ラッパーECDの死後、妻の写真家・植本一子が綴った濃密な人間関係

<人間関係が希薄になったと言われるが、著者が娘2人と暮らしているのは東京のど真ん中。この日記は心に「なにか」を残してくれる>

昨年1月24日に、ラッパーのECDが進行性のがんで世を去った。享年57、早すぎる死だった。

現在は作家・書評家としての仕事がメインになっているが、文筆家としての私のキャリアは音楽ライターから始まった(今も続けている)。だから音楽業界については相応の知識を持っているつもりだが、活動のベースが一貫してアンダーグラウンドにあったECDについては、ヒップホップに詳しくない方はあまり馴染みがないかもしれない。しかし国内ヒップホップ・シーンの黎明期から活動を続けてきた、紛うことなきシーンの重鎮であった。

ちなみに私が文章を仕事にすることになったのは、ECD(本名で石田さんとお呼びしていたので、ここから先は石田さんと書かせていただく)のファースト・アルバムにひっそりと収録されていた曲がきっかけだった。

「アタックNo.1」というその曲に込められた、「やりたいことがあるなら、御託を並べずにやれ」というメッセージに感化されたのだ。だから私にとっての石田さんは、進む勇気を与えてくれた恩人でもあった。

ただ、石田さんと私の関係には、どこか中途半端な距離感があったのも事実だ。ものを書くようになってから交流もできたのだが、かといって友達というほど親しいわけではなく、でも知り合いであることは事実で......と、なんとなくフワフワとした関係のまま終わってしまったのだ。

晩年は特に距離が開いていったし、いま調べてみたら、最後に会ったのは2014年の終わりか、2015年初頭のことだった。だから、「これをしておけばよかった」「これを伝えておきたかった」と後悔していることは少なくない。しかし、たとえ距離が開いたとしても、その活動はずっとインターネットを通じてチェックしていた。

そんななか、特に関心を持っていたのが、石田さんの妻であり写真家でもある植本一子さん(以下:著者)が2010年から始めていた「働けECD」というブログだった。舞台設備の仕事をしながらラッパーとして活動していた石田さん、そして著者の写真家としての収入からなる石田家の家計簿を公開したものだ。

「ここまで公開しちゃっていいの?」と読んでいる側がハラハラするようなブログだったわけだが、そんなこと以上に惹かれたのは、著者の文章の魅力以外のなにものでもなかった。

さりげない情景描写、心理描写が心地よく、ときに切なく苦しくもあり、つまりは感情をちょうどいいバランスでくすぐってくれるような心地よさがあったのだ。

また、2005年の自伝的小説『失点・イン・ザ・パーク』(太田出版)以来数々の秀作を発表してきた石田さんも、同じように魅力的な書き手だった。だから、このふたりが本を出すと、必ず購入していた。

残念ながら石田さんの著作は、2017年の『他人の始まり 因果の終わり』(河出書房新社)が最後となってしまったが、著者は今もずっと書き続けている。



主人を失った母娘を周囲の人たちが自然に支えている

前置きが長くなってしまったが、『台風一過』(河出書房新社)は、そんな著者による最新作だ。石田さん(著者も夫である彼のことを「石田さん」と呼んでいる)が世を去った後、多くの人々に支えられながら歩み続ける家族の姿が日記形式で綴られている。

 今のこの寂しさや辛さには既視感があった。石田さんが癌になった時も、この苦しみは誰とも共有できないのだ、と気づいた瞬間があった。私の気持ちなんて、誰にもわからない。だから私は、自分で自分を慰めるために、もう一度この日々を書くことにした。もう一度石田さんと向き合うこと、そして自分と向き合うこと。私はそれをこれまで、文章でやってきたのかもしれない。書くことでやっと、自分が前に進める気がするのだ。(15ページ「二〇一八年 二月〜三月」より)

 フルーツパーラーは居心地が良かった。忙しそうなレジのおじさんも「たくさん食べれた?」と子ども達に話しかけてくれるような店だった。 手を繋ぐのと同じように「ママ、パフェたべさせてくれてありがとね」と事あるごとに下の娘がお礼を言ってくるようになった。その度に、ぜーんぜん! 大したことじゃないよ、と伝える。だってたいへんでしょう?と返されたこともある。子どものために何かをすることが、昔よりも苦ではなくなった。お礼を言いたいのは私の方かもしれない。娘たちの存在に助けられている。(17ページ「二〇一八年 二月〜三月」より)

