【太神楽 鏡味仙三郎 大いに語る】#2

 正月の寄席、仙三郎社中は20日まで曲芸をせず、おめでたい獅子舞だけ演じる。今年も10日まで鈴本演芸場と浅草演芸ホールで、11日から20日までは末広亭と池袋演芸場で演じた。

「浅草では寄席だけでなく、3日から7日まで仲見世近辺の町内回りをしました。歩道には外国人観光客も大勢いて黒山の人だかりでしたね。飲食店でやると、お店からだけでなくお客さまもご祝儀をくださいます。額が多いと、獅子舞の後に曲芸をやるので時間が延びます(笑い)」

 太神楽は祝福芸だから年中行事でも見られる。

「2月の節分には毎年、神楽坂の毘沙門様(善国寺)で奉納獅子舞をやってます。その後、商店街と花柳界を40軒くらい回る。数が多いので2班に分けて回ります。5月は神田祭神幸祭に参加してます(写真)。総勢800人が参加する平安絵巻行列のしんがりを務めるのが太神楽の社中です。祭りばやしを演奏した後、長い距離を歩きながら曲芸をやるので疲れますね」

 神幸祭は2年にいっぺんで、次は来年だとか。

「川崎大師には、我々が使っている毬に代表される道具に感謝し、古くなった物を供養するまり塚があって、毎年5月21日に『まり塚まつり』があります。当日は法要の後、奉納演芸としてやりますので、ぜひお出かけください」

 いろんな年中行事があるが、仙三郎社中の主な仕事は寄席出演である。所属する落語協会には現在、4組の太神楽がいて、毎日どこかの寄席に入っている。

「おかげさまで、あたしなんぞは1年間に平均500高座も出させてもらってます。掛け持ちが多いのと、代演もありますから。これは先輩方が地道にやってきたことを寄席の席亭が評価してくださったからで、ありがたいことだと思ってます」

 近年、東京の落語家が激増して600人を超えたというのに、東京の太神楽師が17人というのは少ないと思うのだが。

「確かに後継者がいなくて、あたしもずっと若手扱いでした。それは昔の太神楽師は落語家みたいに稼げなかったので、自分の子供たちに継がせなかった。稼げないとわかってるから弟子入り志願者もいない。寄席の色物として重宝されるようになってからは、なんとか食えるようになったわけです」

 後継者の育成は難しい。(つづく)

(聞き手・吉川潮)

▽鏡味仙三郎(かがみ・せんざぶろう)1946年、岩手県盛岡市出身。55年に12代目家元・鏡味小仙に入門。前座名「盛之助」。57年、池袋演芸場で初舞台。73年に故・鏡味仙之助とコンビ結成。2002年、鏡味仙三郎社中を結成。趣味はゴルフとオートレース。近著に「太神楽 寄席とともに歩む日本の芸能の原点」(原書房)がある。