広報なかたね(鹿児島県熊毛郡中種子町)

令和2年(2020)11月号

◆ごあいさつ
中種子町長 田渕川寿広

中種子町町制施行80周年を迎えるにあたり、一言ごあいさつを申し上げます。
わが中種子町は、昭和15年12月1日に町制を施行し、今年で80周年を迎えました。これまでを振り返りますと、戦前・戦後を通して基幹産業である農林漁業の振興をはじめ、道路、上水道、住宅、文教施設の整備など生活関連の社会資本整備に重点投資を行ってきており、近年は少子高齢化社会に対応した安心・安全な地域福祉推進のほか、スポーツ・文化の振興による交流人口の増加など新たな町づくりに鋭意努力しているところであります。昨今の厳しい社会経済情勢の中、地方主権の動きや、続く人口の減少、長引く不況への対応など、大きな変革を迫られている時期でもあります。本町では、この町制施行80周年を迎え、多くの先人たちの偉業を思い起こし感謝を捧げるとともに、本年を将来に向けて新たなる出発を期する機会と位置づけ、活気ある新しいまちづくりを進めてまいります。本町では、町民憲章を要約した「自立・勤労・共生明るく豊かで住みよい郷土(ふるさと)を」というキャッチフレーズを基本理念に掲げております。

この80周年を契機に、次世代に向けた新しい文化の創造と、より魅力と個性ある町づくりに取り組み、誰もがこの町に住んでいて良かったと感じられる中種子町を築き上げるため、全力を尽くして参ります。

今後とも本町行政全般にわたりご指導ご支援を賜りますようお願い申し上げ、ごあいさつといたします。

◆沿革
種子島は大隅半島の南にあって、南西諸島の中で最も本土に近い島であり、日本の離島の中で、第10番目の面積を有する島である。

大宝年間中は太宰府管内の治下にあり、後に大隅国に属してから350~360年間ははっきりしていない。その後近衛家の荘園となり、鎌倉幕府時代直轄を経て種子島家始祖、肥後守、平信基の治むるところとなり、幾多の移り変わりを経て種子島氏25代久尚王政維新の際、領土を奉還した。以後明治3年から目まぐるしいほどに行政改革がなされ、明治22年4月町村制実施によって種子島は熊毛郡となり、北種子村、中種子村、南種子村が誕生した。

鎌倉幕府直轄時代の郡政当時種子島は上郡、中郡、下郡に三分して治めた言われる。中種子村はその中郡にあたり野間、納官、油久、増田、坂井、の5ヶ村で構成されていた。

明治となって納官から牧川、油久から田島が分村して7ヶ村となり、この7ヶ村が統合されて中種子村となり、その後、昭和15年町制を施行し現在に至っている。

◆概要
本町は、南北22km、東西7kmで60の行政集落があり、行政区域面積は137.18平方キロメートルである。
平成27年度国勢調査の確定値で、人口は8,135人(男人3,815、女4,320人)、世帯数3,741世帯であり、産業別15歳以上就業人口の割合は、第1次産業37.4%、第2次産業11.2%、第3次産業51.0%である。
平成30年の平均気温は19.8°Cで温暖な町である。


国勢調査確定値
※令和2年は10月1日現在人口