「私の気持ちなんて、誰にもわからない」、おそらく、それは真実だ。しかし、それは当然だとしても、読み進めていけばいくほど実感することがある。それは、著者の身辺の濃密な人間関係だ。

なにか絶対的な信頼関係、強い絆があって、主人(あるじ)を失った母親と娘たちを周囲の人たちが自然に支えていることがわかるのだ。

もちろん私にも、私にとって大切な人間関係があって、彼らに助けられながら生きているという自覚はある。けれど、ここに描かれている著者周辺のつながりは、自分の身の周りのそれよりも強固なもののように思える。

しかも、仰々しさや押しつけがましさは皆無だ。誰ひとり対価を求めるわけでもなく、息をするように3人を支えている。当たり前のことだと言われればその通りかもしれないが、その"さりげなさ"には清々しさを感じる。

人間関係が希薄になったと言われて久しい。特に都会では、その傾向が強いと思われていたりもする。だが、著者の家族が暮らしているのは東京のど真ん中だ。そう考えれば、人間関係の濃淡にはその個人の個性や価値観が大きく影響していることがわかる。

そして、「果たして自分の周囲に、まるで隣組のような、ここまで濃厚な人間関係はあるのだろうか」と、改めて問い直したくもなってくる。



 石田さんが亡くなり、これまで以上に頑張らなくてはいけない場面が増えたが、私は一人で抱えようとするのをやめた。抱えきれずに取りこぼしてしまう前に、最初から誰かに預けてみる。今里さんや、野間さん夫婦をはじめ、周りにいる人たちみんなで娘たちを育てたいと思っている。それはこれまで以上に心強く、視界が開けるような気さえするのだ。(115ページ「二〇一八年 四月〜六月」より)

ハッと目を覚ますとあたりは真っ暗、子ども達もいつの間にか学校から帰って来ている。時刻は19時過ぎ、夕飯がどうやっても作れそうにない、というより起き上がれない。「野間さんに夕飯食べさせてくださいって伝えて......」と子ども達を野間さん家へ送り出す。バタッとまた眠ってしまったらしく、気づくと娘たちは帰って来ていた。夕飯はもりそばだったと言う。野間さんにお礼の連絡。娘たちの就寝と入れ替わりで起き上がり、風呂に入ってから原稿書き。今日こそ0時には寝て、時差ぼけを直したい。(143〜144ページ「二〇一八年 四月〜六月」より)

新たな出会いに偏った見方をする人もいるかもしれないが

さて、章が「秋 二〇一八年十月」に進むと、読者はちょっとした違和感と出合うことになる。5月の時点で「二月にあった名古屋の私の写真展に遊びに来ていた若い男の子で、今年の四月から東京で働いている」と紹介されている"ミツくん"から、いつの間にか"くん"が外されているのだ。そしてその頃から、彼は著者の家に半同居の状態となる。

石田さんを中心とした家族とはまた違った集合体が誕生したのだ。結婚する気はないとはっきり明言しているとはいえ、形はともかく、これは新たな人間関係のかたちである。そしてそれが、著者と娘たちをさりげなく支えていくことになる。

 9時半に八王子着。今日の撮影のクライアントのMさんに会うのは一年ぶり。(中略) 最近何か面白いことありましたか?と聞かれ、一緒に暮らしている人がいるという話をする。「私の本を読んでいて、写真展に来てくれた時に知り合ったんです」 ミツのことをどんな風に説明しても、年の差があるというだけで、何か後ろめたさを感じてしまう自分がいる。逆に自分が聞かされる立場だとしても、怪しい、胡散臭い、いかがわしいと思わざるを得ない。そしてその年の差について考える時、どうしても石田さんと自分のことが頭によぎる。今回は私が年上であり、ミツとの間については、何かと思うことがある。でも、石田さんとの年の差のことで、自分が問題に思うことは、一度もなかった。年の差云々よりも、ただ人として石田さんを見ていた。石田さんはどんな風に、年の差や私のことを考えていたのだろう。(168ページ「二〇一八年 十月」より)

