原田曜平【令和のトップランナーに訊く】

瀧川鯉斗さん(落語家)

 今回のゲストは落語界で令和初の真打ち昇進を果たした瀧川鯉斗さん。単なるイケメンじゃない意外な素顔と異色の経歴の秘密を訊く!

  ◇  ◇  ◇

原田「実は僕、昨年10月放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)で鯉斗さんが“元暴走族の総長という経歴の落語家”として取り上げられていたのを見たんですよ。その直後に、偶然、西麻布のバーで鯉斗さんの落語を聞く機会がありまして」

鯉斗「ありがとうございます! ちょうど僕が入門した2005年に長瀬智也さん主演の『タイガー&ドラゴン』(TBS系)が放送されたので、『おまえがモデルじゃない?』と冷やかされたことがありました。『昭和元禄落語心中』の与太郎も元チンピラという設定なので、まさに自分とかぶりますね(笑い)」

原田「落語界も鯉斗さんのような若きスターが出てきて盛り上がり始めています。まずは暴走族時代のお話から伺ってもいいですか」

鯉斗「では、ざっくりと(笑い)。僕は名古屋で生まれ、父親の転勤で東京や札幌に住んでいたこともありましたが、また名古屋に戻り、青春時代を過ごしました。小5くらいからグレ始めて、みんなが教室でテストを受けているのに僕は抜け出して画鋲で耳にピアスを開けたりしてました」

原田「ヤンキーになるのに何か理由は? 例えば、家庭環境が荒れていたりとか」

鯉斗「いえいえ。僕の父は大手電子機器メーカーに勤めるまっとうなサラリーマン。父は全国転勤があるし、仕事が忙しくて、子育ては母と母方の親戚に任せていました。母方の祖父が大工で、僕はおじいちゃん子。小さい頃は釣りに行ったり、現場に連れて行ってもらって大工の真似事などして遊んでいましたね。我が家は兄、姉、僕、弟の4きょうだいですが、グレたのは僕くらい」

原田「家族とは仲がいいヤンキーだったんだ」

鯉斗「はい(笑い)。僕が暴走族に入ってからは母が特攻服を洗濯してキレイに畳んでくれていたくらいですから」

原田「小5からヤンキーになって、どういうルートで暴走族に?」

鯉斗「中学に上がると金髪・ロン毛で学生服も改造。悪目立ちするようになっていました。そんな時に家を抜け出して遊びに行くようになりまして」

原田「それで暴走族に?」

鯉斗「そうですね。100台、200台のバイクで走るので、最初は隅っこのほうだったんですけどだんだんと夢中になりまして。小3からずっとサッカーをやってて実は中2のときに愛知県代表に選ばれたんですね。でもその時は昼はサッカー、夜は暴走の生活だったんですが、暴走のほうが楽しくなって……。それからは暴走族一筋。気が付いたら名古屋で有名になっていたんです。15歳で総長になって17歳までやりました」

原田「進学は?」

鯉斗「母に“高校だけは”と懇願されてワルが集まる高校へ。でも入学初日に喧嘩して退学に……。高校を辞めてからはこのままじゃダメだと思って17歳のときに東京に出てきました」

■「芝浜」を見て弟子入り

原田「何か目標は?」

鯉斗「映画が好きでエドワード・ノートンに憧れて漠然と役者になりたいと思ってました。ただ、明確な目標はなかったですね。とにかく東京に出てみたかった。ただ、出てきたはいいけれど、当然すぐに役者になんてなれず、しばらくは新宿にあった赤レンガというレストランの厨房でアルバイトしました。これが運命の分かれ道で、その店で瀧川鯉昇師匠が年に2回独演会をやっていたんです。ここで初めて落語を見たんです。演目は『芝浜』。これこそまさに一人芝居の極みだと感じて一気に引き込まれましたね。その独演会の打ち上げで、すぐに鯉昇師匠に『弟子にしてください』と頼み込みました。そしたら『まず寄席を見に行ってみなさい。そこがおまえの仕事場になるんだから。それでいいと思ったら、また来なさい』と言われまして。で、すぐに行きました。18歳のときでした」

 対談の後編は鯉斗さんの前座時代のエピソードや令和時代の若者論、そして落語界の課題などについて訊く!

