ギリシャのヒオス島(キオス島)、ピルギ村の中世から残る細い路地を歩くと、門や建物、バルコニーの下側にまで、白黒の複雑な幾何学模様の装飾が施されているのが目に留まる。チェリートマトのつるや乾燥中のトウガラシの束が揺れる下では、女性たちがまるでダイヤモンドを探すかのように真剣に、葉の茂った小枝を調べている。

 実際に探しているのは、白い樹脂の固まりだ。マスティックノキ(Pistacia lentiscus)から採れるこの天然のガム「マスティハ」は、香りが良く、治癒力があるとして古代から珍重されてきた。

 ヒオス島にはマスティハを生産する村(「マスティホホリア」と呼ばれる)が24ある。ピルギ村はそのひとつだ。マスティックノキは地中海沿岸でよく見かける木だが、このような樹脂を分泌する変種はヒオス島南部でしか育たない。この自然の気まぐれのために、ヒオス島は豊かだが紆余曲折の歴史を歩むことになった。

樹脂の独占

 何千年もの間、マスティハはヒオス島とその住民にとって名誉、経済力、そして独自性の源泉になってきた。すでに紀元前5世紀にはギリシャの歴史家ヘロドトスがマスティハについて書いている。ローマ人は歯をきれいにし、口臭を消すためにマスティハを噛み、オスマントルコ人はこれをスパイスとして称賛した。

 本格的な栽培は、14世紀、ジェノバ人による支配とともに始まった。ジェノバ人はマスティハの交易を独占し、マスティホホリアを建設した。村には外壁がつながった家々が要塞のように立ち並び、通りは侵入者を迷わせるように入り組み、中央には攻撃を見張る監視塔が立っていた。違法な取引を防ぐため、村人は夜間の外出を禁止され、マスティハの盗難には厳罰が科された。

 16世紀にオスマントルコに島が占領されると、マスティハも独占された。1840年にようやく、生産者が自分でマスティハを販売することができるようになり、その後100年も経たないうちに、現在まで続くヒオス・マスティハ生産者組合(CMGA)が設立された。

 支配体制は変わっても、マスティックノキの栽培と生産の方法は何世紀もの間ほとんど変わっていない。今も24の村が中心だ。土壌の手入れに始まり、樹皮に浅い傷をつけて流れ出た樹液を集め、固まった樹脂から葉などのゴミを取り除くまで、作業は年間を通して続けられる。過程のほとんどが手作業で行われ、何代も前の頃と同様に、家族や隣人が助け合う。

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