この時点で、著者は34歳、一方の"ミツ"は24歳だ。そして石田さんは著者より24歳年上だった。



 部屋が静かになってやっと落ち着き、冷蔵庫からそっとハーゲンダッツを出す。食べながら本を読んでいると、ミツも同じように本を読んでいる。今日は『それでもわたしは山に登る』を手に取り、続きを読もうとしたが、著者に乳癌が見つかったところからなかなか読み進められなくなった。抗癌剤治療をしながらも、時には家族について来てもらい、山に登ったり、行きたい場所へ行こうとする著者の姿に、石田さんの姿が重なってしまう。もちろん石田さんは、私にどこかへついて来て欲しいなど、一度も言わなかった。ガリガリに痩せ細った体で、亡くなる三日前まで一人で行動していたくらいだ。時々人から、旦那さんの介護おつかれさま、などと言われることもあったが、介護などした覚えはない。私から気を遣って何かをしたことも、石田さんから何かを頼まれたことも、ほとんどなかったように思う。最後の最後まで石田さんは一人であり続けたし、私はそれに甘えきっていた。けれどこうして余裕の生まれた今になって、どうしてあの時、優しくしてあげられなかったんだろう、と思ったりもする。もっと石田さんのそばにいて、様子を見守り、その言葉を聞いて、自分が代弁出来たんじゃないか。あの渦中にいた時は絶対に無理だったけれど、だからこそ今、こうして後悔することも出来ている。 ぼーっとしながら食べかけのハーゲンダッツのカップに手を伸ばすと、軽くなっていて「あっ」と声が出た。食べられた!と悔しがっていると、「ちゃんと言ってくんないとわかんないよ」 とミツが笑った。(175〜176ページ「二〇一八年 十月」より)

石田さんが亡くなってから10カ月近くの歳月を経て新たなパートナーと出会ったという"データ"しか見えていない人の中には、都合のいいように誤解したがるタイプもいるかもしれない。

人は他人に対して無責任で残酷な生き物なので、そういう偏った見方をする人が出てきたとしてもまったく不思議ではない。しかし、フラットな気持ちのまま本書を読んだ人であれば、決してそんな偏った考え方はしないはずだ。

著者の日常は日を追うごとに少しずつ安定していくが、それでも葛藤からなかなか抜け出せないからだ。

「いま」がこれから先も続いていくのだろうと思わせる

「あぁ、もう石田さんはいないんだ」 ミツが隣にいるのに、もう頼れる人はこの世に誰もいないという気持ちになってしまう。石田さんはとっくにいないのに、このタイミングで初めて事実を突きつけられたような。 布団から起き上がり、声を上げて泣く。辛かった時の思い出と、もう二度と会えないという事実、そして、この家にはもう石田さんのものがほとんど無いことに気づいた。(191ページ「二〇一八年 十一月」より)



 ミツがこうして隣にいてくれることにまた涙があふれ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。石田さんについてどう思ってる? ミツは石田さんに一度も会ったことがない。ミツと出会った時には石田さんはもうこの世にいなかった。同じ部屋で一緒に眠るようになったが、もしかしたらこれだって、ミツからすると、とても失礼なことなんじゃないか。そして石田さんにも。私は誰のことも大切にできていないのかもしれない。(中略)「ここに来るようになってすぐ、家に誰もいなかった瞬間があって。その時にはまだ骨壷が置いてあったから、よろしくおねがいしますって挨拶したよ」 私は知らなかった。ミツの中には、ちゃんと石田さんがいた。(193〜194ページ「二〇一八年 十一月」より)

日記なのだから当たり前だが、本書には結末めいたものがあるわけではない。著者と娘たち、そしてミツとの日常が淡々と続いていき、石田さんの命日にあたる2019年1月24日の記述で終わるだけだ。

だから、とりたてて感動的なラストは訪れないし、最後の最後に問題が起こるわけでもない。ただ、「いま」がこれから先も続いていくのだろうなと思わせるにすぎない。

しかし、だからこそ本書は――というより著者の本すべてに言えることなのだが――心に"なにか"を残してくれる。"なにか"のかたちは人それぞれ異なるだろうが、例えば私の場合、読み終えた後には「ていねいに生きる」ことの大切さを改めて感じた。


『台風一過』
 植本一子 著
 河出書房新社


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。

印南敦史(作家、書評家)


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