磐井の墓であると指摘した旧久留米藩の歴史学者、矢野一貞(『筑後将士軍談』の著者)も、このときコレラに感染し、犠牲者の一人となっています。

福島八幡宮のコレラ石について、安政・文久年間に起源をもつのでは、と前述しましたが、もう一つの可能性として、明治12年も無関係とは言い切れないと考えています。
これまで4回にわたりコレラの流行を追ってきましたが、幕末から明治維新にかけての時代推移の背景として、世論が構築される要因の一つに、コレラという疫病のパンデミックがあったと分かります。このような事件が価値観を大きく変えることもあるということの、一つの証拠といっていいかもしれません。

■広川町古墳資料館だより
新型コロナウイルスにより、全国の博物館や美術館は、展示方法を考えさせられることとなりました。当資料館も社会教育施設として、資料のデジタルアーカイブ(DA)化の必要性を感じています。
DAとは、記録精度が高く、再現性に優れたデジタル映像として、貴重な文化遺産を保存・蓄積するものです。現在は3次元スキャンにより、遺跡や仏像、考古資料もDA化が可能となっています。

これまで博物館へ行かないと見学できなかった展示物も、DA化でデジタル配信すると、いつでもどこでも、誰でも見学できるようになります。デジタルデータを公開して全国の関連機関と連携すれば、調査や研究の幅も大きく広がることでしょう。DAに期待される効果は今後大きくなると考えられます。