1950年6月25日、北朝鮮が韓国を突然攻撃し、朝鮮戦争の火ぶたが切って落とされた。半島の支配をめぐる共産主義と資本主義の争いは、1950年から53年までに数百万人の死者を出し、今に続く両国の分断を生んだ。

 米国は参戦したものの、国内では注目されず「忘れられた戦争」とも呼ばれている。同時にこの戦争は、議会の承認を得ずに参戦するという悪しき前例を米国に残した。

 朝鮮戦争の歴史は、日本統治時代(1910〜45年)に端を発する。第二次世界大戦が終わると、連合国は大日本帝国の解体を始めた。その際、朝鮮の運命は、米ソ間の交渉のチップになった。ともに元連合国だったが相互に不信感を抱いていた米ソは、1948年、互いの影響を監視するため、朝鮮半島を横切る38度線を境に2つに分割し、別々の国家を樹立した。ソ連が後押しする北朝鮮は、金日成が主導する社会主義国となり、米国が後押しする韓国は、李承晩が主導する資本主義国となった。

 しかし両国とも、相手国を屈服させて朝鮮半島の統一を目指していることがすぐに明らかになった。国境におけるいくつかの小競り合いの後、1950年6月、北朝鮮は韓国に侵攻した。この侵攻が、2つの核保有国間の代理戦争、そして冷戦の最初の引き金となった。

 米国は、国連安全保障理事会に対し、韓国を支援するための武力行使を承認するよう迫った。米国では連邦議会だけが宣戦布告の権限を有するが、このとき米大統領ハリー・トルーマンは、連邦議会の承認を求めることなく軍を派遣した。国が正式な宣戦布告なしに大規模な他国の紛争に参戦したのは、これが初めてのことだった。

 1950年6月29日、「我々は、戦争をしているのではありません」とトルーマンはマスコミに語った。「韓国は、北朝鮮の近隣にいる無法者の一団により不法に攻撃されたのです」。トルーマンには越権行為の疑いがあったものの、この紛争への米国の関与は、公式には「警察活動」であるとされた。

 米国は、この戦争はすぐに勝てるだろうと考えていた。しかし、その考えは間違っていたことが、まもなく証明された。当初、米国を含む国連軍は、北朝鮮を共産主義陣営の中国の国境まで押し込んだ。これに対し、中国は、北朝鮮に300万人以上を派兵した。ソ連は、北朝鮮軍と中国軍に補給と訓練を行い、パイロットを派遣して国連軍と対峙した。

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