原田「前座修業は厳しかったですか?」

鯉斗「住み込みではなく、週6で鯉昇師匠の元に通いました。落語家は毎日着物を着るので、まずは着物の着方や畳み方から覚えないといけないのですが、自分でできるようになるまでは大変でした。一応、給金は出て、1日1000円。1カ月で約3万円。それが風呂なしアパートの家賃。師匠たちにくっついていれば、ご飯は食べさせてもらえるので飢えることはありません(笑い)」

原田「若いのによく我慢できましたね」

鯉斗「落語界はアルバイト禁止なんです。『バイトをする時間があるなら落語を覚えろ』と怒られます。お笑い芸人の世界とはちょっと違いますね」

原田「縦社会ゆえの独特の人間関係や厳しい修業もあると思うんですけど大変だったのでは」

鯉斗「どんなことも落語に通じると思えばこそです。弟子になるときに『暴力と盗みは破門だ』と言われていたので、反抗して殴ったりすることももちろんありません(笑い)。18歳で入門して25歳で二つ目に。昨年真打ちに昇進しましたが、暴走族もコックのアルバイトのときもそうで、これまで縦の関係を重んじる世界でしか生きていないので落語界の独特のしきたりや縦社会もまったく苦じゃないんです。好きで身を置いているわけですから」

原田「最近の若者は苦労するのを嫌がる傾向がありますけど正反対ですね」

鯉斗「落語って肉屋とか魚屋とかと違って生活になくてはいけない仕事ではない“水物”の商売なんです。なので、新しく入ってくるプレーヤーに対しても『辞めたければどうぞ』なんです。辞めればライバルは減りますし、現に辞めていく人もたくさんいます。今の若い子たちは、叱られるとすぐに辞めてしまったり、『うわっ、ウゼェ』と思って拒否したりする子が多いですよね。でも、僕は時には上からガツンと言われないと成長できないとも思っています」

原田「発想が昭和ですね(笑い)。僕は2014年に『マイルドヤンキー』という言葉を定義して流行語にもなりましたが、鯉斗さんがヤンキーだった時代と今の時代のヤンキーでは何か変わった点はありますか?」

鯉斗「僕は今36歳ですが、僕たちの時代のヤンキーは基本的な挨拶や『ごめんなさい』『ありがとうございます』『よろしくお願いします』など最低限のコミュニケーションは取れる人が多かったと思うんですよ。今、ヤンキーと呼ばれている子たちって、上下関係がきちんとしていないからか、挨拶もできない子が多い気がします。外見はイケイケでヤンチャかもしれないけど、感性的には根暗な感じでパッションもない。もちろん個人によりますけど、芯がない感じはしますね」

原田「令和を牽引する落語家として、令和の時代の落語界はどうなっていくでしょう」

鯉斗「確かに一部では落語ブームなのかもしれません。人気の落語家には多くのお客さんがついていますし、最近、自分と同世代やもっと若い20代のお客さんも来てくれているように感じます。ただ、全体的にはまだまだ盛り上がっていない。もっと多くの人たちに生で落語を見てほしいし、そう気張らずに寄席に足を運んでほしいですね。自分というフィルターを通して、落語って面白いなぁ、味わいがあるなぁと感じてもらえればうれしいです。僕自身は色気のある人情噺を突き詰められたらと思っています」 

▽瀧川鯉斗(たきがわ・こいと)落語家。落語芸術協会所属。1984年生まれ。愛知県名古屋市出身。高校時代からバイクに傾倒し、暴走族総長を経て2002年、役者になることを夢見て上京。新宿の飲食店でアルバイトをしているときに現在の師匠・瀧川鯉昇の落語独演会を見て弟子入りを直訴。05年に前座。09年4月、二つ目昇進。19年5月、令和初の真打ちに昇進。

(原田曜平/マーケティングアナリスト 構成=高田晶子)